相模國四之宮・前鳥神社(前取)改編・2013/12月参拝
社格・旧郷社
御鎮座・平塚市四之宮2408
電話0463-55-1195
御祭神
菟道稚郎子命(うぢのわきいらつこのみこと)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
菟道稚郎子命
日本で初めて中国からの典籍を学ばれ、学問の神として祀られました。また菟道稚郎子命を祀られている神社は東国では前鳥神社だけだそうです。
御由緒
神社名の「さきとり」は平安以前の古い地名で、相模川河原に接する自然堤防の南端で、地形名から起こったと言われています。
奈良時代の天平7(735)年の『相模國封戸租交易帳」には「大住郡埼取郷」として記載されています。
この「さきとり」の地に奈良時代以前、畿内から御祭神を「氏の上」とする氏人が移り住み、遺徳を偲び、清浄な地にお祀りしたのが「さきとり」神社と考えられます。延喜年間(901~923)に編纂された『延喜式』という法制書の中で全国の著名な神社が収録されている神名帳に、当神社は「前鳥神社」と記され、相模国の十三座のひとつとして登載されています。また、四之宮の称は、養老年間(717~724)の相模国の国府祭が始まったとされる頃に生じ、平安時代には四之宮郷として通称されるようになりました。
鎌倉時代には幕府の崇敬を受け、建久3(1192)年8月、源頼朝公夫人政子の安産祈願にあたり神馬の奉献があり、建暦2(1212)年に幕府は当社を将軍家祈祷所と定めました。近世に入ると、関東八カ国の領主となった徳川家康公は天正19(1591)年11月、当社に武運長久祈願のために朱印地十石を寄進、あわせて社地二千百余坪を除地として加護しました。
当神社は、この地に鎮座して以来、連綿と祭祀を続けてきました。時代が近世初期になってからは、寺社領の確定により、古義真言宗雪霜山鏡智院神光寺が別当寺として祭事のすべてを掌っておりました。そして、明治維新の大改革の際に鏡智院家が復飾、名を神代にあらため、現在に至るまで神仕(かみつかえ)の職に就いています。
御本殿(流造)
奨学神社
御祭神・百済の王子阿直岐と博士王仁、そして菅原道真公
昭和43年(1968年)9月には元皇族を招いて創祀千六百年式年大祭が催され、その際に本殿の右に奨学神社が建立されたそうです。(同神社の御神徳の由縁となっています。)
(神戸神社)
祖霊舎
同神社へ参拝したのは年末で、皆さん年末年始の支度で境内を忙しそうに職務に励んでいらしたので、画像は多くはありません、しかし境内には興味深い石碑や句碑など数多くあり、緑豊な境内は平塚八景に一つに選ばれている神社です、近所に出向いた際には再訪したい神社の一社です。
御朱印
穏やか系の神社でした(´∀`*)
ただ、本殿裏手に雰囲気が違う祠がありました。(チョイ怖です。)
相模四之宮・前鳥神社でしたm(_)m