先週の平日、「明北京城城墙遗存」へ。北京は昔、城壁で囲まれていた。その一部が残っている。建国门の南の东便门。下が公園になっている。
修復がきれいすぎるが。
花は咲いていて、写真を撮っている老人が多かった。海棠、桃とほかでも見られるので写真を撮らなかった。城壁の上に上がることもできる。
この右下がチケット売り場。10元。
马道。坂道だったが、観光客が上りやすいように、1988年に階段にした。
上に上がったところで振り返る。ここへ前回来たのは10年以上前。眼下に北京駅が見える。この日は西の山もくっきり見えた。
铁炮。1638年製。これ本物だよね。野ざらし。
反対側に崇禎十年(1638年)と書いてある。1963年に广安门駅で発見されて、ここへ移動。
この中に入る。20年くらい前はここに画廊が入っていた。のちに崇文区を紹介する記念館になったが、今はそれもなくなっていた。
中に入って、「おー」と叫ぶ私、貸切。写真映えする場所じゃった。
二階まで上がれて、三階は立ち入り禁止になっていた。画廊だったときを思い出したよ。
今は「内九外七」の展示。
北京城门引分为内城九门,外城七门,皇城四门,龙脉口四门,宫城四门,现代城门等。
北京にあった城壁は以下のとおり。
内九外七
<内九> ▪正阳门 ▪ 崇文门 ▪ 宣武门 ▪ 东直门 ▪ 西直门 ▪ 朝阳门 ▪ 阜成门 ▪ 安定门 ▪ 德胜门
<外七>▪ 永定门 ▪ 左安门 ▪ 右安门 ▪ 广安门 ▪ 广渠门 ▪ 东便门 ▪ 西便门
これは今残っている部分。德胜门、永定门、正阳门(箭楼。城楼)、北京城东东角楼。
马镫(あぶみ)。埃かぶって、気の毒なくらい。「清」って本物だよね?
昔の城壁の門にはそれぞれ役割があった。どこからでも好きなように入っていいのではなかった。たとえば、宣武门。
清代は菜市口が刑場だったので、宣武門は死刑囚が通る門だった。興味ある人はここを読んで。
宣武門は刑場に向かう死刑囚が通る門でした。清代になってからも、こうした門の役割はあまり変わらなかったようです。北京を舞台にした浅田次郎さんの小説『珍妃の井戸』で、清末の啓蒙思想家の譚嗣同が清朝政府に捕えられ、菜市口で処刑されるくだりがありますが、譚嗣同も宣武門を出て刑場に向かっています。
行刑刀(清)。
ここで撮った写真は个人图书馆に入れた。外に出て見上げる。
微博で見た記事。「三月三,游已经无存的蟠桃宫…」。←ここに載っている石碑を見たい。チケット売り場の人に聞いたら「蟠桃宫はもうないよ」。いや、それは知ってるよ。微博の写真を見せても「わからない」と言われる。諦める。
バスに二つ乗って、「新世界」(デパート)へ。造花の桜がお出迎え。趣味がイカれてる。
入ったらすぐに行列。北京冬季五輪のグッズ売り場だった。
目的は「折扣店」(ディスカウントショップ)の「失重宝藏」。かなり広い。商品が入っているダンボールに「HIT GOO」と書いてあるものがあり、チェーン展開している「嗨特购」(HIT GOO)グループだと知る。何も買わなかった。
ここに行ったのは何年ぶりだろう。地下一階にスケートリンク。
近くにカフェはいくつもあるが、寄り道せず帰宅。
最後に過去記事。「東便門」へ前回いつ行ったか、自分のブログで検索した。そしたら二つ出てきた。
一つ目。これで2007年に行ったとわかった。
二つ目。自分で書いたのに、全然覚えてないし、密かに爆笑。