昼ご飯を済ませて、孔府の出口に戻る。
孔府の出口から北上した私だが、その出口を南下すると(というか、斜め向かいに)陳列室を発見!安堵と感動が一挙にこみ上げる。嬉しすぎる!!ここは書道を学ぶ人が曲阜で絶対絶対絶対行くべきスポットだが、場所がわかりにくい。
これが入口。「漢魏碑刻陳列館」と書いてある。私はここへ行くために曲阜にやって来た。
入ろうとすると、後ろから「不能进去」と声をかけられる。え?やってないの?ドキドキしながら後ろを振り向くと、これ。
登记しないといけない。身分証を提示。なんだ。それだけのことか。いくらでも見せてやるわい。参観は無料。
門を二つくぐる。
一番端から望む。それほど広くない。
真ん中に漢の石人。
汉石人。其一高254厘米,胸围290厘米,胸腹间刻有篆字“汉故乐安太守麃君亭长”,原在张曲村南大墓前,清乾隆五十九年(1749年)移入城内瞿相圃,1953年移入孔庙。其二高220厘米,胸围254厘米,胸腹间阴刻“府门之卒”四篆字。二石人胸间刻字古朴,被历代金石学者所重视。
元は曲阜南東の魯公墓の前にあったが、1953年に孔廟の壁水橋の前に移し、その後いつここに移したかは不明。
左……高さ2m54、胸囲2m90。「漢故樂安太守麃君亭長」と篆書で刻まれている。
右……高さ2m20、「府門之卒」と篆書で刻まれている。
中国で石碑が多く見られるところを挙げるなら、まず第一に西安の碑林だが、あちらは唐の楷書がメイン(非常に有名な曹全碑はあるけど)。曲阜のこちらは漢代の隷書が目玉。
室内に入る。これね、キリがないから、超超代表作だけ挙げる。書道をやっている人から「うおおおおおおおおお」という声が聞こえるわ。
張猛龍碑。
“孔庙三碑”という言い方がある。確かに重要な三つの碑。
《乙瑛碑》《礼器碑》《史晨碑》合称“孔庙三碑”,是碑林翘楚。此三碑年代相仿,风格迥异。
<中国語学習>
翘楚[qiáo chǔ] 原指高出杂树丛的荆树,后来用来比喻杰出的人才或事物。
迥异[jiǒng yì]相差很远,“完全不同”,可以用来形容地位相同的人和事物之间的关系。
礼器。
孔宙碑。
前漢の大型崖墓(魯王一族の墓)の墓室に通じる出入口を封ずるための巨石。当時に工事に携わった人に記されたと考えられている。
凸凹すぎて、今、拓をとったら、字がしっかり写らないだろう。五鳳二年は紀元前52年。2000年以上の前の字が残っていて、目の前で見られるなんて!書道の本でさんざん見て来たものだ。「感動」以外の熟語が思いつかない低レベル。
風化、摩耗しているのは当たり前だけど、ただならぬ凸凹に悲しさを覚える。
2010年に行った人の写真をネットで見たが、この柵はなかった。いいなあ。もっと近くで見たかった。
このとき観光客は女性二人いたのみ。やはり書道がわかる人で、「柵があるの残念ねえ。礼記は1000字、四面びっしり字があるから、後ろも見られたらよかったのに」と言っていた。
その前に間違えて行った、城壁のところにある「中國漢畫碑刻博物館」を地図アプリを開いて、入口の人に聞いたら、知らないと言われた。え?あんな立派に博物館と書いてあるところを、孔廟に勤める人が知らない?どうなってるんだろう??とても不思議だ。っつーか、私が見たのは幻?いやいや、写真に収めたしー。
漢魏碑刻陳列館の、私が撮った写真はここにすべてアップした→曲阜旅游4孔庙汉魏碑刻陈列馆