高校3年生 | 十勝からLOVE 自然と共に生きるスタイル

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いつも心に太陽を。

    

今、私のブログを初めてお読みのかたは、前回のあらすじ  をお読みください。


さて、いよいよ高校3年生。


バレーボールの毎日。進学か?就職か?と選択を迫られても、


「どうしよう~しょぼん」 「就職したくな~い」


かといって、頭がいいわけでもないし、先立つお金のあてがない。。。


何がしたいのかも、いっぱいありすぎて決めらんない。


看護師さんになって、病気の人を助けたかった。


バレーボール自体をもっと続けたかった。


動物園の像の飼育のお仕事につきたかった。


書道の先生になりたかった。


決めらんない。しかし自分で決めらんないだけではなく、お金が。。。。ガーン


もう本当にどうしよう。お金が普通にある家のお嬢様なら、


進学にしたのにと。。。イジケました。


現実、親は汗水かいて働いている。


母の職場でアルバイトをさせてもらっていたから、どんなに


生計を立てるため、働いているかを知っていた。


父は、一級建築技能士 ようは、大工さん。


「親方」といわれる人で、一件の家を一人で建てられる人。


資材の吟味、手配、何から何まで一人で請負ができる職人さん。


しかし、こだわりが強く、納期までに立てるのに、赤字続きで


仕事があっても、赤字になり、火の車状態でした。


姉に進学について、相談した覚えがあります。


「まずはお金を貯めて、自分が本当にやりたいことがあったら、それに


むかっていけばいい。「就職しな」と。


姉の場合、やりたいことが決まっていて、高校卒業後


アルバイトをしてお金を貯めていた状況の中でのアドバイスでした。


私の場合、やりたいことが定まっていなっかし、


アルバイは、すでに夜遅くまでしていたので、「就職」としました。


何度も学校にある求人表と ナラメッコ 目して。


夏前にクラスで一番に就職が決まり


お世話になっている担任の先生は、後期のクラス委員にするし、


部活でも「なんで報告しないんだ。おめでとう。」


家では、就職が当たり前のようで、「おめでとう」が逆になく。。。


もう悲しくて悲しくて、しかたなかった。


本当は、就職なんてしたくなかったんだよ~ 叫びたくてしかたなかった。


3年生秋には、バレーは、コーチとして後輩の指導に入り、


いつ練習しに行ってもいい状態でした。


私は、バレーが好きなのに、ほとんど顔をださず。。。


放課後ワープロを習ったり、アルバイトをしていた。


意地毛虫!


後輩や、仲間の2人が練習しているのを、かくれて視ていました。


「お前は、後輩に人気もあるし、もっと面倒身のありやつかと思った」


と言われても、仲間に誘われても、後輩から、手紙を何通もらっても、


現実、お金がなくちゃなんにもできない!と


頑なになり、就職するための服を買うため、


カバンを買うため、靴を買うため、お化粧品を買うため


コンタクトレンズにするため、アルバイトをしました。


そんな意地毛虫。


とうとう仲間の2人が、教室に迎にきてくれました。


「練習一緒にできるのもあと少しだよ」と。


そして、バイトもやめ、また練習するようになりました。



卒業前の最後の練習、3人で体育館の床に、大の字になった。


もう現役高校生での最後だった。


私「3人一緒で迎えられたね。ありがとう。」


Mさん「お金。たまった?これからは、私のお下がりジャージじゃ会社行けないもんね」


Sさん「よ~くカルは、叱られたね」


Mさん「校庭まで飛んで行ったときバレー部はボールじゃなくて人が飛ぶのかって言われたもん」


あの合宿の時さと  大笑いになり、いつしか3人とも黙り、


体育館の出入り口で3人で「ありがとうございました」と頭をさげました。


卒業後、同窓会が何度かあっても、誰か都合悪くこれなかったりで


3人一緒という事は、ありません。


私は生まれもって、ボーっと人間で、かんしゃくもちでした。


私に友情や、ど根性を教えてくれたは、高校時代です。


しかし、もう一度、高校時代に戻りたいか?聞かれたら、


私の場合は 「NO」 です。


私にだから伝えられることがあります。


私が、実話として話すことができることがあります。


何かをはじめるのに、「年齢」は関係ありません。


「お金」というしがらみに 負けないでください。


お金がないのなら、働きましょう。


そして稼ぎましょう。夢は、何年かかっても必ず叶います。


あなたが本当にしたいことなら、叶います。


そして、あらゆる経験をしたからこそ、私の場合、


40才過ぎて、シンボリックと であったんだろうなと。


次回は「社会人オフィスレイディ」について書かせていただきます