この写真は、私がアメリカでお世話になっていたヴァイオリンの教授、ミリアム・フリード(日本語Wikipediaのページはこちら)が先日SNSでシェアしていたものです。
20世紀の名指揮者セルジュ・チェリビダッケによる言葉だそうです。
美しさがなかったら
我々は芸術を創造しないだろうが、
美しさは目的ではない。
それは好餌である。
※baitは「誘惑」や「おびき寄せるもの」とも訳されます。
美しさがなければ、
我々はそれを超えることはない。
シラーが言ったように、
美しさを見つける者は、
いつの日か
美しさの背後には
真実があることに気づく。
下手な訳ですいません💦
とにかく感銘を受けました。
美しいだけの演奏が心に響かない理由は、これかもしれない。
2010年の夏。
私はアメリカのタングルウッド音楽祭でフェロー(研修生)として2ヶ月を過ごしました。
若き小澤征爾氏も研鑽を積んだ音楽祭です。自然豊かな素晴らしい環境で音楽に没頭して、素晴らしい音楽仲間に出会う場所。私は声楽伴奏ピアノ部門のフェローとして参加していました。フェローとは演奏家として音楽祭に招待されるのではなく、オーディションで選ばれた若手演奏家で、音楽祭の教育プログラムの研修生という位置づけです。2ヶ月間の合宿生活で一流の先生方から指導を受け、音楽祭に出演するためにやってきた世界的な演奏家からも指導を受けます。2ヶ月分の寮滞在費の一部はフェローが支払いますが、それ以外の経費はボストン響の支援者たちによる寄付によってカバーされています。フェローによるコンサートは毎日のように開催され、音楽祭の主役であるボストン交響楽団のコンサートはもちろん音楽祭へ招聘された世界一流の演奏家のコンサートを毎晩のように聴くことができます。
あぁ、本当に夢のような場所だったなぁ〜
そこで、あるピアノの先生に言われた衝撃の一言。
君の演奏は美しすぎるんだよ。
褒められたのではありません。意地悪な言い方に変えれば、こんな感じになります↓
君は音だけ綺麗に弾いていて
中身がからっぽだよ、
ピアノの上手なお嬢ちゃん。
私はすでに30歳で博士後期課程にて論文執筆中の立場。普段は音楽院で伴奏ピアニストとして働いていたので、すでに「お嬢ちゃん」ではなかったはずですが💦多分先生の中ではこんな意味だったと思う。
この先生はアメリカ屈指の「声楽伴奏ピアニスト」の先生で、この時私はある声楽曲でバリトンの伴奏をしていました。
先生のレッスンを受けるたび(レッスンのスケジュールは音楽祭教育プログラムで細かく指定されているのです)、この言葉を言われ続けました。
私は「え〜!じゃぁどうすればいいの?」と悩みました。
音楽院では伴奏ピアニストとして評価を得ていたし、自分の演奏に自信がないわけではなかった。それを大きく揺るがす言葉でした。
その後は、自分なりに考えて、「ただ演奏する」のはやめよう、と思いました。「何をどのように感じて、演奏で伝えるのか」と、少しずつではありますが、意識するようになりました。
先生の言葉を今になって振り返ると、「ピアノを弾くこと」や「音楽を奏でること」に対する意識を根底から変えさせてくれた、ありがたい言葉だと思っています。
それでもまぁ、本番の緊張とか色々あると今でも「ひとまず安全に弾く=きれいな音で弾いとけばいいや」という〈逃げ〉になってしまうこともしばしば。うーむ、難しいですね。
美しさの背後には
真実があることに気づく。
うむ、音楽を奏でるとは美しさを求めることではないのだ。
真実を求めることなのですね。
2021年2月現在、
少しずつレッスン会員様が増えてきています。
レッスンでは音楽を共有する喜びと充実感を大切に、
豊かな時間になるように取り組んでいます。
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