お久しぶりの投稿となりました。

毎日暑い暑い日が続きますが、

夏バテなどされていませんでしょうか?

あくせくしていたら、

あっという間に秋でございますびっくりマーク

夏の思い出は皆さま作れましたでしょうか?

 

ここからブログの本題に。

タイトルにある通り、

発達障害診断のためにウェイス検査諸々の窓口になっていた、

1年間通院したメンタルクリニックでの通院を停止することにしました。

 

理由は主に3点あり、

①セカンドオピニオンのため転院を考えていること、

②病院都合で先生が3人代わってるにも拘らず、診断に関する再審査や言及もなく

見立てを変える気配がないから

③先生がコロコロ変わり安定しない

 

これらの理由でセカンドオピニオンを実行することにしました。

 

先日、福祉相談で病院をご案内いただいたり、

また自身でもセカンドオピニオンに明るそうな病院を探し自分で予約して

診に行って貰った結果、一旦一つ目の病院の先生からは、

「明らかに発達障害です」というFBをいただきました。

今通ってる病院で受けたウェイスの検査結果や、

これまでの生活履歴などをまとめたものを見せながら説明し、

「もし今後ご希望されるなら、障害者手帳申請のための

診断書を作ることも可能ですし、ADHDに関する投薬治療も行うことができます」

と伝えられました。

私のウェイス4の結果から、能力差ギャップや諸々に関して共感してくださり、

今通ってる病院の医師より通じ合えるところがあり、

やはり私がこの1年間感じてきた違和感は間違いないかったと安心しました。

一方で、ほんの少し自分の隅っこに現れた感情としては、

「やっぱり自分は健常者ではなかったんだ」というものでした。

障害者と診断されたくて、セカンドオピニオンを受けたにも関わらず、

上がってきたのは紛れもない差別感情でした。

 

私は自分のことをこれまで様々な生きづらさを抱えながら生きてきた1人として、

「いろんな人がいいる」という思いを持ち、

主にその人に貼られてるレッテル、やってる職業(犯罪系は除く)などを中心に、

「差別意識がない、人の気持ちに寄り添える人間」と自分を捉えていました。

しかし「障害者手帳」という単語を貰った時に、

私の中には誰に教わったかもわからない、

「優生思想に基づいて良し悪しを判断している自分」が

存在していることに気が付きました。

 

自分の中に確実にあった差別感情と優生思想。

これに気づいたことへのショックが心を占めていたように感じました。

当事者の友人に言われた「プライドを捨てていくこと」

これらの覚悟が自分には備わってなかったのだと痛感しました。

 

今回の出来事から、そしてこの地点から

自分は何が受け取れるか?

何が、そしてどんなモノの見方と過去の記憶が

自分をジャッジしてきていたのか、それを探しにいく時間になったように感じます。

 

本日の共有はここまで。

また続きを書いていきます。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました!!

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは!

すっかり、梅雨入り宣言した地域もありますが、

皆様如何お過ごしでしょうか??

この時期は、自分が気付かぬうちに無理してる

【六月病】という状態になりやすい方も多いと

耳にしました。

5月病はよく耳にする事はありましたが、

六月は祝日がないこと、

4月~5月に仕事やレジャーに

無意識に勢いがつきすぎてて気付かぬ内にたまった

心と体の疲れが六月に出る症状との事です。

また、梅雨入りすることで、

「気圧の変化」も影響するそうびっくりマーク

自分の疲れに耳を傾けて、

心と体のシグナルをしっかり逃さないように

過ごしたいなと、感じました。


そんな時、「中度知的障がい」の診断を受け、

ご自身の体験をベースに動画や

ライブ配信を行っている方の配信を行っている

方と、コメント越しにお話させていただきました。

その方は、精神発達年齢をドクターに「八歳」と

言われたと仰ってましたが、

言語能力が高く、言葉と頭の回転が早いので

そんな風には感じないというのが

私の率直な感想でした。

一方で、学校の勉強についていけず、

九九が途中までしか分からない、

最終学歴が中卒で、

入った仕事も長続きせず、

障がいの診断と年金申請が降りるまでは

いわゆる苦労続きで

社会の泥水をすすってきた、

そんな半生だったと仰っていました。


実際に自分ではどうにもならない事で苦労し、

色んな感情で押し潰されそうになった経験を

したからこそ出てくる言葉が沢山あり、

私の目には少なくとも、

中度知的障がいの発信者様が九九が言えなかったとしても、漢字が読めなかったとしても(実際、読み間違えはありました)、

「知性と聡明さ」を持ち合わせた方と映りました。


私は世の中や精神医療が優秀と定義する、

人間の知性・知能・スキルって一体何なんだろうか?

とその方から発せられる言葉を受けて、

改めて疑問が湧きました。

「各項目のIQがバランスよく高いこと?」

「複雑な化学式や因数分解が解けること?」

「処理速度が早くてマルチタスクが得意なこと?」

「漢字の読み書きが完璧なこと?」

「ITツールを使いこなせること?」

こういった事だけが本当に人間の知性や教養、

スキルを形作るものなのだろうか?と

改めて感じました。


ここで、本題回収にはいりますが、

配信者さんの言葉で、

とても背中を押された一言で、

心があたたかく、

そして軽くなった言葉に触れました。

今回皆さんにもシェアします。

それは、

【上見なくて良いから、前は向いていよう。時々後ろ振り返ったりしながらでもいいからさ!】

という言葉でした。

自分が境界知能と知らずに生きてきた時に、

知らず知らずの間に

「人より常に目標もって上見なきゃ、落ちこぼれる」という謎の感覚を纏ってきた私に、

今までで一番響いた言葉でした。


どんな場面でも適用できる言葉だなと思って、

気分が落ちたときにも思い出すようにしていますびっくりマーク


今日のブログはここまでです。

最後までありがとうございました飛び出すハート






皆さん、こんにちは。

すっかり4月の中旬を過ぎましたが、

皆様如何お過ごしでしょうか??

私は・・お仕事の繁忙期で、行こうと思ってた桜のお花見が終わってしまい、気付くと桜が散ってましたえーん


実は、ちょうど先週、今通ってるメンタルクリニックから主治医退職の連絡がありました。

内容は「急遽○○医師が退職しました。4月からは他の医師に変わります」とショートメールが入った。 


実は4月の終わりに診察予約入れてて、且つ先生から直接「4月から私の曜日変わりますが来れますか?」と聞かれた後、「その曜日なら通えます」と話したところだったのにガーン

実を言うと、今年に入り、直前になって「急遽お休みになりました」と事務からショートメール入る機会が数回あって、溜まってる有給消化して辞めようとしてる?という印象は薄々あった。


 3月時点で既に、退職決まってたけど、言えなかったのだなとここで繋がりました(ていうか、私の曜日ですらないじゃないですか、先生(苦笑)) 。


これから、違う医師に引き継がれても、通い続けるか、以前スレッズでご意見伺ったセカンドオピニオン兼転院を考えるか、現実味を帯びてきました。 

発達障がい検査と不眠の兼ね合いで通院始めたけど、ADHDを抑える薬も含め投薬してなくて、

自立支援(1割負担に抑えられる制度)も手続き様子見してたから、転院はしやすい状況。

ひとまず新しい医師と会って考えます。


勤務医を複数名抱えてるメンタルクリニックの強みであり、弱みでもあるなと、今回感じました。 

合わない先生の時は、代えてくださいと相談しやすい判明、特に問題ないぞと思ってて、

少しずつ自分の事を話せるようになってきたと思ったタイミングで、医師が退職する事もある。 


上記の点では、開業型のクリニックの方が長く診てもらいやすい印象はある、ただ先生との相性次第。これまでメンタルクリニックに通った事がなかったから、折衷案見つけるのが難しいですね。 

ちなみに、辞める月の診察なんか、正直御座なりになるよねと、感じた。


 だって「俺(私)来月から居ねーしな」みたいな気持ちを多少なりとも持ちながら診察するのは、正直あると思うあせる先生達も人間だからね(苦笑)と、

ほんのすこし思いましたびっくりマーク


今日はこんなところで終わります。

最後まで読んでいただきありがとうございましたビックリマーク



お久しぶりの投稿となりましたびっくりマーク
桜の季節が近づいてますが、
みなさまお元気でお過ごしでしょうか?ガーベラ

最近の私は、季節の変わり目に、
心身の健康が落ちるタイミングもありましたが、
そんな時間だからこそ見つめなおせた事や味わえた感覚もあり、これも生きてるからこそ分かる感覚なのだとしみじみ感じた時間でした。
意味がない感情や感覚ってないのだと、改めて思いました。

今日のテーマは、諦める感覚、仕方がないと思えるか、自分を許せるか、これらについて。
精神科医の益田裕介先生も仰いますが、
「仕方がない」と思える事で、自分本来を受け入れる感覚のことですね。
これがスムーズにできるかできないかで、
人生の生きやすさが変わってくるというお話です。

これは何も、何でもかんでも諦める事で人生を放棄するという話ではなく、自分が生まれながらに持っている弱さを知り、手持ちのカードでどう有効に生きていくかが大切という風に、私は解釈をしています。

その弱さが体力の方もいれば、言葉に敏感、感覚過敏など神経面での弱さ、私のように境界知能もしくは軽度知的といった知力の面で弱いところがある、
このように人によって様々です。

他人から目で認識できる弱さならまだしも、
内側に隠れているものは、数値化できるわけでも指標があるわけでもないから、他者には理解してもらえなく、自分にしかわからないことが多い。
理解を得られず辛辣な言葉を浴びる事もあるかもしれない。
ただ、それでも自分だけは、自分が持つ弱さを受け止め、自分の味方でいられる時間が以前より増えただけでも、前進の証しではないかと、受け止められるようになりました。

そんな時に出会った、
「続 最後から2番目の恋(2014年)」で、
小泉今日子さん演じる主人公が言っていた
セリフが印象的でした。
一言一句合ってはいませんが、主旨は
「大人になると、ここまでやってきた(やれた)、ここまでしかやれなかった、そう思う事があるけれども、
少しでも自分のしてきた選択、成果を肯定し、
受け入れることで、生きられている」
という言葉でした。
4月からの新シリーズ開始に合わせ、
TVerで視聴した時に出会った言葉でしたひらめき電球

生まれ持った弱い部分は、選択とは異なり、改善する事が難しいことも多いですが、
その後の自分の歩み方、心の持ち方、
それを踏まえた人との繋がり方は、
選択していける、それが上手に諦める事に繋がるのだと実感した今日でした。

最後まで、今日のブログをお読みいただきありがとうございます。
素敵な1日をお過ごしください☆









 

2025年が始まり、1月も中旬を過ぎましたが、

みなさんお元気でしょうか?

私はお仕事したり、合間で美味しいもの食べたり、

月1のメンタルクリニック通院を新年早々終わらせたり、日常を送りながら、

昨年からの課題の整理をしたり、

来月の旅の計画を立てたり、そんな日々を送ってました。

インフルエンザがまだまだ流行っておりますので、どうか皆さんご自愛くださいませDASH!

 

さて、今回は昨年書かせていただいたブログの内容で、

私が「境界知能(IQ70〜84 知的障害未満、健常者未満)」であることが判明したことをお伝えし、

その際のブログに「自分だけの問題ではないから、メディアや出版社、当事者YOUTUBERなど

様々な人を巻き込みながら、生きやすくなる活動に加担したい」と併せてお伝えしていましたが、

年始は、その時に書いたことが一つ形になり、前進しましたビックリマーク

 

実は、「なんばさん」という当事者YOUTUBERとして発信されてる方と繋がる機会をいただき、

YOUTUBE内でコミュニティの作成発表がなされ、

そこで管理人としての応募が告知され、2024年の年末に応募しました。

 

その際に、ご縁あってお声かけいただき、先日「どんなコミュニティにしていくか」という

キックオフミーティングがオンラインで開かれ、参加してきました。

自己紹介から始まり、どんなコミュニケーションスレッドが必要か、

コミュニティールールはどうするか、といった導入にあたってのお話をすることができました。

実際のリリースは春を予定しており、残り約3ヶ月間で、本業の合間で管理人としてやることを

話し、当事者に寄り添ったコミュニティを作るための活動に加担することになりました。

 

これまでは情報をもらう立場でいた自分が、当事者として自分自身も向き合っている課題を通じて、

福祉領域とも違う、マイノリティと認識されている私たち境界知能人が生きやすくなる、

第三の場所(サードプレイス)を独自に確立していくための活動に参加できることは、

私自身にも大きな意義を感じています。

小さな一歩だったけど、後々大きな形に結びつくような気がしています合格

 

なんばさんは、Abema、TBS、街録チャンネルからのインタビューに応じていらっしゃるので、

ぜひ、この機会に興味ある方はご覧になられてくださいビックリマーク

YOUTUBEの中で「なんばさん 境界知能」などと検索すると、表示されますくるくる

 

また、Kindleでの電子書籍、商業出版もなさっているため、本を通じてヒントになることもあるかと思います。

なんばさんの最新版はこちらです

   ↓

 

 

以上、告知も兼ねたお知らせでしたびっくりマーク

 

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

皆さん、お久しぶりです。
あっという間に2024年の年末を迎えようとしていますが、

今年は皆さんにとってどんな1年でしたでしょうか?
私は、発達検査、自分のIQ、過去の歩み、知能、交友関係の再構築、

6年ぶりの東京滞在etc、様々な変化のあった1年でした。

前半は苦しい時間も多く過ごし、自分のこれまでの人生やこれからの人生、

様々な不安が押し寄せました。

でも、無理にポジティブに変換するのではなく、

今あるがままの自分を見つめなおすことが大切だと思い、

静かに淡々と自分を見つめ、できる事から1つずつ片付ける事に集中していくうちに、

思わぬヒントが得られたり、人との出会いがあったり、思いがけず短期の旅に出る事になったり、

そうこうしているうちに「未来の自分はその試練や鍛錬が必要だと思って、

あえて自分に敷いていたのかもしれない」と、

【時間は未来から流れてくる】を実感する場面が増え、

自分のこれからの使命の一つが見え、視座が上がっていった瞬間に、

気付くと自分の気持ちが前向きになってきていた、そんな1年でした。

 

まだ、具体的に2024年の経験から具体的に何を目標にするという事はきまっていませんが、
考えていることが1つあります。

それは「自分の経験に基づく考え」を誰か必要としてくれてる人のために、

何らかの形で差し出す、シェアすることを強化する1年にしていければと考えています。

その手段として、ラジオとかにも挑戦できたらなと考えています。

メディアとの連携を強めていけたらとも考えています。

 

かなり、冒頭の書き出しが長くなりましたが、今回はタイトルにある「精神科受診のコツ」について、

発達障害絡みで月に1度受診をしているなかで、

主治医に問診で話すことで私が次回受診までに何を意識してセルフモニタリングしているか、

まとめてみました。もし参考になれば幸いです。
 

①自分が苦手だと感じた作業があったか、その作業を行ったとき、自分のなかでどんな感情が沸きあがってきたか?
②自分の実行機能の弱さ、不器用さを感じた瞬間や場面はあったか?

③飲酒の量はどうだったか?お酒を呑む時のモチベーションや動機はどんなものだったか?
 (例:喜びからの飲酒だったか、もしくは憂さや抑圧している感情を誤魔化す為の飲酒だったか?)

④お金を使う量や頻度は適切だったか?

 

以上、4点が私が自分のセルフモニタリングをするうえで大切にしている要素です。

特に、私が大事だと思って自分に問いかけているのが、

③の飲酒のとき「喜びからの飲酒か、何かの解放を望んでの飲酒か?」を問うようにしています。

お酒はいうほど飲めないのでたいした量にはなりませんが、どんなモチベーションでそれを選んでいるか、

それによって、自分の無意識が浮かび上がるからです。

ちなみにこの行動は、藤井風君の歌詞にもある「動機は愛が良い」にヒントを得て取り入れました。

 

もしなにか気に入ったものがあれば、ヒントになれば嬉しいです。

今日の投稿はここまでです。また何かあれば引き続き記事をUPします。

 

今年も1年お疲れ様でした。皆さん良いお年をお迎えくださいね(^^)

 

 

 

 

【備忘録】
今日は完全に備忘録でお届けします。

最近興味があること、
進めたいこと、
検討してる事が多くなってきたので
吐き出し用に🗣️
全然面白くない投稿になります(笑)
(頭の中だけでぐるぐる🌀すると
決断疲れ?を起こしてくるかも)

●Spotifyのプレミアム会員への以降
→無料期間あり、プレミアムになることでどんなメリットあるんだろう?
●schooという講義アプリの月額会員移行
→生配信以外の講義も聞くことができて980円、これもたしか無料期間あり

こうして書いてみると✍️私はどうやらサブスクに抵抗があったり元々感心が低いみたい・・
Amazonプライムもネットフリックスもしてない、唯一やってるのはYouTubeプレミアムのみ。

●ニューロダイバーシティについて調べる
→発達障がいの兼ね合いから

●11月末にまた東京に行くか、もしくは関西(京都方面)に行くか、どっちにしよう
→東京は代々木で音楽イベント、そもそもチケットとれるかどうかからスタート。
あとは、9月に会えなかった知人と友人と会いたいなとかなんとか・・(←心の声ありw)
→関西は完全に観光目的🍁

✍️書いて形にすると整理されますね~

自分用のノートに書くのもOK、でもこうしてシェアすることで新たな発見を得たりひょんな繋がりに繋がるのが、ソーシャルメディアを見方につけることかもと思った、1日でした!

本日も訪問いただき有難うございます!

 

9月末は久々の東京訪問をした月でした。

あっという間に10月に入りましたが、皆様如何お過ごしでしょうか?

 

福岡から名古屋で暮らし始めて、

初めての県外訪問。

ここ数年、旅行に行く機会もなく、

暮らしに慣れるのに必死だった最中、

用事ができ、久々に遠方へ出ることに。

福岡→愛知を見た時の感想と、

愛知→東京を見た時の感想と、

自分の中でどのような化学反応が起きるか確認した2日間。

 

結論は、6年ぶりの東京、

しかも初めて訪れる五反田という事もあり、

かつGoogleナビが示す方向が見事に逆方向で

なんでこんなにたどり着けないのと

悲しくなって、、結局2人の人に聞いてなんとかたどり着けたのはよかったのですが、

その最中は愛知というより自宅に帰りたい気持ちになっちゃいました。。

 

自分の今回の決断を応援してあげたかった一方で、

心でふつふつ出てきたのは

境界知能の自分を責める声。

そして日常を飛び越えて、

かつ福岡にいたころよりアクセスしやすくなった東京に

新幹線で行く試みをはじめて行った自分、

チャレンジをした自分を責める声、両方の声だった。

転居してから、ずっと愛知にしかいなくて、

この2年慣れない土地で懸命に暮らしてきた自分を、

ほんの少し日常から解放して労ってあげる意味もあった東京訪問だった。

 

一瞬「東京に行く選択した自分」を責めそうになったし、

そしてやっぱり「私は境界知能だから、地図も読めないんだ」、

「頭がフリーズしちゃうんだ」

「自分の特性わかってるんだから、なんで前やったみたいに

今回は事前にGoogleストリートビューで

しっかりシミュレーションして行かなかったんだ、

なんでシミュレーションの時間きちんと取れなかったんだ」

という責める声が正直頭に浮かんでいたのです。

 

あとは、福岡→愛知にきて、2年前は右も左もほぼ分からず、

仕事からいろいろ手続きに行くための場所の確認から

それこそ初めて行く場所はGoogleナビで行かざるを得なくて、

ナビも何回も使って知らない場所に足を運んできた実績が沢山作られていたから、こなせる自分を知っていた。

正直、以前福岡でしか暮らしてなかった頃より力がついている

自分というセルフイメージもついていた。

にも関わらず、五反田駅からすぐ近くの場所なのに全然たどり着けない、

時間が18時で日没後で道が暗くて分かりにくいという

環境要因を加味しても、情けなかった。

窮屈だと感じていた愛知の自宅に帰りたくなっていた・・

 

どうにかこうにか、ナビと2人の方へ道をお尋ねしてたどり着けた。

 

なんか聞くところによると、東京駅、銀座、品川駅など主に山手線が通ってるところは、

Googleナビが反対方向を指す傾向が高いと東京在住の友人に教えてもらい、

五反田もそれだったんじゃないかと後から教えてもらいました。

私だけの問題じゃなかったんだと知り、少し安心しましたあせる

 

結論、今回はオフ会への参加で訪問した五反田でしたが、

現地には愛知県出身者と仰る方もいて、

東京という街で「愛知県出身です」「名古屋出身です」と聞くと

ホッとしている自分がいました。

今自分が住んでる地域の事も話せましたしあじさい

(ちなみに、福岡出身者はいませんでしたw)

 

最終的に感じた事は、2年経っても私のマインドはほぼ福岡人のまま、

言葉はいま全く博多弁は話してないし、

かといって名古屋弁も話せないし正直話す予定もないからw

もっぱら標準語だし、地元玄界灘の新鮮な魚介が恋しくなるし、

愛知になじんでる実感はあまりないまま過ごしているけど、

私なりに今住んでる名古屋とつながりや愛着を持とうと

適応してきた2年間だったんだと実感した東京滞在でした。

 

今回も少し長くなりましたが、最後までお読みいただき有難うございました!!

 

お久しぶりの投稿です。

まだまだ残暑厳しい中部地方:愛知県ですが、

すこしずつ秋も感じられる日が増えてきた日々です。

 

さてさて、本題にある

グレーゾーン診断という結果を経て、

自分の中で全ての踏ん切りがついたかというと

そういうわけではありませんが、

まず、自分の過去から歩んできた経緯と現在地を知れた事は一つステップに繋がりました。

できること、できないことの分別もそうですが、

同時に、人間関係含む諸々の

「環境設定がいかに大切か」

「合った環境にいかに身を置くか」

この2点も非常に大切な視点になる事も収穫になりました。

 

ただ、自分が今居る環境にも寄りますが、

社会生活を営む上では長い目で見たときに

「手帳があったほうが説明しやすい場面もあるかもしれない」と

思うこともあり、どんな些細な事でもいいから日常の中で感じた、

苦手事・困り事を記録していく週間を作っていこうと思いました。

ちなみに、これは東北に住むADHD当事者の友人からアドバイスをもらいました。

 

マスト思考が働きすぎるときつくなりすぎるから、

日常のできる範囲で1日1つでもいいから、

記録していく事から始めようと考えています。

どんなノート買おうかな?と検討中。

 

また、お医者さん変えてのセカンドオピニオンも検討しています。

なにか今の主治医に不信があるとか、

何が何でも!と診断をおろしてもらう事だけを目的にしているわけではなく、

今後も長く付き合っていく自分の特性だから、

「セカンドオピニオン」で異なるお医者さんからの

意見をも頂きたいなと思いました。

 

一気に何かを動かしていくことは難しいけど、

1日1mmずつでも刈り取っていく、

この心がけを忘れずにいきたいなと感じています。

 

そして、今回気持ちの面でのもう一つの変化や気付きをお伝えすします。

それは、「自分を発達障害グレーゾーンや境界知能当事者という箱の中だけで

自分を理解するのではなく、私というものがまず中心にいて、

その周辺特性として発達障害グレーや境界知能当事者という

側面があるんだという視点に変える」

あくまで木の幹は私、そこから派生する枝葉として

発達障害グレーや、

境界知能が派生しているという事。

 

 

このことに気付いて、フィードバックを受けた直後より、

楽になっている自分がいることに気付きました。

それまでは幹の部分が境界知能や発達障害グレーで私というものが枝葉の部分になっていました。

 

この考え方に行き着くまでにも、複数の人からちょっとした投げかけをもらっていた言葉がヒントになりまして、

その中でも例えば、私は藤井風さんの音楽が好きなのですが、

先日おなじ藤井風ファンの知人と話していたとき

「風君の音楽を聴いているときに、”あー私は発達障害なんだ”とか

“あー私は境界知能なんだ”とか考えて音楽聴いたりしてないでしょう?

純粋に風君の歌詞や歌声に感動しているあなたがいるはずだよ。」

という言葉でした。

 

あー、そうだ、

自分の中ではテーマが大きすぎて、

中心が大きくずれてしまっていたけど、

まずは「私」という人間がどういう人間であり、

どうありたいか、

それがとても大切な事だった、

それを思い出させてくれた出来事でした。

 

最後に、今回約3ヶ月を経て感じる事がもう一つ。

発達障害や境界知能の人が生き易く、

幸せになるためになにが大切なのか?も感じました。

処理速度の遅さを補うためにデバイスやツールを見直す、

PCのTodoリストを活用する、

メモが手離せない人は文具情報を見直す、アップデートする、

生活面での日常的な困り事は業者

もしくはNPO法人を頼る(NPOの例:役所書類の内容の翻訳や理解促進の援助)、

などなど、ライフハックやテクニック的なことは欠かせません。

目が悪い人が眼鏡やコンタクトをするように、必要不可欠です。

 

ただ今回、私は上記で上げたテクニック的なこと以外で、

もう一つもっと大切な事に気付きました。

それは「人との繋がりを大切にする事」

これがさらに大事な事だと感じました。

気持ちの面でも一人で抱え込まない事、

オンラインでも対面でもいいから、

吐き出す事。

同じ様な状況の人がいることを、

テクノロジーの進化した今の時代はすごく見つけやすいはず。

決してこんな悩みを抱えているのは

自分ひとりだけなんだと抱え込まない事。

人と繋がるアクションを取り続ける、

これもすごく大切だと気付きました。

 

本日は色んな思いが噴出して、

とても長くなってしまいましたが、

最後までお読みいただいてありがとうございます。

 

素敵な1日&9月をお過ごし下さい☆

 

 

 

 

 

今日もお越し頂きありがとうございます。

3月頃から連続して発信している

「大人の発達障がい検査」の

兼ね合いで受けたWAIS(ウェイス)という

知能検査の結果だけフィードバックを受けました。


検査自体を通ってる病院の分院にしか心理士がいないからとの理由で、名古屋の栄(サカエ)にある 分院で受け、普段通ってる方の主治医とは今週話すので具体的な診断はまだ下されてませんがかなりいろんな事を突き付けられました。
これまでの生きづらさが分かった一方で、
このIQでよくFランじゃない大学行って、
キャリアコンサルタントの資格も取ってとか、
自分の人生がよく分からなくなった次第でした。

ウェイス検査の結論を言うと、
わたしは総IQ:81、
標準ゾーンの中の下というランクに位置することがわかりました。
ちなみにIQの平均を100前後とするそうです。
これは自分で調べた事ですが
日本人のIQの平均が
100~105だそうです。

各種項目の平均で81が弾き出され、
わたしは言語理解や説明の部分だけが
113と高く、それ以外の項目が平均から平均未満と
めちゃくちゃな凸凹でした。
IQ79~70は標準と知的な遅れの境界線上の能力
と記されていたため、かなり境界域に近いことがわかります。

一方、私のなかで1つ違和感を感じていることが

あり、それは境界知能の捉え方です。

境界知能は医学の中で正式な診断名としては

存在しませんが、

「IQ70~84:境界知能(知的障がい未満、健常未満)」と各種文献、精神科医の情報発信、NHKの特集番組など、多数のメディアで発信されており、

なかでも「ケーキの切れない非行少年」という

5~6年前に出版された本で、非行に走った少年少女のIQを調べると境界知能だった事がわかり、本当は困っていることが沢山あるのに、知的障がい未満だからと

公的支援から外され、教育現場などで見過ごされてきた彼らの状況をクローズアップし、

境界知能という言葉を有名にした本でもあります。


ちなみに境界知能に位置する人の割合は

国民の14%程と言われています。

一クラス30~35人くらいの学級で、

6~7人に1人はいる計算。

ちなみに血液型AB型の割合とそう変わりません。

よく考えると意外といる、

すごく珍しいわけでもない、

けれども知的障がい未満だからと

困り事が深くても福祉や公的支援からは外される。

健常者のフィールドで同じ事を求められる。


この本でも同等の数値で提示されているなか、
なぜウェイス4の結果ではわたしのIQが
標準ゾーンの下に位置するのか、

そこに対する説明を行って頂きたいと考えていて、

どのように医師に伝えるか今考えどころの1つではあります。


正直なところ、境界知能というものは今の日本の基準だと知的障がい未満になるので、
それ単体での障がい者手帳の取得はできないそうです。

うつ、ADHDなどの発達障がいを併発してる場合に
精神障害としての手帳申請が可能ということで、
境界知能単体では障がい者手帳の取得申請ができないという現実です。

わたしの場合、ADHDの指標も出てると言われてはいますので、そこを汲みとってもらわないと困るというところが正直な気持ちではあります。

かつて、1970~80年代までは知的障がいに含まれていたけど、社会保障費の増大や支援員の不足で
無理やり健常者枠に押し込まれているのが実情です。
私が学生の頃は、身体障がい、完全な知的障がいの子の支援級の概念が登場したのが、
私が5,6年になる頃。
またまだ療育の概念もなく、

教師にも認識が薄い時代。


90年代生まれ以降の子は

教師にもその知識が浸透し始め

気になる子には病院の受診、

療育の声かけがなされはじめたりしていたけど

ちょうどゆとり世代と、 

昭和世代の狭間の年の私の時代にはそれがなかった。。

40手前になって、あと何年生きるかもわからないのに、突き付けられるこの現実。

私はこれに関しては

今闘わなきゃいけない事案だと思っていて、
かつ境界知能に関しては

情報がなかなかおりてこない実情もあって

マスメディア、当事者YouTuber

いろんな人や事を巻き込んで発信していくために何ができるのか?そんな事が今同時に頭をよぎっています。


「個性を活かすんだ⭐」とか、
自分1人だけの寝言みたいな事言ってられないと

思ってます。

私1人だけの問題じゃない、そう考えています。


そして発達障がいないしは境界知能以外の人達から

「個性を活かすのが一番ですよね」とか

そんなの発達、知的関係なく
誰でも個性活かすのが一番だろと思うし(笑)、
一部の精神科医やカウンセラーが
「IQだけが知性を表すものではない」とか、
発するけどそんな温い寝言聞かせられたくありません

、が本音。

そして、寝言は寝てから言って欲しいw

もちろん、悪意はなく、
真からの言葉であっても、
現実を突き付けられた事がない人間には、
わからないと思うからです。
たとえ医療人であろうと。

今回の結果を、伝えると宣告していた

自分の親に伝えるか否か、
いろんな思いと葛藤していますが、

このことを知ってもらう活動、

自分も含めて該当する人が生きやすくなる

活動に加担できないか?が同時に浮かんでいます。


長くなりましたが、

ご報告blogでした。


最後までお読み頂き

ありがとうございます。