マウンテンフリークのブログ -6ページ目

●新田山(たつの市新宮町)に登る

たつの市は平成の大合併によって出来た市です。

と言いますかそれまでは旧龍野市と旧揖保郡(新宮町、揖保川町、御津町)が有ってそれらの町が合併したのだ。

旧揖保郡の新宮町には新田山と言う小高い山が有ります。

夏場にはこの山から打ち上げられる花火大会も開催される。

一度は登ってみたかったのですがその機会を得ました。

新宮町で所用を済ませた後に時間が出来たのです。

それでは登ってみましょう。

麓からの標高差は僅かで自宅近くの愛宕山よりも楽チンであろうがとにかくチャレンジだな。

 

 

   2023/11/09(木)

麓から新田山を眺めると頂上に向かって車道が通っている様で白いガードレールが見えます。

"な~んだ、車でも登れるんじゃないのか?" と思ったが実際に登山口に着いてみたらそうではありませんでした。

ご覧の通り林道の入口はチェーンで塞がれています。

 

(登 山 口)

此度はこの山に登れるか否かは不明だったので登山の用意はしていない。

従って足元は登山靴ではなくて運動靴でストックは登山口に有った木の枝で代用とするしかなかった。

まあええやろ!

どうせ登下山と言っても30分程の事であろうからな!

大きくジグザグを切って上り詰めれば北側の頂上の一角に着く。

ここからの東側の眺めは写真の通り。

眼下に広がるのは揖保川を挟んで広がる新宮町の中心部の町並み。

 

(北側ピークからの眺め ①)

此方は西側の眺め。

R179に沿って工場や民家が犇めくが比較的人口密度が高いのはこの周辺のみ。

ここから500mも西に進めば農地の割合が高くなる。

 

(北側ピークからの眺め ②)

頂上に鎮座するこの岩は "からす岩" と呼ばれます。

播磨風土記には "天の星が落ちてこの岩になった!" と記されているそうだ。

この新田山の頂上部は "西山公園" と呼ばれている事を初めて知った。

国民宿舎新宮荘の傍の東山公園に対して此方は西山公園。

 

 

(からす岩)

この山の頂上部は南北に長い。

頂上部の通凹部にはシルバーに輝く巨大な給水塔が建つ。

これは安里52高地(那覇市)みたいだな。

ここからの眺めが下の写真です。

此方は鶴嘴山から連なる山並みかな?

 

(第二ピークからの眺め)

給水塔を過ぎれば頂上広場はすぐそこです。

ちょっとした広場となっておりグラウンドゴルフ場としても使えそう。

西の隅っこには休憩ベンチが有りコンクリート造りの塔が建つ。

 

(頂上広場 ①)

頂上広場広場にて記念撮影。

新田山最高j所はこの広場であります。

11月と言うのに未だに "薮蚊" が多いのにはウンザリ。

 

(頂上広場 ②)

頂上広場から見た南側の眺め。

麓に見えるのが "龍野北高校の校舎" です。

巨大な校舎が棟並ぶ大きな敷地を持つ学校で遠くから見れば巨大な集合住宅の様にも見えてしまう程だ。

そしてその後方には農地が広がりその後方に聳えるのがNTTの電波塔が建つ的場山だな。

もっと空気が澄んだ日では瀬戸内海も見えるかもね!

 

(頂上広場からの眺め ①)

頂上広場から " 新龍アルプス " を眺める。

今年の5月に兄貴と縦走登山を行った山域であります。

赤松氏所縁の城山城跡が有る山です。

 

(頂上広場からの眺め ②)

眺めを堪能したので下山に掛かります。

と言ってもたかが標高差50mですから児戯に等しい様なもの。

往路とは違って南側斜面に付けられた踏み跡を辿ります。

トラバース気味に高度を下げて5分足らずで登山口に戻った。

あまりにも麓との高度差が無さ過ぎて登山と言うよりも "軽い散策レベル" の活動でした。

 

(トラバース気味に下山)

 

 

  (コースタイム)

登山口(15:34)~北側の展望地(15;40)~からす岩(15:42)~頂上広場(15:46~53)~登山口(16:01)

 

甲子園歴史館を訪れる (後編)

    2023/11/08(水)…後編

景浦は沢村栄治(巨人)との名勝負を繰り広げた強打者であったが終戦の3ヶ月前にフィリピンで戦死した。

オールドファンの中には彼を初代ミスタータイガースと呼ぶ人も居たとか…。

松木は大阪タイガース創立時からの生え抜き選手で戦争から復員後は阪神の監督も務めた。

若林はハワイ生まれの二世で阪神では投手として活躍した。

233勝は現在も阪神の投手では最多勝記録。

 

(景浦・松木・若林)

土井垣は1940年に大阪タイガースに入団して捕手として活躍した。

打撃面でも別当・藤村・土井垣のクリーナップはダイナマイト打線の主軸を担った。

三宅は三塁手で遊撃手の吉田とは鉄壁の三遊間を成した。

連続試合出場も700試合に達して金本知憲に抜かれるまでは記録は維持した。

ある意味ではケガに強い選手だった様だが私は土井垣並びに彼の活躍した時代は記憶にない。 (涙)

 

(土井垣武・三宅秀史)

小山は投げる精密機械とも称された制球力がずば抜けた好投手。

NPB史上金田正一。米田哲也に次ぐ320勝投手で村山実と並んで阪神のエースとして活躍いたがやがては山内一弘との交換トレードで阪神を去る。。

遠井吾郎は私がものごころが付いた頃には代打でよく出場していたくらいしか印象に無いが後に打撃コーチなども務めたらしい。

 

(小山正明・遠井吾郎)

旧い選手ばかりの記事も面白くないと思いますから私の記憶に残る選手について述べてみよう。

藤田平は私が23歳の頃まで活躍した阪神の生え抜き選手で守備位置はショート。

確か1981年は首位打者にもなったし生え抜きでプロ通算2000本安打を達成したのは阪神では彼が最初で後に監督にもなった名選手。

江夏豊は私如きがが述べるまでもなかろう。

阪神時代は江夏vs王の勝負は野球ファンの垂涎の対決だった。

阪神を離れてからは南海(現在のソフトバンク)→広島→日本ハム→西武と渡り歩いてクローザーとして大活躍した。

私が人生で初めてプロ野球観戦をしたのは1981年夏で日本ハムvs南海戦(後楽園球場)でしたが最終回の無死満塁のピンチを三者三振に切って取った彼の力投には感動しました、

また私が浜松に住んでいた頃に会社の50周年記念行事に江夏氏が招かれて講演会を開いて下さった事も貴重な経験だった。

 

(藤田平・江夏豊)

阪神の歴史を語るにはやはりこの2人は避けて通れない。

1985年に初めての日本一に輝いた時のランディ・バース&掛布雅之。

バースは三冠王に二度輝き、掛布はミスタータイガースの称号を受けた強打者。

掛布が頭角を現し始めたのは私が中学生の頃で鮮明にその事は覚えています。

試合中に受けた死球によるケガの影響で33歳の若さで引退してしまったのは阪神ファンにとっては非常に遺憾な出来事だった。

それでも将来は阪神の監督に就任して欲しいと私は思ってますが果たして実現するでしょうか?

 

(バース・掛布雅之)

此方の写真は "阪神の歴代監督" です。

現在の岡田彰布監督は35代目と言う事になる。

とは言っても彼も監督としては二度目ですから実際は "就任した監督の数=歴代監督の数" と言う方程式は存在しない。

吉田、村山、岡田と言う面々は複数回その地位にあった。

唯一の外国人監督としてはブレイザー氏も居ます。

その内で日本一になったのは吉田(1985年)、岡田(2023年)の二度。

プロ野球の黎明期から存在していた球団としては少し寂しい成績だが来年も優勝して日本シリーズ連覇を果たして欲しいですな。

 

(歴代監督の写真)

此方は2023年にセ・リーグ制覇を果たした時の品々。

当時の監督は "故星野仙一" でしたね。

因みに当時は未だCSは行われておらずペナントレースで優勝すれば即日本シリーズ進出でした。

選手達のサインが記された色紙と試合で使われたボールの展示。

 

(2023年セ・リーグ優勝 ①)

此方は2023年のセ・リーグ制覇(いわゆる "ARE" )の品々。

岡田監督は優勝と言う言葉をあえて使わずAREと表現して話題を攫った事は周知の事実です。

 

(2023年セ・リーグ優勝 ②)

此方もAREについてのコーナー。

セ・リーグ制覇を決めて胴上げされる岡田監督の写真と阪神の優勝を会え合わすロゴマーク(ARE入り)。

ショーケースには坂本捕手のバットが展示される。

 

(2023年セ・リーグ優勝 ③)

此方は2023年のCSファイナルステージ(阪神vs広島)を制して "CS突破記念シャーレ" を掲げる岡田監督を一面にしたスポーツ新聞。

CSを突破できなければセ・リーグ制覇もぬか喜びになってしまいますからこの時は私もホッとした事は覚えております。

 

(2023年CS突破の新聞見出し)

前述の新聞に掲載された岡田監督が掲げていたのが此方のシャーレです。

シルバーに輝く高級感溢れる代物で私も手に取って万歳をしてみたいと感じる程です。 (笑)

これも貴重な品としてこの歴史館に保存されるのであろうな。

 

(2023年CS突破記念シャーレ)

いよいよ最後に近付きました。

ご周知の通り2023年の阪神はセ・リーグ制覇→CS制覇→日本シリーズ制覇と勝ち進み見事日本一となりました。

"2023NIPPON CHAMPIONS" のロゴマークの左側には今年二度目の胴上げを受ける岡田監督の写真が飾られています。

ショーケース内には第7戦でノイジーが放った3ラン本塁打のボール、優勝後のビール掛けに使用されたTシャツが納められている。

 

(2023年日本シリーズ制覇 ①)

最後にこのコーナーで自分撮りです。

時刻も16時を過ぎてかなり来館者も疎らになましたが週末ならば終日に渡って通勤ラッシュ並みの混雑となるのは必定だな。

とにかく2023年は我われ虎キチにとっては大満足のシーズンになった。

時刻は16:30ですから3時間半も拝観に費やした訳です。

まあええやろ!

初めての拝観なんだから悔いの無い様に館内を網羅しないとね!

 

(2023年日本シリーズ制覇 ②)

退館してからよく考えたら本日は自宅で朝食を食った以外には何も口にしていないではないか!

そこで歴史館に付属するパン屋さんで軽く食っておきました。

エネルギーを補給しとかないと帰路でバテてしまいます。

 

(軽 食)

外は未だ明るいので甲子園球場の外周を歩いて一周する。

歴史館前のテラスから甲子園球場を撮影する。

現在はシーズンオフで静かだが来春の4月にはまた賑やかな季節が訪れる筈だ。

 

(甲子園球場 ①)

此方は "タイガースショップ " です。

同じ様なショップが4ヶ所有る様ですが当然ながら営業はしていない。

阪神が勝てばグッズは売れてファンもお店もウィンウィンになれる。

そんな日々が来シーズンも続いて欲しいぞ!

 

(甲子園球場 ②)

来年は甲子園球場が開設されて100周年になるそうでそのカウントダウンモニュメントが設置されていました。

本日の時点であと267日らしいです。

これに伴って何かのイベントが催されると思うが詳細は知らない。

それよりも阪神が日本シリーズ連覇を果たしてくれる方が嬉しいしそれが最高の100周年アニバーサリーになるのではないかな?
 

(甲子園球場 ③)

17:40で散策を終えてスクーターに跨って帰路に着く。

R43をひたすら西進するがどうも往路とは違う道を走っているらしい。

三ノ宮でR2に合流する筈だからそのまま道なりに進む。

陽が落ちてからは気温が急激に下がって寒気が来ます。

125㏄は加古川・姫路バイパスに入れないので明石からは明姫幹線(R250 )に入る事になります。

燃料が切れそうなので高砂市内で給油してひと安心。

しかし、加古川→明石→神戸と東に向かうに従ってガソリン価格が高くなっている。

因みにたつの市では160円/Lが普通だがね。

自宅に着いたのは22時になりました。

甲子園歴史館までの距離は往復で180㎞と125㏄にはしんどい1日でした。

 

 

   (番 外 編)

余談ですが私が通院している某整形外科の診察室の壁には11/6から写真のグッズが吊るされていました。

聞いたところでは病院の職員の1人が虎キチでして院長先生の許可を受けて飾ったそうです。

許可を受けて撮影させて頂きました。 

暫くは阪神日本一のフィーバーが続きそうです。 (笑)

 

(診察室に飾られた阪神グッズ)

●甲子園歴史館を訪れる(前編)

最初に読者の皆さんにお知らせ致します。

此度の記事(甲子園歴史館の訪問)は二部制(前編&後編)になっていますが記事の内容を鑑みて先行公開とします。

甲子園歴史館の記念バッジの配布が期間限定である事並びに通常の時系列での公開となれば来年の6月になってしまいますからこれでは意味を成しません。

それで小生の独断でそうさせて頂く事に決めた次第です。

尚、数週間後にはこの歴史館の記事は引っ込めて来年(2024年)6月に再公開として時系列に沿う様に修正致します。

以上よろしくお願いします。   by=マウンテンフリーク

 

 

2023年は我われ阪神タイガースファン(通称:虎キチ)" にとっては至福の1年でした。

38年もの長い間待たされた日本一の座を勝ち取ったのだ。

正直なところ "現有戦力では旨く行ってCS進出で御の字かな?" と思っていたが蓋を開けてみれば岡田監督の絶妙な采配が功を奏して予想外の快進撃。

夏場の死の長期ロードも難なく乗り切って9/14にはセ・リーグ制覇。

そして歴史に残る熱戦の末にオリックスとの日本シリーズを制して日本一を決めたのです。

11/6のお昼のニュースで甲子園球場に隣接する "甲子園歴史館" では先着2万人の来館者に " 阪神タイガース日本一記念バッジ " を配布しているとの旨が報道されていた。

この施設については私は予てから存じていましたが未だ一度も訪問した事がありません。

虎キチとしては一度は拝観すべき場所ですので行ってみる事にした。

日本一になった直後ですからちょうど良いタイミングであろう。

この様な気持ちになるには日本一になったと言う様な何らかの "切っ掛け" を要したと言う事かな? (笑)

それではスクーターに跨って出発です。

尚、以下の文章に於いては選手の呼称については "敬称略" として記載させて頂きます旨、予め申し上げます。

 

 

   2023/11/8(水)…前編

自宅からスクーター(スズキ アドレス125㏄)に乗って現地に到着したのは12:40。

駐輪場を探すのに少し手間取ったが無事に愛車を置ける場所を発見。

 

(甲子園筋)

エスカレーターで2階のテラスに上れば甲子園歴史館は目と鼻。

私にとっては32年振りの甲子園球場への訪問です。

30歳の頃に高校野球観戦で訪れて以来で阪神ファンでありながら何とも情けない話である。

 

(甲子園球場をバックに撮影)

平日にもかかわらず続々と観客が中に入って行きます。

彼らに誘われる様に私も入館となりました。

 

(甲子園歴史館)

入館料は一般大人が900円ですがプロ野球各球団のファンクラブ会員、年間会員などは割引が有る様です。

展示室の入口でチケットを見せたら記念品のバッチを渡されました。

11/28迄の期間限定で2万個の配布だそうです。

 

(配布された日本一記念バッチ)

最初のブースは阪神タイガース(以下。阪神と略記)が創立以来初めての日本一に輝いた時(1985年)の品々の展示。

当時の阪神ナインのサインボール、バット、グラブ等の展示。

1985年はR・バース、掛布、岡田の強力なクリーンアップに加えて不動のトップバッターの真弓が打ちまくったシーズンでした。

あれから38年が流れたのだから私も爺になった訳だ。

 

(初めての日本一)

壁に貼り出されているのは "セ・リーグ優勝のペナント" です。

その大きさには目を見張る思いです。

展示されているのは2003年の物ですが2005年にもセ・リーグ優勝を果たしていますが何れも日本シリーズで敗れています。

 

(セ・リーグ優勝のペナント)

私があまり知らなかった事は阪神の創立についてです。

阪神の前身である "大阪タイガース" と称した職業野球チームが発足したのは1935年です。

当時の選手達の集合写真をバックに当時の品々が展示される。

 

(大阪タイガース創立)

現在も阪神ファンに親しまれている "阪神タイガースの歌(通称:六甲おろし)" の楽譜も展示される。

この歌は他球団のファンでも空で歌える程に浸透している。

"阪神=六甲おろし" と連想する人も多いのではないだろうか?

 

(大阪タイガースの歌)

創立当時の選手達のサインボール、サイン色紙などです。

面白いのはカルタも有ったと言う事実。

遊び心を満たす為の阪神をモチーフとするちょっとした遊具。

 

(大阪タイガースの品)

此方は阪神のエースとして活躍した小山正明のサイン色紙並びに遠井吾郎のスパイクの展示。

私は小山投手については全く記憶にないが遠井選手については一塁手であった事はハッキリと覚えています。

まあ小山投手については1963年オフにトレードで他球団に移籍したから当時1歳の私が記憶している筈もない。

 

(小山正明の色紙&遠井吾郎のスパイク)

此方は "ノムさん" の愛称でプロ野球ファンでは知らない人は居ない野村克也監督のユニフォーム&色紙。

低迷していた阪神を立て直す役目を担って3シーズン(1999~2001年)に渡って監督を務めたが3年連続の最下位に沈み退任。

"野村再生工場" と呼ばれた彼を以ってしても阪神の再興は叶わなかったのだ。

 

(野村克也監督のユニフォーム&色紙)

此方は "ザトペック投法" と呼ばれた村山実投手が最優秀防御率0.98を記録してタイトルを取った時に贈られた受賞盾。

村山は監督兼選手の時代も有って彼が遺した功績は非常に大きい。

それ故に彼が背負った背番号11は阪神の永久欠番である。

彼がエースだった時代は私が小学生の頃で記憶にも有ります。

 

(村山実の最優秀防御率受賞盾)

FAで広島カープから阪神に移籍して来て主軸として大活躍したのが金本知憲。

星野仙一監督が引っ張って来たのですがこれが大当たりで "兄貴" の称号で周りの選手を鼓舞し続けた。

此方は904試合連続試合出場の記念盾です。

お隣のヘルメットは故横田慎太郎(2023年没)が引退試合で使う筈だった物。

ご冥福を心からお祈り致します。 (合掌)

 

(金本知憲&故横田慎太郎の品)

阪神の歴代最強の外国人助っ人と言えば文句なしに "ランディ・バース" です。

シーズン打率0.389は未だにセ・リーグ記録。

三冠王にも二度輝いた無双の外国人選手でした。

二位についてはシーズン最多安打214を記録した "マット・マートン " であろう。

イチローにが樹立した日本記録を破ったのはアッパレでした。

彼に関する品々が展示されています。

 

(マット・マートンの品)

せっかく来館したのに自分の写真が無いのはいけません。

平日にも拘らず来館者は多くなかなか人波が途切れる機会が来ない。

そのタイミングを狙って何とか1枚撮影できました。

ブログにアップするのになるたけ他人が写り込むのは良くないのだ。

 

(館内で自分撮り)

此方は "阪神に於ける3名の永久欠番選手" のコーナー。.

藤村冨美男(背番号10)、村山実(背番号11)、吉田義男(背番号23)です。

この内の藤村冨美男は全く知らず吉田義男についても選手時代について私は知らず監督時代の事しか分からない。

前述の通り村山実については幾ばくかの記憶が有る。

MLBのヤンキースなどは一桁の背番号の殆んどが永久欠番扱いになっているそうだが後で困らないのかな?

とにかくその球団に於いて傑出した功績を遺さないとこの類の事は話に上がる事は有り得ない。 

 

(永久欠番の3人)

 

 

 

                        (後編に続く)