2011/12/24 12/25 13回目南三陸町歌津訪問 | 南三陸町の早期の復興を願う。

南三陸町の早期の復興を願う。

3.11東日本大震災により、いてもたってもいられなく、辿り着いてご縁があった町が南三陸町。
そこで様々な現地の人、支援者の方と出会いました。
その町の人々の復興を願いながら、更新するブログです。

行きも帰りも東北自動車道は雪は舞ったものの、チェーン規制もなく、東北自動車道、三陸道なども問題なしでした。降りてからもスタッドレスだったこともあり、特に問題なく現地に到着できました。

昼は晴れていましたが、夜はホワイトクリスマスとなりました。

東京の建設会社の方、千葉のHP企画者、ライターさん3人での訪問となりました。ご協力有難う御座いました。


1日目・・・中山仮設クリスマスプレゼント配布

      漁師さんとの今後の支援の打ち合わせ

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      伊里前地区商業の方訪問

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      平成の森上部仮設クリスマスプレゼント配布

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      ハンドメイドグループ顔合わせ、支援打ち合わせ

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      泊浜地区漁師宅訪問

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      平成の森で被災者の方、チーム日光さんとクリスマスパーティ

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      平成の森宿泊 


2日目・・・伊里前地区大工さんと顔合わせ、提案

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      美容室看板支援 

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      館浜地区視察

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      泊浜地区

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      チーム日光による竪穴式集会所建設

      →http://ameblo.jp/fifasannsou/

      伊里前地区牡蠣養殖業春に向けた支援確認 

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      帰路 


現地では、今回は1訪問につき2~3時間くらいは色々と話してました。

実は初めて話すんだけど・・・という話しも幾つかあり、様々な思いが交錯しながらも皆さんもがき、苦しみながらも前に進もうと必死に日々生きていこうという思いがひしひしと伝わる反面、中々前に進めない現状が多く存在しました。

震災当初からの物資配布の問題、避難所で物資を配布していた方の話し。

自分はいいものを食べずに取りにきた人になるべくいい物を渡そうとしていた人が賞味期限切れのおにぎりやパンなどの日々続いた事。いい加減、嫌になり雑炊にして食べた日が続いた事。川に水汲みに行き、あげる対象外になっていた足の悪いおばあちゃんやおじいちゃんは水を汲みにこれないからとペットボトルや水を確保できない人に渡し歩いた事。自分を犠牲にしながら他の人を労わり支えていた人達。

仮設、在宅(家が残った人)の配給を巡る問題を両方の立場の人から聞けました。在宅の人も震災当初から自分の家の物を渡し歩いて支援した事。在宅だからと物資取りに行くと断られた事。いまでもその負い目に苦しんでいる事実。

知り合いばかりだから、買い物しても何を買ったか見られてるとか、だから内陸に買い物に行くとか・・・

ほとんどの人はお互いに労わり、励ましあい、今でも支えあって生活しています。


津波が奪い破壊していったもの・・・

物だけでなくあらゆる事に多くもたらしてしまった。

その話しを伺いました。

仕事、商売復帰への障害。漁の再開への障害。コミュニケーションの断絶。

それでも1歩ずつ新たな町作り、新たな取り組みを被災者自ら生み出そうとしている姿、話しも聞けました。

逞しさを備えている人々。

海の仕事に携わる人は、海は太平洋銀行だとみなさんが言うそうです。

海は利子ばかりでなく今回は元本まで奪っていったものの、それ以上にきっと海は恩恵を与えてくれると・・・

今までもそうだったと、そのように考えている人も多く存在します。

その人達の立ち上がる気持ちを応援しないわけにいかない。

新たに思いを再認識しました。



横浜から個人の繋がりで南三陸町歌津を支援しています。レスキュー横浜オーファ

震災時、3ヶ月、こんなに大きくなりました。



横浜から個人の繋がりで南三陸町歌津を支援しています。レスキュー横浜オーファ



横浜から個人の繋がりで南三陸町歌津を支援しています。レスキュー横浜オーファ

ソロバン頑張って2級とれました。



横浜から個人の繋がりで南三陸町歌津を支援しています。レスキュー横浜オーファ

笑顔が素敵な素直な子でした。



横浜から個人の繋がりで南三陸町歌津を支援しています。レスキュー横浜オーファ


若い人が立ち上がり、町を作り、人との関係までも元に戻す。

そういう気概がある人達にも多く出会えました。

将来を担っていく子供達のために、諦めずに前へ進んで欲しい。

そう願わずにいられませんでした。