●甲子園歴史館を訪れる(前編) | マウンテンフリークのブログ

●甲子園歴史館を訪れる(前編)

最初に読者の皆さんにお知らせ致します。

此度の記事(甲子園歴史館の訪問)は二部制(前編&後編)になっていますが記事の内容を鑑みて先行公開とします。

甲子園歴史館の記念バッジの配布が期間限定である事並びに通常の時系列での公開となれば来年の6月になってしまいますからこれでは意味を成しません。

それで小生の独断でそうさせて頂く事に決めた次第です。

尚、数週間後にはこの歴史館の記事は引っ込めて来年(2024年)6月に再公開として時系列に沿う様に修正致します。

以上よろしくお願いします。   by=マウンテンフリーク

 

 

2023年は我われ阪神タイガースファン(通称:虎キチ)" にとっては至福の1年でした。

38年もの長い間待たされた日本一の座を勝ち取ったのだ。

正直なところ "現有戦力では旨く行ってCS進出で御の字かな?" と思っていたが蓋を開けてみれば岡田監督の絶妙な采配が功を奏して予想外の快進撃。

夏場の死の長期ロードも難なく乗り切って9/14にはセ・リーグ制覇。

そして歴史に残る熱戦の末にオリックスとの日本シリーズを制して日本一を決めたのです。

11/6のお昼のニュースで甲子園球場に隣接する "甲子園歴史館" では先着2万人の来館者に " 阪神タイガース日本一記念バッジ " を配布しているとの旨が報道されていた。

この施設については私は予てから存じていましたが未だ一度も訪問した事がありません。

虎キチとしては一度は拝観すべき場所ですので行ってみる事にした。

日本一になった直後ですからちょうど良いタイミングであろう。

この様な気持ちになるには日本一になったと言う様な何らかの "切っ掛け" を要したと言う事かな? (笑)

それではスクーターに跨って出発です。

尚、以下の文章に於いては選手の呼称については "敬称略" として記載させて頂きます旨、予め申し上げます。

 

 

   2023/11/8(水)…前編

自宅からスクーター(スズキ アドレス125㏄)に乗って現地に到着したのは12:40。

駐輪場を探すのに少し手間取ったが無事に愛車を置ける場所を発見。

 

(甲子園筋)

エスカレーターで2階のテラスに上れば甲子園歴史館は目と鼻。

私にとっては32年振りの甲子園球場への訪問です。

30歳の頃に高校野球観戦で訪れて以来で阪神ファンでありながら何とも情けない話である。

 

(甲子園球場をバックに撮影)

平日にもかかわらず続々と観客が中に入って行きます。

彼らに誘われる様に私も入館となりました。

 

(甲子園歴史館)

入館料は一般大人が900円ですがプロ野球各球団のファンクラブ会員、年間会員などは割引が有る様です。

展示室の入口でチケットを見せたら記念品のバッチを渡されました。

11/28迄の期間限定で2万個の配布だそうです。

 

(配布された日本一記念バッチ)

最初のブースは阪神タイガース(以下。阪神と略記)が創立以来初めての日本一に輝いた時(1985年)の品々の展示。

当時の阪神ナインのサインボール、バット、グラブ等の展示。

1985年はR・バース、掛布、岡田の強力なクリーンアップに加えて不動のトップバッターの真弓が打ちまくったシーズンでした。

あれから38年が流れたのだから私も爺になった訳だ。

 

(初めての日本一)

壁に貼り出されているのは "セ・リーグ優勝のペナント" です。

その大きさには目を見張る思いです。

展示されているのは2003年の物ですが2005年にもセ・リーグ優勝を果たしていますが何れも日本シリーズで敗れています。

 

(セ・リーグ優勝のペナント)

私があまり知らなかった事は阪神の創立についてです。

阪神の前身である "大阪タイガース" と称した職業野球チームが発足したのは1935年です。

当時の選手達の集合写真をバックに当時の品々が展示される。

 

(大阪タイガース創立)

現在も阪神ファンに親しまれている "阪神タイガースの歌(通称:六甲おろし)" の楽譜も展示される。

この歌は他球団のファンでも空で歌える程に浸透している。

"阪神=六甲おろし" と連想する人も多いのではないだろうか?

 

(大阪タイガースの歌)

創立当時の選手達のサインボール、サイン色紙などです。

面白いのはカルタも有ったと言う事実。

遊び心を満たす為の阪神をモチーフとするちょっとした遊具。

 

(大阪タイガースの品)

此方は阪神のエースとして活躍した小山正明のサイン色紙並びに遠井吾郎のスパイクの展示。

私は小山投手については全く記憶にないが遠井選手については一塁手であった事はハッキリと覚えています。

まあ小山投手については1963年オフにトレードで他球団に移籍したから当時1歳の私が記憶している筈もない。

 

(小山正明の色紙&遠井吾郎のスパイク)

此方は "ノムさん" の愛称でプロ野球ファンでは知らない人は居ない野村克也監督のユニフォーム&色紙。

低迷していた阪神を立て直す役目を担って3シーズン(1999~2001年)に渡って監督を務めたが3年連続の最下位に沈み退任。

"野村再生工場" と呼ばれた彼を以ってしても阪神の再興は叶わなかったのだ。

 

(野村克也監督のユニフォーム&色紙)

此方は "ザトペック投法" と呼ばれた村山実投手が最優秀防御率0.98を記録してタイトルを取った時に贈られた受賞盾。

村山は監督兼選手の時代も有って彼が遺した功績は非常に大きい。

それ故に彼が背負った背番号11は阪神の永久欠番である。

彼がエースだった時代は私が小学生の頃で記憶にも有ります。

 

(村山実の最優秀防御率受賞盾)

FAで広島カープから阪神に移籍して来て主軸として大活躍したのが金本知憲。

星野仙一監督が引っ張って来たのですがこれが大当たりで "兄貴" の称号で周りの選手を鼓舞し続けた。

此方は904試合連続試合出場の記念盾です。

お隣のヘルメットは故横田慎太郎(2023年没)が引退試合で使う筈だった物。

ご冥福を心からお祈り致します。 (合掌)

 

(金本知憲&故横田慎太郎の品)

阪神の歴代最強の外国人助っ人と言えば文句なしに "ランディ・バース" です。

シーズン打率0.389は未だにセ・リーグ記録。

三冠王にも二度輝いた無双の外国人選手でした。

二位についてはシーズン最多安打214を記録した "マット・マートン " であろう。

イチローにが樹立した日本記録を破ったのはアッパレでした。

彼に関する品々が展示されています。

 

(マット・マートンの品)

せっかく来館したのに自分の写真が無いのはいけません。

平日にも拘らず来館者は多くなかなか人波が途切れる機会が来ない。

そのタイミングを狙って何とか1枚撮影できました。

ブログにアップするのになるたけ他人が写り込むのは良くないのだ。

 

(館内で自分撮り)

此方は "阪神に於ける3名の永久欠番選手" のコーナー。.

藤村冨美男(背番号10)、村山実(背番号11)、吉田義男(背番号23)です。

この内の藤村冨美男は全く知らず吉田義男についても選手時代について私は知らず監督時代の事しか分からない。

前述の通り村山実については幾ばくかの記憶が有る。

MLBのヤンキースなどは一桁の背番号の殆んどが永久欠番扱いになっているそうだが後で困らないのかな?

とにかくその球団に於いて傑出した功績を遺さないとこの類の事は話に上がる事は有り得ない。 

 

(永久欠番の3人)

 

 

 

                        (後編に続く)