浴室 -5ページ目

わたしにとって

損得勘定のない気持ちというのは、存在しないのではないかとふと思った

それはまあ、肉親であれば存在はするけれども


「喜ぶ顔が見たい」


と、思って何かアクションを起こす、けれどもそれは相手にわたしの望みアクションを気持ち良く(さも自分が選んだかのように)させるためであって

わたしのアクションに対して何も返ってこない相手に対しては、以後一切アクションを起こさない、あるいはアクションの質を変化させる


それはほとんど全ての人間が無意識のうちに選択していることなのかも知れないけれど、わたしは度を超しているかも知れない

つまり常に


「わたしがどう動いたら相手がどう動くか」


を考えて行動するということ、言うなれば


「いかにわたしにとって都合の良い人間となるように教育するか」


ということ


初めのうちは計算してあれこれ考えていたけれど、今は勘

並列回路が直列回路になったような、そんなイメージ


きっとこれから先もわたしはこうやって生きていくのだと思う

気を遣って、自分を殺して、そっと隠して


仕事のためなら、寧ろわたしの夢のためなら、反吐が出そうなほどの人間に媚びへつらうことなんて、何の苦でもない


目的達成のために捨てたものが多ければ多けほど、その目的の価値が上がるから


大切に大切に育てて、壊れる瞬間を、壊す瞬間を心待ちにしている


寧ろ、壊すその瞬間のために大切に大切に育てているのかもしれない、そっと微笑む


これがわたしの、損得勘定のない気持ち

再・補足

わたしと彼氏が出会ったのはお昼間の職場関係なので‥つまりわたしは現在、三つの顔を持って生きていることになります

1日のうちに何度もわたしの顔は変わります

問題なことは、顔を変えること、すなわち3つの顔のどれもが、わたしはそこそこに好きだということです

しかしながら、彼氏に会った後に愛人さんに会うのは流石に気が引けるのでどうにかしなければ‥と思っております

でも、どちらに対して「気が引ける」のかは判りません

なぜならば、どちらもわたしにとっては違う側面から必要だからです

わたしは結局どっち付かずです、きっと甘い蜜だけ吸っていたいのです

わたしが誰かにとって最高に都合の良い人物であることを努力し、提供する反面、わたしも相手にそのようなことを求めているのでしょう

だから、誰かの一番になる感覚が不思議なのです

補足

愛人さん・彼氏に話していると言っても、勿論両方に「お付き合いしている」と言っている訳ではありません

(というか、愛人さんとは彼氏彼女の関係ではないとわたしは認知しておりますが)

そんなデンジャラスなこといくらわたしでもできないです

彼氏のことは好きですが、しかしながら夜の仕事も愛人の仕事も辞められません

目的と手段を選びすぎるわたしだから、こんな状況になっているのかもしれませんが、彼を失うことと仕事を辞めること、天秤にかけてもどちらが重いかが今はよく判りません

しかし、夢を諦められないことだけは事実なので————