24年6月承徳旅行3日目:結局どこにも出かけず | みどりの果敢な北京生活

三日目。ダンナは遅く起きるに決まっている。私はダンナよりずっと早く起きるし、庭を通って、リビングへ行きたい。ところが凶暴な犬がいる。

 

ダンナがお手伝いさんに「嫁がリビングへ行くから、朝8時頃に犬を繋いでもらえますか?」と前日頼んだ。初日に老郝が木に繋いだと思ったら、ちゃんと繋がってなくて、飛び出して来てびっくりした。この犬、客を噛んだことがあるという。

 
私:もしこっちにやって来たらどうしよう?走ってすぐに部屋に入ればいい?
老王:ダメだ。走っちゃ。動かなければいい
 
 

犬は熊か!

 

死んだフリすればいい?

 

翌日、無事リビングへ移動できた。みんな起きて、朝ご飯は外の食堂へ。前日行って、おばちゃんが「娘はマージャンに行ってるから、何も出せないよ」と言った店だ。老郝のお手伝いさんが早めに行って、「あとで来るから用意しておいて!」と頼んでおいてくれた。

 

店に入る。ゆで卵が置いてあった。鹅蛋(ガチョウの卵)、大きすぎる。

 

一人一つ肉饼と粟のお粥。

 

ここはスーパー。中の商品の種類は少ない。

 

ここもスーパー、というより「小卖部」だな。この通りは二軒しか店がない。いや、ここが一番の大通りだから、村にこの二軒しか店はないのかもしれない。

 

路地。こういうところに店はない。

 

これは川?」と聞いたら、大雨が降った時のための排水溝だって。

 

家に戻る。ダンナが「これはマッサージ機能があるのか?」と聞くと、「とにかく寝てみろ」と老郝が言う。

 

 

音楽が耳元から流れるというものだった。老郝が「二個あるから、一個あげる」と言ったが、ダンナ拒否。私も要らない。

 

やがて「みどりに書かせるタイム」。老郝には前日書いた。お手伝いさんがよくしてくれたので、「なんていう字がいいですか?」と聞いたら「」(勝つという意味)。

 
息子が高校三年生で、大学受験が終わったばかりだと言っていた。だから「勝つ」なのかと思った。すぐ後でわかったのだが、「マージャンで勝ちたい」からこの字にしたと。私、心底ガッカリした。
 
 
 
 
 
この村はマージャン村なのか?
 
まさかマージャン発祥地ではあるまい。

 

昼は、初日の夜に一緒に食事した若い夫婦のお宅へ。老郝が「王夫人(私のこと)は農村の家でご飯を食べる機会もそうそうないだろう」って。有難い。夫婦、小学校低学年の息子、おじいさん。父でなく、祖父だと思う。農村の老人なのに(?)コーラ飲んでたよ。アメリカ人かっ!

 
奥さんがたっーーくさん作ってくれた。鯉の形のもち米でできた主食、オレンジの部分はさつまいもだと思う。お店開けるレベル。
 
さそり。ダンナが「これは食べたことあるか?毒があるものもある」。
 
北京で食べたことが何度かあるけど、ずいぶん前だ。書道研修団が日本から来たときだった気がする。高級料理扱い。これ気持ち悪いけど、日本人はイナゴ食べるよね。
 
私:このさそりに毒がないってなんでわかるの?
ダンナ:この村の人は食べて来た。問題は起きてない
 

え?ええ?

 

これで死ぬかもしれないと本気で思ったけど、潔く食べた。まだ死んでない。

 

食事を終えて、午後2時半頃、出発。前日に老张が来て、何泊かする。北京から私達と一緒に来た老王老张と一緒に北京に戻ることになった。私、二泊だったんだけど、ダンナ写生をしていない。私が用があるから北京に戻らなきゃいけない。ダンナはいつ帰ってもいいから、「私、高铁で一人で帰るよ」と言った。しかし、この日は端午節で休日なので、切符がない。今回は私のための滞在みたいになってしまった。

 

別に筆で書いて披露なんて、望んでいなかったけど。まあ、老郝の誕生日を祝うために来たようなものだ。

 

北京に向けて出発。途中の景色。町。

 

川沿いの道路を進む。川下りができるので、ゴムボートを運んでいた。

 

高速道路のサービスエリア。

 

高速で豚の皆さんを見た。羊も二回見たけど、写真撮れなかった。

 


山の白い岩肌部分は、かつて北京へ石を運んでいたという。ダンナなんでそんなことを知ってるの?

 

 

北京に入る。通州区の画家村近く。農村でも首都は眩しい!

 

承德旅行で撮った写真は个人图书馆に入れた。一応終わる。私の席上揮毫について近いうちに詳しく書きたい。

 

今日の歌:任素汐 - 我要你

https://www.youtube.com/watch?v=pqLmWzJsdoQ

 

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