今年は2025年、令和7年。

 

 

昭和100年、戦後80年の大きな節目の年です。

 

多くの世界中の庶民にとっては応対しかできないのですが、大きな利権を持ち動かして来た人達の考え方が反映される年になるでしょう。大きな利権とは、政財界です。

 

現在80歳ぐらいの世界中の彼らは様々な思惑があろうと感じますが、私は56歳、一太極拳家として悠々自適に有意義な年を過ごしたいと思います。

 

中国武術、太極拳は本格的には46年前の1978年の日中平和友好条約が締結されてから、中国大陸より指導者を招聘したり、当時は個人ビザが認められていなかったために太極拳研修団を出して学ぶ、ということが一般的でした。

 

太極拳、中国武術業界というものは皆無で、はじめは台湾関連での政治関係者、空手関係者が持ち込みました。

 

 

 

中国から審判団を招聘して、日本人能力コンテストとして行った、全日本大会も第1回目、1984年から40年が経ちます。

 

大会当時 私は16歳 キャリア3年で出場して、現在56歳で、キャリア43年現役です。

 

思うと、当時は大きな熱いブームの最中でした。同世代も出場者は多く、更に私の10~20年上の世代がとても多かったです。

 

40年経ち、随分と活動人口は激減しました、理由は解っていますが、ここでは控えます。

 

私も出場しましたが、来日された中国老師の模範演武の素晴らしさは今でも忘れません。

 

1985年に武術名家 徐文忠老師が招聘され、直接指導を受けました。

 

 

2年後に、第一回大会での模範演武の剣術の名手 徐淑貞老師(徐文忠老師のお嬢様)に師事出来て安徽省まで学びに行きました。

 

 

 

 

 

 

 

おそらく「日本国内に ”正しい 伝統中国太極拳文化” が何故に存在しないのか」

 

という疑問符がつく方々は多いと感じます。

 

理由としては、

 

私は1969年生まれ、56歳で太極拳修練は、1982年13歳の時から始め、今年で43年めになります。

 

私までぐらいの年代は世の中から「いっぱい勉強して、いい学校入って、いい会社入って、出世して、定年退職したら好きなことをすればいい」といわれる中で過ごしました。

 

私は断固拒絶して、全部反対のことをしました。今このリアルタイムで考えると、前述が”陽”なら、私のような逆をいくことが”陰”であったと理解出来ます。

 

普通の日本国内太極拳指導者は、制定拳と呼ばれる日本的概念で作られた太極拳動作練習スタイルの型に、その延長として競技、検定というシステムの中にいます。

 

 

 
 
私の初訪中は1985年、上海体育学院での研修でした。指導を担当されたのは安徽省出身の先生でした。
翌年、その先生の紹介を以て単身で安徽省体育運動武術学校武術隊で学ぶことが出来ました。
 
それを皮切りに、復旦大学、北京体育学院、湖北省体育運動武術学校武術隊、亳州市伝統華陀五禽戯協会で2019年まで、34年間 短期留学から研修交流を続けました。
 
学んだものを帰国して、所属会員さんに伝え、共に学び研鑽し、楽しく2001年~2025年までオリジナル普及活動を24年間続いています。
 
これまでの中での所感です。

 

 

 

廃刊になってしまいましたが、1981年から出版された中国武術専門誌「武術 うーしゅう」2003年に、来日された中国武術協会副主席「門恵豊」先生が、インタビューに答えました。

 

 

内容は「日本人の太極拳に中身がないのは何故か」

 

 

これは、中国留学生仲間でも、暗黙のうちによく語られていました。

 

日本で正式なルートを通すと、中国の首都「北京体育大学(体育学院)」に日本人太極拳、中国武術選手は集められました。

定められた膨大なカリキュラムをこなし、中国語で講義を受けます。

 

私は当時、上海体育学院、安徽省体育運動武術学校武術隊がメインだったので、毎回北京に一度寄り、留学生仲間と練習して、11日だけ観光して帰国する、というパターンで過ごしていました。

 

留学生仲間と練習した後に会食した時に「今回、何を学べた?」と聞かれ素直に答えました。

 

いいな、ここでは一般学生と一緒で毎日4年間で「24式太極拳、初級:長拳 剣術 刀術 棍術 槍術」しか学べないと嘆いていました。

 

後々に知ったことでは、太極拳を含む中国武術は中国政府が管轄していて、常にその政策方針の意向に沿う、ということが大原則です。

 

特に当時の中国武術協会の重鎮の中には、日本を憎む考え方を持つ方が何人かいました。

 

中国大陸に侵略した国 イギリス、フランス、ドイツ、ロシアの4カ国には優れた伝統中国文化は教えてはいけない、太極拳も同様です。

 

逆に、シンガポール、マレーシア、ベトナムには優先して、伝統中国文化を広めていました。

 

故に日本に派遣される指導者も精査され、競技目的の関係者しか来日しませんでした。

 

 

幸い、私は師事した徐淑貞老師のお父様が、有名な伝統武術家の「徐文忠」老師で、1988年から1989年まで来日され、私は招聘団体から依頼され付き人をして教室での通訳をして1年間共に毎日過ごしました。

 

政府間問題は全く関係も影響もなく、ありとあらゆる多くを深く学ぶことが出来ました。

 

とてもよい人生経験でした。ありとあらゆる多くを はじめの学びから 46年間ずっと見続けて来ました。

 

「日本国内に ”正しい 伝統中国太極拳文化” が何故に存在しないのか」を終えて、今現在に時は流れ、時代も人も変わり、中国とはコロナ問題で「分断:デカップリング」になりました。

 

日本の歴史的に、平安時代や鎌倉時代後期のように「国粋主義」に入るべきだと実感し、もう既に動いています。

 

 ”正しい 伝統中国太極拳文化 太極拳”は、世界無形文化遺産の太極拳となって、そのことから私共は斬新なかたちで日本化致しました。

 

 

 

令和7年、これからが本当に楽しみです。

 

 

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