プラハ行きの飛行機内では、前の座席の男がシガレットとか言って周囲の人にタバコを求めていたが、目の前の禁煙席の表示の意味が理解できないらしかった.
東洋人の集団が乗っていて、少年合唱団やパンクと同じくらいうるさかった。彼らは一人で乗っている東洋人の私に興味があるらしく、しきりにジロジロ見つめてきた。
空港で入国審査で並んでいると、なぜかあの東洋人の集団がぞっくりと私の後ろに並んだ、なんなんだこいつらはと思った。入国審査官にパスポートを提示すると、審査官の後ろに立っていた偉そうな人が来て、すぐ通すように言ったらしく、なにも聞かれず通された。日本のパスポートは偉大だとつくづく実感した。
到着ロビーにはチェドックの若い男女の職員が私の名前を掲げて出迎えてくれた。
嬉しかったのは、金髪で青い目の女性は日本語ペラペラで来日経験のある女子大生であった。日本語を話せる人がいることで、何となく安心した。男性はドライバーで、日本人観光客からもらったマイルドセブンが良かったと言っていた。ヨーロッパではタバコが入手しづらいのかも知れないと思った。
ホテルに向かう車中で女性は、ジプシーとベトナム人は泥棒だから気を付けるようにと私に忠告した。かつて社会主義国同士ということもあって、ベトナム人を多数受け入れたが、彼らによる盗難が多発したようだ。彼女は、何故よその国にきてまで泥棒するのか理解できないと、嫌悪感を現わにしていた。飛行機で乗り合わせた東洋人の集団はベトナム人であったのかも知れない。今現在、私の住む町や近隣の町ではベトナム人による盗難が多数発生して、強盗傷害などの凶悪事件まであった。三十年前のチェコスロバキア(当時はまだスロバキアと分かれていなかった)と同じことが日本で起きているようだ。
ホテルに着いて彼らと別れて、一休みしてから、さっそく地下鉄に乗り、ヴァーツラフ広場に向かった、プラハ観光の始まりである、後は写真を参照して欲しい。
ヴァーツラフ広場 プラハに着いて地下鉄で行った最初の場所で、やっと来たんだと感激した。みんな外国人ばかりだと思ったが、自分が東洋からきた異邦人であった。
聖ヴィート聖堂
プラハ城(この中に聖ヴィート聖堂が建っている)
プラハ城へ行く階段
プラハ城から見た旧市街
チェルトフカ川と水車小屋のあるカンパ島
プラハ旧市庁舎の天文時計
旧市庁舎前の広場
旧市庁舎前の広場 ティーン教会が見える
聖ミクラーシュ教会
至聖救世主教会 (聖サルバトール教会)
聖イジー聖堂
パヴェル・ヤナーックのショッピングモール (キュビズム建築)
カレル橋
ヴルタヴァ(モルダウ)川とカレル橋
街の通りでの弦楽五重奏 ドヴォルザークやスメタナを演奏
彼らの隣で年配の紳士が目を閉じてじっと聞き入っていて、終わると涙ぐんでいたのが印象的。
パリ通り 1896年から1917年に旧ユダヤ人地区(ゲットー)
が取り壊されて新しくできた通り。アールヌーボー調の建物が多い
路地
旧新シナゴーグ(ユダヤの教会)13世紀末ごろに建てられた現存する欧州最古のシナゴーグ。屋根裏部屋にゴーレムが隠されているとか言われている。
(これよりゴーレムの話になります)
G.マイリンクの小説「ゴーレム」(1915年*)で語られるのは、アルトノイ教会堂(旧新シナゴーグ)に土塊となった小さいゴーレムが展示されているが、三十三年毎*1にゴーレムが現れたり消えたりするのはアルトシュール通り(現在どこの通りか不明)で、その通りにある古い建物(これも不明)の出入口が無い屋根裏部屋に、ゴーレムは霊的な存在としてそこに居て、それを確かめるために、この建物の全ての窓から白い布を垂らしたところ、布が垂れない格子窓があり、その窓の中を覗こうと、屋根からぶら下がった男が落ちて死んだ*2という話であるが、カバラやタロットカードから着想したマイリンクの作り話だと思う。
この小説の主人公は、ユダヤ人街にある建物の床下から地下通路に入って彷徨い、ゴーレムの部屋にたどり着き、そこで彼が見たものは、、。
結局、ユダヤ人街(ゲットー)は取り壊されるが、この小説ではゴーレムの居る建物は残っていることになっている。
G.マイリンク「ゴーレム」の挿絵、背後にシナゴークの屋根が画かれている。
ユダヤ人墓地 暗くて不気味であった。F.M.クロフォードの小説「プラハの妖術師」では、ユダヤ人の青年イスラエル.カフカが恐ろしい目に合う場所である。
G.マイリンク「ゴーレム」の挿絵
G.マイリンク「ゴーレム」の挿絵 ユダヤ人街に現れたゴーレムの姿
G.マイリンク「ゴーレム」の挿絵 ユダヤ人街にゴーレムが現れたと後を追う人々
G.マイリンク「ゴーレム」の挿絵 取り壊されるユダヤ人街
儀式の家 ユダヤの博物館になっている
ここにはユダヤ人少女の絵日記が展示されていて、人々が殺されている絵が描かれていた。これを読んで涙する人が多数いた。
黄金小路 プラハ城の近くにある小路、錬金術師が住んでいたのでこの名がついたとか、カフカの家もある。
カフカの家
G.マイリンク「ゴーレム」の挿絵
最後の日の前日にプラハ城壁にある石造りの古い高級そうなレストランに入った。
テーブルに案内されるまで待っていると、おばさんの集団が入って来て案内役の老人になんだかんだと言ってすぐにテーブル案内するように要求したらしい。老人は申し訳なさそうな視線を私に送って、彼女達をテーブルに案内して、その後私に謝罪しながらテーブルに案内した。なんだか気の毒な気がした。
当時のプラハは西側からの観光客が殺到していて対応が大変なようであった。
ホテルに着いた日にロビーで横柄な態度の集団がいたが、ドライバーは彼らはドイツ人で金を持っていると忌々しそうに言っていたが、私には、おばさん達の言葉がドイツ語の様な言語に聞こえた。
最後の日にドライバーは時刻通りにホテルに来たが、女性はなかなか来ない。
ドライバーは彼女は待てないと出発しようとすると、彼女がタクシーでやってきた。
彼女は、日本人の団体旅行客全員のパスポートを添乗員が預かっていたが盗まれて、その対応に日本大使館にいっていたとのことであった。
盗んだのはおそらくジプシーかベトナム人だろうと言っていた。
空港で彼女と話していて、彼女が私のガイドをしたがっていた事が分かり、彼女と連絡を取らなかったのを悔やんだ。
すると側にいた中年の女性が彼女に話しかけてきて、オーストラリアに移住して里帰りしてオーストラリアに戻るところで、日本に行きたいが日本語は難しいし、旅行費も高いので行けない、日本語を話せる貴方はすごいと彼女に話したらしい。
出発時間になり搭乗手続きをしようとすると、彼女に「座席は指定されていないので好きな席に座って下さい」と言われて驚いた。
彼女が「是非また来てください私に案内させてくださいと」言うので、私も「かならず又来ます」と言って見送る彼女の視線を感じながら出発カウンターを通ったのだが、なんと、荷物はすべて機内持ち込みで一応検査はしたもののナイフ入りの鞄をそのまま機内持ち込となった。
機内のあちこちに荷物が積んであって、空いてる通路側の席に座っていると、小太りのおじさんが空いていた隣の窓側に座った。
機内食が出されると、子供のみやげにでもするのだろうか、おじさんは大事そうにデザートのケーキを鞄にしまった。私は食べもせずに戻したので、おじさんにあげれば良かったと後悔した。
乗り換えのモスクワの空港では、ロンドン発モスクワ経由の成田行きを待っていたが、到着が1時間ほど遅れるとアナウンスがあった。私の隣の席で待っていた若い日本人女性が不思議そうに尋ねてきた「なぜ、一時間も遅れるのに並んで待っている人がいるのでしょうか?」私は「多分、座席が指定されていないので、良い席に座りたいのでしょう」と答えて、座席指定が空欄の私の航空券を見せると、彼女は驚いて、空港職員に何か尋ねると、あわてて荷物を持って列に加わった。
私はそのまま座っていたが、無事搭乗できて成田に着いた。 (終)
* 同年にパウル・ヴェゲナーが自分自身がゴーレムに扮した映画を公開している1920年にもリメイクしている。
*1 33はカバラ数秘術のマスターナンバー、キリストが人間で
あった期間。
天文学では純粋太陰暦(イスラムの太陰暦で、閏年、閏月が
ない)では季節が一周する周期、しし座流星群の周期でもあ
る。
小説では占星術的にゴーレムが作り出された時と同じ位置に戻
るたびに現れるとしている。
三十三間堂や三十三観音など仏教にも関連のある数字。
*2 タロットカードの「吊るされた男」を象徴している。