中国武術 酔拳について
酔拳は中国武術の拳術の中で最も特徴を持つ拳術です。
その歴史を辿れば長い悠久の文化背景があります。
紀元前1050年頃に殷に代わって成立した西周末の時代に遡ります。
そこには「酔舞」という舞が原型となり、これは古代文献の「今壁事類」に記述が出てきます。
それから前漢・後漢、隋から唐の代に著しく流行し、その柔らかくしなやかな勇士の酔った姿の中に正直な高い正義感の詩興や想いを託した表現の象形を「酔舞筋骨柔」といいました。
そこに中国武術がとても大きく普及と発展をした明の時代末期に道教が多く民間にも広まり、有名な道教の神々(仙人)として祀られる「八仙」の精神趣興や導引の技術に拳術技法が融合し加わったことで「酔舞」+「武功」の成立になり「酔拳」になったと伝わります。
この技は象形拳と呼ばれる様々な形態模倣をする拳術と分類され その特徴は「酔漢:豪傑な人物が大いに酒に酔った雄雄しい品格」を表し、それらの酔形・酔態に攻防技術を融合してできたものです。
身体操作方法は高度な体現力が必要で、右へ揺れるかと思えば左に大きくよろめき上向いたり、うつむいたりして とりとめのない姿に敵とする相手にとって究めて厄介な行動を起こして動揺させ困惑したところに隙を見つけ 技をしかけるという技法を用います。
酔拳の技を修めるための要求は、「形酔意不酔 歩酔心不酔」といわれ、「形は酔っても意識は酔わない、歩は酔っているように見えても、心は酔わない」
酔態としては、初めは微酔、狂酔、爛酔、酔醒の順次的な象形を表します。
これは意識的に相手への技をしかけるタイミングを図る(狂わす)ためのフェイントでもあります。
現実的に誤ってはいけないことは「自己陶酔」や「泥酔状態」で練拳するものではない、ということです。
戦法として、身体は柔軟であり、倒れてもなんともなく、すぐに起き上がり、隙を見てはタックル:体ごとぶつかって来たり、捨て身になってのとび蹴りや突きをしかけます。
それに特徴としては酔った人間の心理を表すための眼法:眼つきの技術も用いられます。
それはじっと見据えたり、焦点がずれて漂っていたり、眼を見開き怒りの眼になったり、あたかも怪しげで自分勝手な痴人の如く相手を仕留める凝視をしたりなどの眼力における表現を意識的に行います。
古く伝統的な酔拳の技法は套路ではなく、連続した短い組み合わせ技法のコンビネーションとしてのものが多くありました。
代表的な技芸では太白酔酒、武松酔跌、魯智深酔打山門、道教の酔八仙:李鉄拐(りてつかい)、漢鍾離(かんしょうり)呂洞賓(りょとうひん)藍采和(らんさいか)韓湘子(かんしょうし)何仙姑(かせんこ)張果老(ちょうかろう)、曹国舅(そうこっきゅう)を組み合わせた酔八仙拳などがあります(※ジャッキー・チェンの映画で有名になりました)
現代酔拳(1970年〜)は地躺拳 ・地趟拳・地功拳の技術動作の前滾翻 後滾翻 搶背 盤腿跌 絞剪 飛交剪 烏龍絞柱 鯉魚打挺などの技術が多く取り入れられるようになりました。
これらを融合し、更にそれは京劇のアクロバット技術や演技力にも加えられ発展して今日に至ります。
「酔拳」は多くの方々が興味を持つ中国武術の基本精神や特徴をよく表しています。
※酔八仙拳を酔拳と編纂したのは、ブルース・リーの映画ドラゴン怒りの鉄拳で舞台になった武術学校「上海精武体育会」です。
そして地躺拳 ・地趟拳ともいわれる、この項目は中国武術の拳術の一種であり、地功拳とも呼ばれます。
古来の名称は九滾十八跌と言い、文献には明代の「続文献通考」の中に記述があります。
特徴としては高く飛び上がり身体を空中で回転させたり、前転や後転、側転などを用い地上をころげ廻り相手に捕らわれない技法を使い 非常に活発な動き自由自在に行うのです。
特徴は倒れながら拳を打ち出したり腿法(蹴り技)を使用します。
高度な受身技や匍匐前進術などがあり、呼吸法と筋骨・皮膚まで意識して筋膜を張る能力が必要なので、その練功方法は簡単に見て真似ることはできず体得は非常に難しいです。
基本動作は前滾翻 後滾翻 搶背 盤腿跌 絞剪 飛交剪 烏龍絞柱 鯉魚打挺があり、この地躺拳 ・地趟拳・地功拳の技術が酔拳や猴拳、器械では九節鞭、双鞭、双刀などにも多く取り入れられるようになりました。
攻防技術としては実戦面でも活かされる技が多くあり、例えば意識的に転げながら相手を投げ飛ばしたり、技をかけて受身にあわせて相手を組み伏せたり、スライディングしながら蹴り技を繰り出したりして技を仕掛けられる側としてはその危険性は高いのです。
(もし相手が受身をとれなければ、顔面や頭部を打ち付ける あるいは、それが狙いであり 小が大に勝てる術でもある)
現代の地躺拳 ・地趟拳には旋子転体や跳叉などの動作も多く含まれ、難度が高く芸術性を高くする工夫がされています。
1970年代の高手 牛懐録 (山東省)
1970〜80年代前半の名手 胡堅強 (浙江省)
映画少林寺の中で演武したことで有名になり、その存在をより広くへ大きく知らしめた偉大な功績者です。
騰空側端腿+盤腿跌+発声や連続で頭翻をこなすスタイルの元祖であり、
今現在は普通に行っている選手が多い技でも胡師抜きには語れないものが数多くあります。
趙長軍(陝西省)
1980年代中盤から後半は、胡堅強師の後により発展させた名手。
胡師から引継ぎ高い難度の項目(6種目)をこなし総合優勝した素晴らしい功労者でもあります
見る人の眼が追いつけないほど激しく動き回るスタイルの元祖。
易笑蘭(女性 湖南省)
1990年代の名将 原文慶 (山西省)
1990年代 後半の名手 朗栄標(天津市)
3連続の旋風脚+盤腿跌を初めて行った人物、現在のレベルアップさせた天津チーム(特に対練)を引っ張り揚げた功労者。
しかし彼が小さな時に鍛え上げた師は名武術家「潘清福」の存在を忘れてはいけません。
これ以降は嵩山少林寺の武僧たちによる「少林功夫」の復刻があり、高いレベルを発揮しています。
最近の武術競技会では残念ながら、長拳も共通するのですが「武術アクション体操」になりつつあるのが惜しいと感じることもあります。
中国武術運動は長い歴史のある伝統文化の感覚を継承しています。
そこには、先ず精神と肉体(心身)を健全・健康に堅持を保つことで、一生涯に長く世の中に貢献できるべき人材であるための「健身功法:トレーニングメソッド」であること、です。
「攻防技術:全ての外界から自分の心身において隙を作らず、敵になるようなことを避け、攻めさせずにいられる能力」
「套路:記憶力・応用力・適応力」の身体技術操作力とそれを整理・制御コントロールできる感覚が大事です。
私自身は、酔拳の技は1984年から在籍した全日本太極拳協会での、恩師の杜進先生に基本動作の指導を頂き、安徽省武術隊高級教練 楊承冰先生と徐淑貞先生に更に詳しく技法を学び教わり16歳から練拳をしました。
そして湖北省武術隊での訓練の中でも更に技術が向上できたと思います。
しかしながら広い中国でも伝統酔拳の技法の継承者は少ないと思います。
おそらく文化大革命の嵐の中から隠棲することになり、まだどこかで(伝統華侘五禽戯の先生方のように)伝承は続けていると思います。
いつか国際大会などの機会で、そういった先生の存在がありましたら是非とも表敬訪問や交流をしてみたいと思います。
個人的な所感ですが、今現在は世界中であらゆる格闘技が盛んになり、日本でも広まっています。
私も中国武術修養を始めた時から、40年が経ちました。
一時期には、いつでも誰が一番強いのか 強い拳術や方法は何か。
あげくの果てにはどの国家(戦争のように、どこを滅ぼし、勝利するのはどの国)なのか。
という興味が尽きませんでした。
以前には世界中でも東西をはさむイデオロギーの違いからくるさまざまな戦さがあり、その影響を受け 日本でも政治的理念で右派・左派のように分かれ対抗意識をむき出しにしてきました。 すべての「戦い」は「遺恨」を必ず残します。
中国は長い歴史の中で無残な殺戮が多く起こり、その中でも生き残る術がたくさん生まれました。
人々が眼を背けたくなる世界でなく、いかに文化的に 個人の尊厳や誇り・プライドを傷つけず、その実力を発揮しながらも 相互交流し、それぞれに発展したらどうか、という研究の上に 比武という概念がその必要に応じてできてきました。
そこには散手、対打、推手 そして互いの技を披露し合うという平和友好的な演武(表演)方法ができました。
70〜80年代までの私が一番影響を受けた中国武術界は「スポーツ競技」というよりは、伝統的な武技をいかにスポーツ的な見方で交流をするか、という感じでした。
90年代に入るとまた新たな運動技術としての難度技との融合期でしたが、最近はすべての物事によくあるようにだんだんとその「武術」としての本質を見失い、 今現在の武術の大会ではただ跳躍力まかせ、パフォーマンス技術が中心で選手寿命の短い競技世界と伝統項目とに大きく分かれましたが、 部門によってはオリンピックムーブメントに近づき大きな改変に改変を重ね複雑化しすぎた故に、大切なものを多く失ったと感じています(柔道にも共通します)
やはり中国武術の有する伝統体育文化の活動は、一生涯でいられる心身に良好な技法(見て学ぶものも多く、行うのも良い)です。
私達 横浜武術院は、歴史的に中国大陸内で失われても日本では、しっかり残っている、そういった歴史文化にも学んで活動しています(弘法大師空海の密教が歴史的に一番有名です)
先週から今週までは、寒の戻りもあって、少し肌寒い日がありましたが、これからは本格的な春爛漫の時候になることと思います。
今日は、天気もよく これからは新緑も鮮やかに心地よい快適な季節に入ります。
アフターコロナ世界観、新年度、令和新時代の始まりを思います。
これからの時代に重要なのは、中国武術文化での基本意識で「心身の健康の堅持と伝統的倫理道徳感」「信頼ある人間関係と人脈」
があれば、何があっても有意義な生活が楽しめるようになると思います。
今現在はコロナ問題で世界経済の同時不況で多くの一流企業も存続が危ぶまれ、全世代間において 人間不信に陥り 人生設計は崩壊し 人生への生き甲斐生への情熱がなくなり多くの方々の「気力」低下にも影響している印象があります。
いつでも、どのように、どうやって楽しく生きていけるか、心身を更に向上させられるかが大事で、そこへは中国武術文化が養生導引から数えて2500年間で培い、大切にしてきた基本精神や優れた体育運動運動が、これから大いに役立てられものだと感確信しています。