前回、「私は年間、ほかの先生の授業を100以上見てた。」っていう話をした。
で、そのFB(フィードバック)で、その教師の「気づき」を確かめ、その人が何を意識し、何を目標にし、どこまでの日本語教師を目指しているかを確認すると。
意識が変われば、授業が変わる。
授業が変われば学生が変わる。
学生が変われば、クラスの雰囲気が変わる。
クラスの雰囲気が変われば、この仕事の面白さが変わる。
これっていいスパイラルじゃない?
でも、逆の場合もある。
どんなに努力しても、どんなに徹夜して教案を考えていっても、クラスの雰囲気は変わらない。
なんか、学生の食いつき悪いし、やる気なさそう。
寝てるし、携帯いじってるし、母語で話してるし。
そして最後は、教師がモグラたたき状態で、注意をギャンギャン繰り返し、授業が終わる。
この繰り返し。
私の苦労って、徒労?
そんな思いばかり毎日繰り返されて、やりがいのなさが心にしみてくる。
もう辞めよっかな~。
こんな人、結構多いんじゃない?
最近、せっかく養成講座に通って日本語教師になったのに、やめていく若い人が多いと聞く。
もちろん、仕事量の割に給料が安いとか、いろんな理由があるだろうけど、日本語教師の給料が安いなんて、いまや周知の事実だし、金しこたま儲けたいから、この仕事を選んだんじゃないでしょ?
やりがいを感じたい。
異文化の人たちに触れて、自分の経験を活かして、いい仕事がしたい。
機械的な、誰でもできる仕事でなくて、私じゃなきゃだめ!あなたが必要!って言われる仕事をしたい。
自分を成長させて、やりがいを感じる仕事がしたい。
こんな人結構多いんじゃない?
だって私だってそうだったもん。
で、日本語教師になって、スキルアップすればするほど、震えが来るぐらい面白いこと、感動することがいっぱいあった。
でね、ここがポイント。
ただ、日本語教師の資格をとって、面接に合格して、雇われて、教壇に立っただけじゃ、それなりのものしか待ってない。
そのまま2年、3年と仕事を続けていっても、仕事には慣れるけど、なんとな~くルーチンな日々になり、毎年同じことの繰り返しになり、スキルアップした実感もなしに、1年が過ぎていく。
それで10年たって、学生に「10年経ったんだから、そろそろ感動させてくれよ。」って言ったって、それは大間違いなの、わかる?
自分がスキルアップして、よりいいもの、より高度なものを学生に与えることができるようになったら、その提供したものに対しての代価が「感動の大きさ」なんだよ。
それは教える技術や知識だけじゃない。
留学生とはいえ、大人なんだから、人間としての大きさ、深さも測られる。
むしろ、言葉が通じない分、その先生の「言葉じゃない部分」、醸し出す何かをきっちり測られる。
(まぁ、私も若輩の修行中なんで、あまり偉そうなことは言えませんが。)
だから、10年ルーチン先生をしてて、震えるような魂の感動もなく、「まぁ、この仕事はこんなもんかな。」って思い始めたら、終わり。
その先生は、もう成長しない。
もうスキルアップできない。
朽ちていくだけ。
学生からも、並みかそれ以下の先生って思われて、それなりの扱いしか受けなくなる。
でも、実はこんな先生、多いような気がするんだけど。
で、そんなルーチン先生のしたに、「今日から日本語教師になります!よろしくお願いします!」って、ピカピカの新人が入ってきても、夢破れて辞めていくのは、ある意味当たり前でしょ?
いい先生なら、生徒にも、後輩にも、いいものを与えて、その代価として感動を頂きなさい。
ところであなたは生徒から、震えるような感動を、頂いてますか?
(総論ばかりでごめんね。次回は「どうすれば?」という各論に、ちょっと踏み込みます。^o^