河北定州旅行記3:開元寺塔+春節の廟会は子ども向けばかり | みどりの果敢な北京生活

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7月13日。最高気温26度。最低気温21度。空気質量指数43。

さきおとといより続く。

定州博物館を出たら、すぐ近くに次の目的地の开元寺塔。この塀の中に入りたいのに、入口は南門のみ。その途中、子ども向けの露店ばかりだった。

 

 

後ろから子ども用の車がやってきて、抜かされ、とても邪魔!

 

塑像があり、自分で色を塗るという娯楽。サンリオとウルトラマン多し。谢谢おジャパン。

 

輪投げ、この街には多かった。こっちはアンチサンリオ?海賊王になる男など。

 

まさかウルトラなんとかという方ではないよね?色が違うし!

 

パチンコも多かった。小さい頃から中毒になったらどうすんねん。

 

こんな大掛かりな娯楽も。大人が一人乗っていらっしゃった。ダンナがこれを見て、「练心脏的」(心臓鍛えるヤツだ)と。

 

やがて塔の入口に到着。

 

元は开元寺というお寺があり、その中の塔だったが、今はお寺はなくて塔のみ。以下、百度百科より。

 

北宋咸平四年(1001年),宋真宗为了供奉开元寺僧令能从古印度取回的佛经、舍利而下诏建寺筑塔。 

1001年、開元寺の僧がインドから持って来た仏経、舎利を安置する寺を建て塔を築くよう、北宋の真宗が命じた。

 

北宋至和二年(1055年),定县开元寺塔建成。

1055年、塔完成。

 

清康熙五年(1666年)的雷电,康熙十八年(1679年)和康熙三十六年(1697年)的大地震,定县开元寺塔塔身遭受到一定损害,几经修葺,开元寺塔维持原貌。

落雷、大地震で塔の一部に損害が出たが、修復した。

 

清光绪十年(1884年)6月,定县开元寺塔的东北面从上到下自然塌落,破坏了这一古代建筑的完整。

1986年开始,国家文物部门对定县开元寺塔进行维修。

1884年、塔の北東側が自然に欠落した。1986年から国家文物部門が修復開始。

 

中にも塔があるのが見える。塔の中に塔。白く塗っちゃって、別物に変身。

 

2001年,定县开元寺塔维修整体工程竣工。

2001年に修復終了。

 

こっちは360百科より。

定州开元寺塔,因建于开元寺中而得名。又因北宋时定州地处宋辽交界边陲,此塔“扼贼冲,为国门户”,登之可瞭望契丹,以料敌情,亦名“料敌塔”。始建于宋真宗咸平四年(公元1001年),落成于宋仁宗皇祐四年(公元1052年),塔高83﹒7米,是中国现存最高的砖塔,著名古建专家罗哲文先生誉其为“中华第一塔”。

定州は北宋の頃、宋と遼の境に位置していた。塔に登ると契丹を見渡すことができ、敵情を見渡せることから、「料敵塔」とも呼ばれた。塔の高さは83.7mで、中国現存の最も高い磚塔(れんが塔)なので、羅哲文が「中華第一塔」と賞した。

 

 

赤字の「中華第一塔」の横に羅哲文と名前があり、羅哲文が書いた字だと知る。

ダンナ:羅哲文って誰?

老杨:清华的,搞建筑的

 

私も名前は知っているが、何者が忘れてた。

罗哲文(1924~2012)中国古建筑学家。

1940年考入中国营造学社,师从著名古建筑学家梁思成、刘敦桢等。1946年在清华大学与中国营造学社合办的中国建筑研究所及建筑系工作。1950年,先后任职于文化部文物局、国家文物局、文物档案资料研究室、中国文物研究所等,一直从事中国古代建筑的维修保护和调查研究工作。

 

 

 

塔の中は別料金で上がれるのだが、入口に今日の分は完売と書いてあった。

 

日本軍が攻めて来て、「建設亜新秩序紀念塔」を建てた。その現物が横たわっていた。写真撮らなかったけど。

 

南門から出る。駐車場の方に戻るために北上。塔の一番北を通過。ダンナ「わざわざ入場料払って入らなくても、ここから見ればよかった」。

 

字体が顔真卿だなと思った時に、老杨が「颜体」。ダンナも「颜真卿」と。顔真卿は有名だけど、普通の人はこれが顔真卿風の書体だとわかるんだろうか。中国人が好きなむっちり系の字。

 

顔真卿の書体がわからない人のために画像検索をしてみた。中国語だとここへ。日本語だとここへ

 

このあとお昼ご飯。

 

<続く>

 

ここで撮った写真は个人图书馆に入れた。

 

 

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