「先生ってなんで今やってる仕事しようと思ったんですか?」
こんなことを聞かれたことは1度や2度ではありません。
本当、「毎年聞かれてるんちゃうか?」と思うくらい頻繁に聞かれます。
正直僕は高2生までは医学部志望でした。
もっと言えば、心臓血管外科に進みたいとはっきり決めていました。
実際に医学部に入ると、その志望分野が変わってしまうことが多いことも知っていましたが…。
それでもなぜか明確に心臓血管外科に進みたいと思っていました。
そもそも医者になろうとは、少なくとも10歳のときには思っていました。
その当時通っていた小学校で「2分の1成人式」なるイベントをやったときです。
その最後に「各自自分の将来の目標を書きましょう!」と言われ、小さなカードに書いたのをはっきり覚えています。
引っ越しを何回かした関係で、そのカードはどこかへいってしまいました。
ですが、しばらくはずっと持っていて、何かのきっかけがあればチラチラ見ていたのも覚えています。
でも、実はそのときに書いたのは「医者になりたい」というコメントじゃなかったんですね。
なぜか「医者になりたい」と書くのが恥ずかしく、「大学で数学の教授になりたい」と書いたのを覚えています。
これはこれで大概じゃないか、というツッコミはここでは気にしません(笑)
しかし、逆にこの経験が、僕がより一層「医者になりたい」と思うことにつながっていきました。
「もしかしたら恥ずかしいと思ったのは、なれる自信がなかったからかもしれない…」
そんなことも何度も考えたこともあります。
そんな中、「京大医学部か阪大医学部か京都府立医科大医学部に行きたいな」なんて志望大まで明確になったのは高校生になってからでした。
それぞれちゃんとした理由があったのですが、ここではおいときます。
それはともかく、それ以前から医者になることしか考えずに行動していました。
中学生の頃はどこか漠然と京大に対する憧れみたいなものを持っていて、最終的に行った灘高とは違う高校を志望していました。
しかし、最終的には「京大医学部に受かってるのは灘の方が断然多いじゃないか!」、そんな事実に気付いて灘高志望になり受験するに至りました。
こんな感じで進んでいるなら絶対僕は医者になってたはずなんですが、結論は違います(笑)
まぁ正直なところは講師職にも憧れがあったんですね。
完全に『受験』という世界で生きてきた僕です。
そしてその過程の中で、いろんな塾・予備校の良い先生に遭遇してきました。
高校に受かったことも、大学に受かったことも、そういった講師の人たちに出会ったからだとはっきり確信できるほど感謝しています。
そんな経験があったからこそ、「勉強を通して人を救うことも十分かっこいいじゃないか」なんて思いました。
その結果、講師職に対する憧れを持つに至ったわけですね。
これらを総合して僕が考えた結論は…
「講師を先にやって向いてなければ医者になる」「医者を先にやって向いてなければ講師になる」という2択でした。
現実的に考えた場合、ちょっと後者は難しいんじゃないかと思い、前者を選択するに至ったわけです。
僕はこれで良かったと思っています。
正直医者に対する憧れは今でもあります。
年を重ねて、周りに医者の同級生・後輩が増えていくにつれ、「医者っていいなー」なんて思うことも増えてきました。
それでも僕は今も続けている講師という仕事で良かったと思っています。
こういうのを『天職』っていうんですかね?
みなさんはなぜ今の仕事をしているんですか?
明確な意義を持って今の仕事をしているんですか?
今している仕事に誇りを持っていますか?
別に喧嘩を売っているわけじゃないですよ。
少なくとも僕の周りには、「今やっている仕事は天職かな?」なんて思える人にたくさんいてほしいな、なんて思っちゃうんですよね…。
少なくとも僕は「俺は講師が天職だと思っているから」と言いたいですね。
こんなことを聞かれたことは1度や2度ではありません。
本当、「毎年聞かれてるんちゃうか?」と思うくらい頻繁に聞かれます。
正直僕は高2生までは医学部志望でした。
もっと言えば、心臓血管外科に進みたいとはっきり決めていました。
実際に医学部に入ると、その志望分野が変わってしまうことが多いことも知っていましたが…。
それでもなぜか明確に心臓血管外科に進みたいと思っていました。
そもそも医者になろうとは、少なくとも10歳のときには思っていました。
その当時通っていた小学校で「2分の1成人式」なるイベントをやったときです。
その最後に「各自自分の将来の目標を書きましょう!」と言われ、小さなカードに書いたのをはっきり覚えています。
引っ越しを何回かした関係で、そのカードはどこかへいってしまいました。
ですが、しばらくはずっと持っていて、何かのきっかけがあればチラチラ見ていたのも覚えています。
でも、実はそのときに書いたのは「医者になりたい」というコメントじゃなかったんですね。
なぜか「医者になりたい」と書くのが恥ずかしく、「大学で数学の教授になりたい」と書いたのを覚えています。
これはこれで大概じゃないか、というツッコミはここでは気にしません(笑)
しかし、逆にこの経験が、僕がより一層「医者になりたい」と思うことにつながっていきました。
「もしかしたら恥ずかしいと思ったのは、なれる自信がなかったからかもしれない…」
そんなことも何度も考えたこともあります。
そんな中、「京大医学部か阪大医学部か京都府立医科大医学部に行きたいな」なんて志望大まで明確になったのは高校生になってからでした。
それぞれちゃんとした理由があったのですが、ここではおいときます。
それはともかく、それ以前から医者になることしか考えずに行動していました。
中学生の頃はどこか漠然と京大に対する憧れみたいなものを持っていて、最終的に行った灘高とは違う高校を志望していました。
しかし、最終的には「京大医学部に受かってるのは灘の方が断然多いじゃないか!」、そんな事実に気付いて灘高志望になり受験するに至りました。
こんな感じで進んでいるなら絶対僕は医者になってたはずなんですが、結論は違います(笑)
まぁ正直なところは講師職にも憧れがあったんですね。
完全に『受験』という世界で生きてきた僕です。
そしてその過程の中で、いろんな塾・予備校の良い先生に遭遇してきました。
高校に受かったことも、大学に受かったことも、そういった講師の人たちに出会ったからだとはっきり確信できるほど感謝しています。
そんな経験があったからこそ、「勉強を通して人を救うことも十分かっこいいじゃないか」なんて思いました。
その結果、講師職に対する憧れを持つに至ったわけですね。
これらを総合して僕が考えた結論は…
「講師を先にやって向いてなければ医者になる」「医者を先にやって向いてなければ講師になる」という2択でした。
現実的に考えた場合、ちょっと後者は難しいんじゃないかと思い、前者を選択するに至ったわけです。
僕はこれで良かったと思っています。
正直医者に対する憧れは今でもあります。
年を重ねて、周りに医者の同級生・後輩が増えていくにつれ、「医者っていいなー」なんて思うことも増えてきました。
それでも僕は今も続けている講師という仕事で良かったと思っています。
こういうのを『天職』っていうんですかね?
みなさんはなぜ今の仕事をしているんですか?
明確な意義を持って今の仕事をしているんですか?
今している仕事に誇りを持っていますか?
別に喧嘩を売っているわけじゃないですよ。
少なくとも僕の周りには、「今やっている仕事は天職かな?」なんて思える人にたくさんいてほしいな、なんて思っちゃうんですよね…。
少なくとも僕は「俺は講師が天職だと思っているから」と言いたいですね。