昨日より続く。
二日目は朝8時にロビー集合。すぐに車を呼ぶ。30分くらい北上して曹操遗址博物馆。車代は40元台。どんどんどんどんさみしい景色になって行く。誘拐されないよね?
おお!着いた!誘拐されなくて良かった(そっちかい)。
路線バスもあるんだ。駅まで80分だって。もし女1人旅ならば、知らぬ土地で寂れたところだと、滴滴乗らないほうがいいと思う。
入口まで歩いて行くんだけど、風は強いし、とにかく寒い。この時、気温は2度くらい。前日最高気温13度、前々日23度だったというのに、私達が行った二日目は雪予報だった(先週日曜日)。
なぜか漫画。中国の??
2023年4月にオープンしたばかり。ここが博物館かと思って入ったら、チケット売り場(游客中心)だった。大きすぎて笑える!
一旦出る。
次の建物に進む。これは曹操のお墓の一部。屋根はあるが、横に窓なし。
黒い建物に入ると↑中心がこう↓。この中央が墓门。中には入れない。上からガラス越しに望む形。でもなんかちょっと感動。あの有名な曹操の墓だと思うと。
私、三国志、興味なし。中国に留学に来る前に実家近くの図書館で横山光輝の漫画『三国志』はすべて読んだ。そして非常に面白いと思った。あれから32年。内容は何も覚えていない(おいおい)。
この本物の墓の横に階段があって、降りるとそこが博物館。墓を模している。
これが墓の中の複製。
「曹操の墓の真偽」がずいぶん話題になり、「曹操ではない。ほかの〇〇だ」と人名を挙げる学者もいたが、「2009年12月27日,经中国考古学界相关学者确认,国家文物局最终认定安阳高陵墓主为曹操」。2009年に国家文物局が安陽市の高陵を曹操の墓と認めた。
曹操の墓発見までの経緯は、まず鲁潜墓志がきっかけ。1998年にここの村民が土を起こしているときに鲁潜墓誌を発見。墓誌には魏の武帝(曹操のこと)と魯潜の墓の位置が書かれていた。その後「魏武帝」という銘文のある文物、後漢の建築関係の文物を募集した時に、すべて西高穴村付近から出ていると知る。そこで調査したら、出て来たというわけだ。
《鲁潜墓志》1998年4月在安阳县安丰乡西高穴村西北0.5公里处的机砖场里由村民徐玉超起土时发现,因记述了鲁潜墓与曹操墓的具体地相对位置而一时备受关注。高決橋を西に歩いて1420歩などと書かれている。
「魏武王」と刻されている札はいくつもあった。
発掘時の様子。
タッチパネルがあって、墓のどの場所で出て来たかが記され、タッチすると紹介が出てきたり、紹介の映像は離れた場所に二種あった。ともに5分くらいで終わる動画だが、椅子があったらいいのにと思った。
以上が地下二階。次の展示は地下一階。三国時代だもんね。戦争の繰り返し。
札、多かった。“三尺五寸两叶画屏风一”六边形石碑。当時、こんな字を書いていたんだと知れて有意義。
テーマパークのような。
これ面白かった。映像なんだけど、撮ったのは最後。曹操が65歳で亡くなるまで戦に出た足跡。全部で2万キロ。60代は家でお茶飲んでなさいよ。
最後の展示は曹操の年譜。縦書きで木のような色は、木簡に見立てているのか。書体は隷書。材質はは金属だったけど。活字じゃなくて、ちゃんと書家が書いたものを印字している。
荷物を預けているので、最初のチケット売り場の建物に戻る。カフェがあるが、営業しておらず。