【中国共産党早期北京革命活動旧址】3中山公園「来今雨軒」(鹿鳴館のような) | みどりの果敢な北京生活

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7月11日。最高気温34度。最低気温24度。空気質量指数142。

昨日より続く。
 
陈独秀旧居を出て、昼ご飯。近くて、評価が高いレストランを大众点评で探し、「东门烤鸭店」(54号总店)へ。
 
 
すぐそばに同じ「东门烤鸭店」(东华门店)がある。まったく同じ名前。両方、店員が外で呼び込みをしていたが、評価が高いのは「54号总店」のほうだから、そっちに入る。「あっちも同じ店だよね」と聞いたら、「こっちは本店」と。何気に競争しているように見えた。↓これが入らなかったほうの店。こっちも評価は高い。が、入ったほうがより高かった。
 
贝勒烤肉68元,土豆韭菜炒粉条32元,山东海鲜疙瘩汤32元,砂煲手撕包菜38元,米饭5元✖️3。四人で計185元。
 
海鮮疙瘩汤はあさりのような貝が入っていて、海鮮の味がしっかり出ていて、美味しかった。ほかも味はいいが、体重増えたよ。毎日一回必ず量る。
 
食後、东华门(外)を南へ、そして西へ。故宮のお堀。
 
 
故宮の入口、午门。
 
すぐ横にある「中山公园」。
 
切符売り場の前に馬が降りる目印の石碑。
 
 
健康コードを提示、中国人は身分証を見せて切符を買うのだが、外国人だと言ったら「ちょっと待って。警察が来るから」って。いちいちお巡りさんが来る?というか、常駐しているんだな。2分くらい待たされて、パスポートを見せたら、見るだけで、スキャンするでもなく、こんなもんか?と思う。
 
そしてゲートでX線を通す荷物検査があるのだが、「紙があるでしょ。出して」。いつものアレだ。私のバッグの中にはA4の紙がたったの一枚だよ。ビラでも貼られたら困るんだよね?それしか私は想定できない。見せて、問題なく通過。
 
 
いつもは開いてないところが開いているというので、覗く。入れない。孫文の展示が見えた。
 
 
さっきは裏だったので正面にまわる。閉まっている。
 
ここは社稷坛。歩くガイドブック(私のブログの特派員)に教えてもらった。五色の土がある。
 
ネットからもっとわかりやすい写真を。
 
社稷坛(Imperial Divine Temple),面积约360余亩,始建于明永乐十八年(1420年),是明清两代皇帝祭祀土地神和五谷神的地方。

祭坛上层按照中国东、南、西、北、中的方位区域,分别铺设青、红、白、黑、黄五种不同颜色的土壤,俗称“五色土”。泥土由各地州府运送而来,寓意“普天之下,莫非王土”,象征领土完整、国家统一以及金、木、水、火、土五行为万物之本。<出自百度百科>

 

中山公园のHPに日本語があったので、「社稷壇」の部分を抜粋。

社とは土の神を現し、稷は五穀の神を現す。壇内には五色の土の壇台があり、上段には中央に黄色、東に青、南に赤、西に白、北に黒の五色の土が埋め込まれている。それは、「普天之下,莫非王土(普天のもと、王土にあらざるはなし=天下に皇帝の威が至らないところはない)」ということを意味している。五色の土の中央にある四角形の石柱は、「社主石」または「江山石」と呼ばれ、「江山永固(江山、とわに固し=国土が永遠に堅固である)」という意味を示している。明・清代の皇帝は、毎年旧暦の2月と8月に、この地で社稷の儀式をとり行った。

 

敷地には音楽ホールもあって、音楽会が催されている。その南東に「来今雨軒」がある。
 
 
入口に「客满(満席)」と書いてある。
 
これこれ!魯迅が食べたという包子
 
《鲁迅日记》中有记载,鲁迅曾82次来到中山公园,60次亲临来今雨轩翻译写作、品茗就餐、赏花会友。
『魯迅日記』に書かれている。魯迅は中山公園に82回来て、来今雨軒へは60回来て、翻訳をしたり、食事をしたりした。
 
待ってでも入りたい。店員が外に立っていたので、「中を見ていいですか?」と聞いたら、「健康コード!」って。スキャンして入る。鹿鳴館か!え?ちょっと違う?
 
 
二階が展示室になっているので、見学。毛沢東の若い頃の写真も。
 
すぐに席は空いた。中国茶が4種あり、紅茶にした。一人用または2〜4人用。豌豆黄を注文。
 
テーブルのQRコードをスキャンして注文。食事は包子と、ごく少量の漬物セットのみ。ネットからメニューをコピー。
 
天井高い!
 
冬菜包子は持ち帰った。冬菜,是一种半干态发酵性腌制食品。中国名特产之一。多用作汤料或炒食,风味鲜美。
日本語で調べたら「ミズナ、コマツナ、トウナなど、野菜の少ない冬に出回る菜の類」。食感は野沢菜のよう。塩以外に砂糖も入れてる?甘かった。
 
 
ここへ行ったことをすでに微博に書いたのだが、北京人がコメントをくれた。「来今雨轩曾有两处,公园西侧那个是餐厅,公园东侧就是现在的茶馆。餐厅还供应所谓”红楼梦菜“,茄鲞及晴雯姐姐爱吃的炒蒿子杆等。到音乐堂看演出前经常去吃。后来那个餐厅说要改成”会所“,不营业了。再后来公家不让建会所,停工后餐厅却没恢复营业。茶馆整修后变了网红」。
 
90年代に私が留学していたときに中山公園の中にレストランがあって行きたいと思っていたが、後に閉まった。日壇公園のレストランと勘違いしているのかとうろ覚えだったが、このコメントで明らかになった。
 
「中国共産党早期北京革命活動旧址」が30あって、郊外はなかなか行けないが、市内は行こうと思って、三つ目が叶った。

“来今雨轩”建于1915年,总建筑面积549.4平方米。20世纪二三十年代前后,这里成为北京各界名流雅集之地。以李大钊、毛泽东、邓中夏为代表的一大批先进知识分子常聚“来今雨轩”,参与少年中国学会、文学研究会活动,编辑刊物、研讨交流,传播马克思主义。

少年中国学会」が北京で成立され、交流の場となった。

 
帰途へ。南門から入ったらすぐにある孫文(孫中山)像。字は鄧小平。
 
日本人は「孫文」というが、中国人は「孫中山」という。
 

<号の由来>Wikipediaより。

孫文は日本亡命時代には東京府の日比谷公園付近に住んでいた時期があった。公園の界隈に「中山」という邸宅があったが、孫文はその門の表札の字が気に入り、自身を孫中山と号すようになった。日本滞在中は「中山 樵(なかやま きこり)」を名乗っていた。なお、その邸宅の主は貴族院議員の中山孝麿侯爵で、孝麿の叔母中山慶子(中山一位局)は明治天皇生母である。また、宮崎滔天から孫文亡命の協力を頼まれた犬養毅と平山周が、身を隠すための孫文の日本名として中山忠能(明治天皇の祖父)から拝借したとする説もある。

生まれ故郷である広東省の中山市(孫文にちなんで香山県から改称)、中華人民共和国を代表する大学のひとつである中山大学、南極大陸の中山基地、そして現在台湾や中国にある「中山公園」、「中山路」など「中山」がつく路名や地名は孫文の号・孫中山からの命名である。

 
南門へ向かうすぐ横ということは、天安门。ピカピカすぎでしょ。
 
天安門側の南門が閉じられていたのはちょうど広場の国旗を下げる時間だからだと思ったが、六中全会をやっているからなのか?普段は観光客を出入りさせない南西門から出た。出たらすぐ地下鉄「天安门西」駅。
 
この日の遠足終わり。
 
 
追:
【来今雨轩名称的由来】
在北京中山公园内有一座中华百年老字号茶庄——来今雨轩。它以优越的地理位置、优美的就餐环境及厚重的历史文化底蕴而著名。来今雨轩建于1915年,由北洋政府内务总长,也是中央公园的创始人朱启钤创办。来今雨轩意思是指朋友欢聚一堂之所。其意取自唐代著名诗人杜甫《秋述》小序:“秋,杜子卧病长安旅次,多雨生鱼,青苔及榻,常时车马之客,旧雨来,今雨不来”,取名“来今雨”意喻新旧朋友来此欢聚,对盏者一般都是不计地位名势的真友。如今,来今雨轩成为北京市级爱国主义教育基地。经过前期修缮布展工作,于2021年6月1日正式对公众开放,内设少年中国学会和文学研究会专题展,欢迎游客沉浸式体验中国早期进步人士宣传马克思主义思想的活动场景。

 

動画。
 

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