日本語教師は育つもの?育てるもの? | 管理職日本語教師の、相当深~いつぶやき。

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私たちの可能性は、こんなもんじゃない。

最近ツイッターで、養成講座で勉強中の人とよく会話する。
今から日本語教師になろう!と夢を持って張り切っている人が、「徹夜で教案書いてた」なんて記事を読むと、「あぁ、なんとか頑張ってほしいな」と、こころからそう思う。


ところで、養成講座の先生もピンキリで当たり外れが大きいらしい。
何を質問しても、的確に答えてくれる先生もいれば、
反対に、質問しても、はぐらかしてばかりで終わる先生。
「なんでこんなこと勉強しなきゃいけないの?」という内容を、おもしろくな~く垂れ流している先生。
など、いろいろらしい。


養成講座の先生って、自分がいい授業ができるから、養成講座の先生に選ばれたんじゃないの?
だから養成講座の月謝も高いんじゃないの?
まぁ、中には学歴だけ素晴らしい、学者タイプの授業なんておもしろくな~い先生もいるかも。(笑)


私の意見だと、外国人にいい授業ができる先生は、日本人にでもいい授業ができるはずって思うんだけど、違う?

私は教務部長時代、年間延べ100以上の授業を見てた。
そしてそれを全部記録した。
いいところも悪いところも全部。

見るのは教室の後ろで、だまって壁のように静かにして1回に30分だけ。
4時間ずっと張り付いて見ていると、担当教師が緊張で疲れて、授業全体が固くなってしまうし、それにその人の授業のいい悪いは30分も見れば十分わかったしね。

授業後は、希望する先生には必ずFB(フィードバック)を行った。
私がいた学校の先生方は、経験値はまちまち。年齢もまちまち。
でも、溢れる向上心を持った人ばかりだったので、「FBは必要ありません。」なんて人、今迄に一人もいなかった。(私が怖かったからかも(笑))

まぁ、全て私が面接で、「向上心と熱意とやる気」だけで選んだ人ばっかりだったからね。
いいチームだった。

FBは1回60分~90分。
どうしてもそれくらいかかっちゃうんだよね。
それが午前と午後、二人の先生を見たら、一日にFBだけで3時間近くかかることになる。
そりゃ夜中まで仕事してたわけだ。(笑)

FBといっても私が話してるばかりでない。
私が質問して答えてもらっている時間も長い。

まず質問すること
「お疲れ様。今日の授業はどうでしたか?」

これで何がわかる?
それは教師の「気づき」

私が「ここはいいね。うまくいった。」「こりゃまずいな」と思ったところとおんなじところで同じように気づけているか。
これによって、その先生が何に気を付けて授業をしているかが、大体わかる。

時間も内容も、教案通りに進めるのが第一優先なのか。

学生が誰も私語をしないように見張るのが第一優先なのか。

とにかく楽しく、一人も退屈しないように、一人もほかの世界に行かないようにするのが第一優先なのか。

かいてきた絵を、ちゃんと全員に見せるのが一番気を付けることなのか。

声をず~っととにかく大きく出すことが一番気を付けることなのか。

中には「そんなこと気にしなくてもいいよ。」っていうことを悩んでいる場合もあるし、
「そんなことより、もっと優先して直してほしいことがある。」って、優先順位を間違えている場合もある。

気を付けることがわかっていても、それが第一優先のことじゃなかったら×。
第一優先で気を付けることがわかっていても、その直し方がわからなかったら×。
直す必要はあんまりない、って思ってたら、大×。

この辺のところを、「この人の意識は今どの辺なのかな?この人は何を目指している人なのかな?」と探りながら、話を聞く。

それを聞いて改善方法を話したうえで、次の質問。
「じゃ、次にできるようになりたいことは何ですか?」

教師養成だって、クラッシェンちゃんの「 i + 1 」が当てはまる。
やる気のある先生だからって、あまり一度に高いレベルのことを要求して「 i + 5」ぐらいになっちゃったら、やる気なくして潰れていくだろう。

だいたい人間なんて、手2本、足2本しかないんだから、そんなにたくさんのこと、一度に直せないでしょ。
これもピアノやテニスと同じ。

でも時には目標高く、高~い山を登ろうとウルトラCに挑戦して、ひっくり返って泣いてたりするから、
「あなたが次に目指せばいいのは、こんなことなんじゃない?」って提案してあげる。
それも養成者の役目だと思う。

反対に、いつまでも
「はいOKです。いい授業でした。」とか
「もう少しこうしたら?」っていうアドバイスが、どうでもいいことだったりする、役に立たん指導者もいる。


養成者のアドバイスが「i + 0.1」ぐらいで、いつまでも難易度を上げなかったら、生徒は大平原を歩き続けて、ちっとも山を登れない先生になってしまう。
そしてそんな授業を毎日繰り返していたら、そのつまらん授業が化石化して、10年たってもレベルの低~い授業しかできない先生になってる。

これじゃ、育つもんも育たんわな。
(でも業界には結構こういう先生、多いんだぜ。)


そして私。
一年中こんなことばかり、何年も繰り返していたら、何かが私の中で育った・・・ような気がする。


自分で言うのはおこがましいけど、見る目は相当養えたと思うよ。
日本語の授業だけじゃなくて、自分が習っているテニスとか英会話とか。
もっと言ったら、ちょっと占ってもらったり、ちょっと道を教えてもらった時だって「あ、この人教え方うまい」とか、「へたくそ!」とか、すぐ教えてくれた人を批評するくせがついた。(えらそうに、ごめんね。)


中には、口数が少ないのに、目や動作だけでポイントを伝える達人もいるし、
べらべらおしゃべりな割に、どうでもいいことを垂れ流してけむに巻いている奴もいる。


どんな状況でも、その人の学歴や経歴に関係なく、少し話しただけで、教え方がうまいかどうかを、判断するのがうまくなったと思う。
職業病だな、こりゃ。


日本語教師。


やはり一番実力が着くのは、本物の外国人の生徒20人の前で、ある一定の時間授業をすることだと思う。
でも、養成講座ではなかなかこういう環境は難しくて、どうしても受講者同士、一人持ち時間20~30分ぐらいの実習が多くなると聞いた。

だったら、一回30分でいいから、日本語学校で教育実習させてあげれば?


日本人同士で模擬授業を10回繰り返すんだったら、外国人のクラスで3回教育実習したほうが、絶対力つくよ。

確かに事前の準備や確認に時間をとられるかもしれないけど、これだけ日本語教師が足りない昨今、日本語学校でも助かるんじゃない?

うまくいけば、自分のところに就職してもらえるし。

教案だけじゃなくて、統制やパフォーマンスまで、ちゃんと指導できる、実力ある先生がいれば!の話だけどね。

ところで、一番最初の話に戻るけど。

あなたのところの養成講座の先生って、どうよ?