地铁1号线「天安门东」から南池子大街を経由して北上する。
南池子大街の一番南。长安街沿い。↑ここを入ったら、身分証をチェックしている人がいる。私も必要なのかと思ったら、首を振られた。私は地下鉄で上がっただけだが、天安門側から来たことになる。これから天安門方面へ行く人の身分をチェック。
前進。この建物は1918と書いてあるから、そのとき建てたのだろう。
ブログで絶対書いたはずなのに検索できなかった。前回ここを通ったときは営業時間が書いてあって中に入れるようになっていた。ただ高級感漂い敷居が高く、この私が入れなかった。昨日は何の表示もなく、閉ざされたまま。
微信で参観予約ができるのだが、身分証しか入力できない。電話もせず、直接行った。まず「予約していますか?」と聞かれたので「外国人はできない」と言ったら、「できない?」と素っ頓狂な声を出された。知らないのか。外国人が来ないんだろうなあ。健康コード提示だけで入った。
陈独秀とは
[1879〜1942]中国の思想家・政治家。懐寧(安徽省)の人。1915年、上海で雑誌「青年雑誌」(翌年「新青年」と改題)を創刊し、旧文化・旧道徳を批判。1921年、中国共産党が成立すると初代総書記となったが、1929年に※トロツキストとして除名された。(デジタル大辞泉)。
※トロツキスト……左翼の内部で、極左派、分派活動を行なう者をさして批判的にいう語。
編集委員の皆さん。
北側の部屋は「新青年」の編集部として使われていた。
新青年……1915年9月創刊。26年7月廃刊。陳独秀が主宰。徐々にマルクス主義の色彩を濃くし,19年5月にはマルクス主義特集号を発行,その間に胡適らの右派は排除され,中国共産党結成の前後からほぼその機関誌的存在となった。後期には李大釗を代表としてマルクス主義理論の紹介,研究の場となり,近代中国の思想,文化に大きな影響を与えた。
「新青年」の前の「青年雑誌」では表紙の真ん中が顔。これは卡内基(カーネギー)。そして昔のいろんな雑誌が額に入って展示されているんだが、題字が毛筆でいいなーと思う。これは鄭義下碑のような?
なんて言うんだっけ?今時の若い子がやる、可愛いと自分で思ってるポーズ。そして隷書の「國民」。
ここからも充実した秋(気温は冬)の遠足。続く。
追:Wikipediaの陈独秀の項を読むといい。
逮捕されたときの写真なども載っている。