現在の中国では規定競技武術を中心にした国際武術連合会が行うものとは別に、
中国武術協会がバックアップして開催地での武術協会が主催している国際大会が毎年多く行われています。
我々は今までに「上海国際武術博覧会」と中国杭州市で行われた「淅江伝統武術競技大会」に参加・出場して来ました。
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世界中から本場の中国で腕試しをしようという方々や長期留学生の皆さんに地元の武術家が多く出場し、
審判員(中国では裁判員)もプロフェッショナルなので、とても充実していて参加する楽しみの一つでもあります。
(我々の価値基準はここに標準をおいていますので、そのインテリジェンスは日本国内の「プチ:小さな世界」には向いていません)
本場中国の大会での印象は「納得」のいく裁定をしてくれるのを感じるのがとても重要なことだと思っています。
審判の方々は多くが真の実力者で、
大会前に行われる選手・コーチ審判員・審判長とはじっくりと細かいところまでルールの説明会議や質疑応答をその場で行い、
競技が終わってから質問に行っても快く応えてくれます。
そして毎年大会ごとに観方が変化した場合もその採点の基準をきちんと解説してくれて、
どうしてこういう点になったか、までアドバイスをしてくれます。
だからこそ出場者である選手も指導者も新たな発見や課題を感じられ、
これからももっと頑張ろう!という気持ちになれます。
それに審判の先生も名のある名手が多くいらっしゃるので、それをきっかけに新しい「縁」も生まれます。
中国では無名でも年配で高齢の方でものすごい功夫・技の持ち主もたくさんいて、
審判を務めている方も真剣に見つめ、時にはうっとりと観ている方もいて、ヒューマンシップが感じられて
大会そのものの全てが素晴らしい時間を感じさせてもらえる時もあります(それが本場です!)
ですからいつも、この皆さんの前で技を発揮させてもらえて光栄だ!と思っています。
私は全日本の大会デビューは 1984年 第1回大会でした。
ですから今連盟を作って理事長などの役員を務めている方もほとんどがその制定太極拳(24・48・88・32剣)選手の中の一人でした。
初めは日本も雑誌出版社の福昌堂が後援していて 毎回の大会を批評して 中国からの本物の審判の先生を招いて行っているうちは非常に良かったです。
その後 私は1985年に上海体育学院で学び、1986年には安徽省武術隊で学びました。
そこでは徐貞淑先生のような国家級審判長の先生に指導を受け日本に来て下さった時も「審判はこうでなければならない」というお話しを受け
雲南省の名武術家の何福生先生にもアドバイスをして頂いた時のことは今でもはっきりと覚えています(あの頃は高校生の時でした)
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(徐淑貞老師、大阪1984年 6月 第1回大会にて)
しかし86~87年の国際審判養成(講習会)が山東省の済南・中国杭州市で行われて、
第5回の名古屋大会ぐらいから
日本でも短期養成で作った日本人審判になってから「?」のつくことも多くなったのは残念です。
このかへいさんの長拳の実技を左側の横で見ている集団が86年当時の審判セミナーの受講者たち
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最近の印象は先ず勧めたいシナリオありきで、
一応公衆の面前でジャッジのフィルターを通さねばならない、そのための審判である、そんな気がしました。
中国人は納得できなくて我慢ができない時に暴れることがよくあります。
日本人は納得できないでいても、適当に誤魔化されてしまって
内向的になり自分の心身を壊してしまうように感じます。
(だからこそ真面目な人ゆえに自分の精神を病んでしまうのはここに理由があるのかも知れません)
武術界は「職人」の世界で実力主義の世界です。
「年齢序列的年功序列」の世界ではありません。
(武術的力量で「一触即発」に対抗できるか、どうか、という気概も大事だと思います)
また近いうちに自分も国際大会に出場しますが、
本場の中国で一流の皆さんの中に入れて頂き、心からのびのびと実力を発揮してきたいと思います。