高校時代の私について、続きを書きます。
はじめてお読みになるかたは、前回のお話、高校時代の私① を読んでくださいね。
さて、バレーボールがしたい一心で、勉強を必死にしたのですが、、、
高2の学期末テスト 数学で0点になりました。
顔面蒼白になり教員室に、駆け込みます。
だって、0点ということは???いうことは。。。
成績が落ち、部活が続けられないということです。
当時の私にとって、世界中のいち大事と思うくらい、の状態です。
数学の先生に「あの~」とテストをみせます。
先生「どうして0点なの?」
私「名前を書くのを忘れました。。」
先生「そうね。だから0点」
私「お願いです。直してください」「私部活つづけられなくなっちゃう。」
何度もお願いしました。
先生は、ねばる私に、何度も「ダメです」と。。。
しまいには、先生が泣きだしてしまいました。
そしたら、バレーの顧問の先生が、私の頬をバッサリです!
もう痛いし、こっちだって理不尽なのは、わかっているけれど
部活ができなくなることは、大変なことで、
私のほうが、なんてことをしてしまったんだと、泣けて泣けて。。
バレーの顧問の先生は、職員室でというてまえ、始末書を書かされ。。
私は、バレーの練習に行ったら
もう精神的にボロボロで。。。
ところが、運動部ってのは、センチにしたる余裕もなく、
根性がまがってると理由をつけ、ワンマントレーニングとなり、
アスファルトに休み休み座り込み、家路にたどりついた記憶がございます。
小学校の頃はテストをドブに捨てていた子が、必死に勉強した事件でした。
ちなみに成績は下がりましたが、母に0点事件を正直に話したら、
学校からすでに連絡が、母に入っていたらしく
母は状況をおみとうしで、「父ちゃんにだまってるから」
と言われ、ほっぺたは、痛いし、身体はクタクタだし、せつないし、
母の言葉にほっとして、大泣きした覚えがございます。
と~にかく部活自体は、厳しく30人以上いた、同じ学年の生徒が
卒業の頃には、3人しか残りませんでした。
私の高校時代では、「ど根性」が流行り、水分も摂るなど言われ、
ジュースも禁止で、それでも、喉は乾き、顔を泡うフリをして、水を飲んでいました。
練習中、試合の合間、水を飲みに行ったのがバレタ 日には
ブログに書けないほどの事がおきました。
高校3年生になり、進路についてだいぶ悩みました。
現実、進学するお金のあては、ないし。。
頭はよくない、就職もしたくない。随分悩みました。
次回のプロフィールは、悩んだ事を 高校3年生 というタイトルで記事にします。
お読みいただいたご縁のかた、ラブラブラブ