甲子園歴史館を訪れる (後編) | マウンテンフリークのブログ

甲子園歴史館を訪れる (後編)

    2023/11/08(水)…後編

景浦は沢村栄治(巨人)との名勝負を繰り広げた強打者であったが終戦の3ヶ月前にフィリピンで戦死した。

オールドファンの中には彼を初代ミスタータイガースと呼ぶ人も居たとか…。

松木は大阪タイガース創立時からの生え抜き選手で戦争から復員後は阪神の監督も務めた。

若林はハワイ生まれの二世で阪神では投手として活躍した。

233勝は現在も阪神の投手では最多勝記録。

 

(景浦・松木・若林)

土井垣は1940年に大阪タイガースに入団して捕手として活躍した。

打撃面でも別当・藤村・土井垣のクリーナップはダイナマイト打線の主軸を担った。

三宅は三塁手で遊撃手の吉田とは鉄壁の三遊間を成した。

連続試合出場も700試合に達して金本知憲に抜かれるまでは記録は維持した。

ある意味ではケガに強い選手だった様だが私は土井垣並びに彼の活躍した時代は記憶にない。 (涙)

 

(土井垣武・三宅秀史)

小山は投げる精密機械とも称された制球力がずば抜けた好投手。

NPB史上金田正一。米田哲也に次ぐ320勝投手で村山実と並んで阪神のエースとして活躍いたがやがては山内一弘との交換トレードで阪神を去る。。

遠井吾郎は私がものごころが付いた頃には代打でよく出場していたくらいしか印象に無いが後に打撃コーチなども務めたらしい。

 

(小山正明・遠井吾郎)

旧い選手ばかりの記事も面白くないと思いますから私の記憶に残る選手について述べてみよう。

藤田平は私が23歳の頃まで活躍した阪神の生え抜き選手で守備位置はショート。

確か1981年は首位打者にもなったし生え抜きでプロ通算2000本安打を達成したのは阪神では彼が最初で後に監督にもなった名選手。

江夏豊は私如きがが述べるまでもなかろう。

阪神時代は江夏vs王の勝負は野球ファンの垂涎の対決だった。

阪神を離れてからは南海(現在のソフトバンク)→広島→日本ハム→西武と渡り歩いてクローザーとして大活躍した。

私が人生で初めてプロ野球観戦をしたのは1981年夏で日本ハムvs南海戦(後楽園球場)でしたが最終回の無死満塁のピンチを三者三振に切って取った彼の力投には感動しました、

また私が浜松に住んでいた頃に会社の50周年記念行事に江夏氏が招かれて講演会を開いて下さった事も貴重な経験だった。

 

(藤田平・江夏豊)

阪神の歴史を語るにはやはりこの2人は避けて通れない。

1985年に初めての日本一に輝いた時のランディ・バース&掛布雅之。

バースは三冠王に二度輝き、掛布はミスタータイガースの称号を受けた強打者。

掛布が頭角を現し始めたのは私が中学生の頃で鮮明にその事は覚えています。

試合中に受けた死球によるケガの影響で33歳の若さで引退してしまったのは阪神ファンにとっては非常に遺憾な出来事だった。

それでも将来は阪神の監督に就任して欲しいと私は思ってますが果たして実現するでしょうか?

 

(バース・掛布雅之)

此方の写真は "阪神の歴代監督" です。

現在の岡田彰布監督は35代目と言う事になる。

とは言っても彼も監督としては二度目ですから実際は "就任した監督の数=歴代監督の数" と言う方程式は存在しない。

吉田、村山、岡田と言う面々は複数回その地位にあった。

唯一の外国人監督としてはブレイザー氏も居ます。

その内で日本一になったのは吉田(1985年)、岡田(2023年)の二度。

プロ野球の黎明期から存在していた球団としては少し寂しい成績だが来年も優勝して日本シリーズ連覇を果たして欲しいですな。

 

(歴代監督の写真)

此方は2023年にセ・リーグ制覇を果たした時の品々。

当時の監督は "故星野仙一" でしたね。

因みに当時は未だCSは行われておらずペナントレースで優勝すれば即日本シリーズ進出でした。

選手達のサインが記された色紙と試合で使われたボールの展示。

 

(2023年セ・リーグ優勝 ①)

此方は2023年のセ・リーグ制覇(いわゆる "ARE" )の品々。

岡田監督は優勝と言う言葉をあえて使わずAREと表現して話題を攫った事は周知の事実です。

 

(2023年セ・リーグ優勝 ②)

此方もAREについてのコーナー。

セ・リーグ制覇を決めて胴上げされる岡田監督の写真と阪神の優勝を会え合わすロゴマーク(ARE入り)。

ショーケースには坂本捕手のバットが展示される。

 

(2023年セ・リーグ優勝 ③)

此方は2023年のCSファイナルステージ(阪神vs広島)を制して "CS突破記念シャーレ" を掲げる岡田監督を一面にしたスポーツ新聞。

CSを突破できなければセ・リーグ制覇もぬか喜びになってしまいますからこの時は私もホッとした事は覚えております。

 

(2023年CS突破の新聞見出し)

前述の新聞に掲載された岡田監督が掲げていたのが此方のシャーレです。

シルバーに輝く高級感溢れる代物で私も手に取って万歳をしてみたいと感じる程です。 (笑)

これも貴重な品としてこの歴史館に保存されるのであろうな。

 

(2023年CS突破記念シャーレ)

いよいよ最後に近付きました。

ご周知の通り2023年の阪神はセ・リーグ制覇→CS制覇→日本シリーズ制覇と勝ち進み見事日本一となりました。

"2023NIPPON CHAMPIONS" のロゴマークの左側には今年二度目の胴上げを受ける岡田監督の写真が飾られています。

ショーケース内には第7戦でノイジーが放った3ラン本塁打のボール、優勝後のビール掛けに使用されたTシャツが納められている。

 

(2023年日本シリーズ制覇 ①)

最後にこのコーナーで自分撮りです。

時刻も16時を過ぎてかなり来館者も疎らになましたが週末ならば終日に渡って通勤ラッシュ並みの混雑となるのは必定だな。

とにかく2023年は我われ虎キチにとっては大満足のシーズンになった。

時刻は16:30ですから3時間半も拝観に費やした訳です。

まあええやろ!

初めての拝観なんだから悔いの無い様に館内を網羅しないとね!

 

(2023年日本シリーズ制覇 ②)

退館してからよく考えたら本日は自宅で朝食を食った以外には何も口にしていないではないか!

そこで歴史館に付属するパン屋さんで軽く食っておきました。

エネルギーを補給しとかないと帰路でバテてしまいます。

 

(軽 食)

外は未だ明るいので甲子園球場の外周を歩いて一周する。

歴史館前のテラスから甲子園球場を撮影する。

現在はシーズンオフで静かだが来春の4月にはまた賑やかな季節が訪れる筈だ。

 

(甲子園球場 ①)

此方は "タイガースショップ " です。

同じ様なショップが4ヶ所有る様ですが当然ながら営業はしていない。

阪神が勝てばグッズは売れてファンもお店もウィンウィンになれる。

そんな日々が来シーズンも続いて欲しいぞ!

 

(甲子園球場 ②)

来年は甲子園球場が開設されて100周年になるそうでそのカウントダウンモニュメントが設置されていました。

本日の時点であと267日らしいです。

これに伴って何かのイベントが催されると思うが詳細は知らない。

それよりも阪神が日本シリーズ連覇を果たしてくれる方が嬉しいしそれが最高の100周年アニバーサリーになるのではないかな?
 

(甲子園球場 ③)

17:40で散策を終えてスクーターに跨って帰路に着く。

R43をひたすら西進するがどうも往路とは違う道を走っているらしい。

三ノ宮でR2に合流する筈だからそのまま道なりに進む。

陽が落ちてからは気温が急激に下がって寒気が来ます。

125㏄は加古川・姫路バイパスに入れないので明石からは明姫幹線(R250 )に入る事になります。

燃料が切れそうなので高砂市内で給油してひと安心。

しかし、加古川→明石→神戸と東に向かうに従ってガソリン価格が高くなっている。

因みにたつの市では160円/Lが普通だがね。

自宅に着いたのは22時になりました。

甲子園歴史館までの距離は往復で180㎞と125㏄にはしんどい1日でした。

 

 

   (番 外 編)

余談ですが私が通院している某整形外科の診察室の壁には11/6から写真のグッズが吊るされていました。

聞いたところでは病院の職員の1人が虎キチでして院長先生の許可を受けて飾ったそうです。

許可を受けて撮影させて頂きました。 

暫くは阪神日本一のフィーバーが続きそうです。 (笑)

 

(診察室に飾られた阪神グッズ)