去年のルミナリエは行けなかったけれど、25日に三宮のホテルの一室で近所にはないケンタッキーとアンリ・シャルパンティエのケーキを食べて、関西ローカルのお笑い番組を見て笑って過ごした。
こんな一見平凡で当たり前な一日を過ごせる事の嬉しさと、ありがたさ。
今日は私にとっては、そんな時間が兵庫の人々の復興へのたゆまない努力と、失った悲しみを乗り越える為の祈りで成り立っている事に感謝する日だ。
しかし当の私はというと、大好きな神戸で暮らしたい、戻りたいと言いながら、動けないまま、年をどんどん重ねてしまって、もう私の願いは叶わないのかもしれないと、時々思うようになってしまった。
あの街を離れて12年、思い出や感動は、哀しいかな色あせていくばかり。私にとって唯一灯る、願いという名のあかりが消えてしまわぬよう、必死になって強い風や冷たい水から守り続けてきたというのに。
最近聴いたある歌にあった「叶えることよりずっと願い続ける夢に 僕は逃げていたよ」という一節がひどく胸に刺さった。
返す言葉は…無い。でもやっぱり、もう一度戻りたい。
いつか人生を終える時に、「結局神戸に戻れたけど、1年たらずしか、住めなかったなー」という結果になったとしても、かまわない。少しでも好きな人のそばにいたいというのはあたりまえの感情だ。
あの街でなら、ひとりでも生きていける。少なくとも現状(いま)よりはまし。ましじゃなくても、ひとりでも、きっと耐えられる、笑顔で耐えてみせる。そのへんのスキルは昔に比べて少しは身についていてよ(笑)
どうか私の大好きなこの街がいつまでも光そのままに在り続けますように。
2009.1.17