映画「少林寺」が、とてつもないスーパーヒットをした背景は、1つは、当時の中国政府が全面支援して、人民解放軍の軍人たちをエキストラで使ったり、歴史的史実を扱った作品ですが、時代考証をしっかり行い、衣食住環境を全て復刻したものを使い、撮影ロケにも充分に時間をかけていたことが、作品の詳細部分まで、精巧に出来ているからという理由がありました。

 

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当時の中国は、素朴で自給自足が成り立ち、文化芸術に政府が大きく理解をして力を入れていたこともありました。

 

懐かしいのは、街のあちこちにスローガンが掲げられていて「発展増強人民体質」と書かれていました。今の中国は2001年のWTOの加盟から自由主義経済に力を入れ、経済的な発展はこの20年間で凄いものがありました。

 

そんな中国でしたが、1980年代は社会主義政策の中で、時間にはゆとりがあり、私の留学時代は「12:00〜15:00」まで昼休みが、全員全体にあり、昼食時間で13:30を過ぎると、食堂も含めてありとあらゆる全員の「お昼寝タイム(笑)」となり、街はどこもかしこも静かになり、聞くところでは「この時間帯は、泥棒も昼寝するからとても平和だ」と言っていました(笑)

 

そんな中で、中国武術は国技として、とても普及と発展に力を入れていました。

 

 

 

そして映画「少林寺」での武術指導をされた先生方は、皆様 世界中への中国武術普及での1974年から始まった、映画「少林寺」の冒頭で映像が流れますが、海外公演(日本でも1974年〜)で教練と演武を担当した素晴らしい先生方(老師們)です。

 

※私の師匠の「楊承冰」先生も、海外公演の教練&演武メンバーで、公演での練習でジェット・リーに槍術を指導しました。

 

 

 

 

 

有名な映像、若き13歳のジェット・リーのアメリカ公演での刀術。

 

 

 

陝西省武術隊教練の「馬賢達」

 

※映画のラストシーンで、ジェット・リー演じる「小虎」(後に法名の覚遠)が翻子拳を行います。

 

 

翻子拳

 

 

 

天津市武術隊教練の「潘清福」

 

 

 

師匠を演じた山東省武術隊教練の「于海」

 

 

※山東省武術隊を見学しに行った時に、会ったご子息の于涛(おまけ)双子で中国武術段位制、螳螂拳の担当です。

 

 

 

 

同じ山東省の「王常凱」の先生方でした、私はこれまでの経験でアメリカ〜カナダへ行ってしまった「潘清福」先生以外はお目にかかることが出来て嬉しかったです。

 

(※海外から武術修養に留学で来ていると、当時は中国武術の海外普及を政府が力を入れていたこともあり、どの先生方も、とても親切にしてくれました)

 

「王常凱」先生 中国武術九段

 

山東省出身、1941年生まれ、山東省武術協会 副主席 中国武術(国際武術)段位制「剣術」を担任。

 

 

 

 

やはり、中国武術名手は技能も人格も素晴らしく、お会いした時に共通したのは、どの先生方も私に「何を修練している」「あなたの先生はどなた」「中国が好きか」の3つを聞かれました。

 

そこで、私は当時に教わっていた「徐文忠」先生、お嬢様の「徐淑貞」先生、「楊承冰」先生の御3方に、よく言われていたことは中国武術家に会って、「先生は誰だ」と聞かれたら「私の名前」を出せ、と先生方は言いました。

 

そこでいつも、その通りにしていましたら、本当に待遇が代わり、とてもよく皆様がもてなしてくれました。中国武術活動での重要なアドバイスも沢山頂きました。

 

まるで水戸黄門の助さん、格さんになった気分です(笑)

 

映画「少林寺」は、出演者の若き武術家が素晴らしいのですが、それは「競技選手的」に技能ができる、というところに本物の文化遺産価値があるのではなく、彼らは育てられ、思想哲学を合わせて倫理道徳も伝えられたからこそ、彼らは存在していることです。

 

私も1982年、13歳の中国武術修養40年を今年に迎え、今53歳になりました。

 

人間、時間は等しく流れていくもので、ずっと、これまでにひたすらに鍛錬と修練、精神修養に打ち込んで来ましたが、とても有意義な時間でした。

 

まだまだ、これからも修養は続きますが、最高の無形文化遺産を純潔な日本人で受け継ぎ、とても感謝の気持ちでいっぱいに想うことが多々あります。

 

そのことから、映画「少林寺」を再びのきっかけで「日本人による、日本人のための、発展増強 日本国民体質」をこれからの「SDGs:持続可能な発展目標」計画にも連動して、頑張って参ります。

 

 

 

 

宜しくお願い致します。