高校時代の私 ② | 十勝からLOVE 自然と共に生きるスタイル

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いつも心に太陽を。

    

高校時代の私について、続きを書きます。


はじめてお読みになるかたは、前回のお話、高校時代の私①   を読んでくださいね。


さて、バレーボールがしたい一心で、勉強を必死にしたのですが、、、


高2の学期末テスト 数学で0点になりました。


顔面蒼白になり教員室に、駆け込みます。


だって、0点ということは???いうことは。。。


成績が落ち、部活が続けられないということです。


当時の私にとって、世界中のいち大事と思うくらい、の状態です。


数学の先生に「あの~」とテストをみせます。

先生「どうして0点なの?」

私「名前を書くのを忘れました。。」

先生「そうね。だから0点」

私「お願いです。直してください」「私部活つづけられなくなっちゃう。」

何度もお願いしました。

先生は、ねばる私に、何度も「ダメです」と。。。

しまいには、先生が泣きだしてしまいました。

そしたら、バレーの顧問の先生が、私の頬をバッサリです!

もう痛いし、こっちだって理不尽なのは、わかっているけれど

部活ができなくなることは、大変なことで、

私のほうが、なんてことをしてしまったんだと、泣けて泣けて。。

バレーの顧問の先生は、職員室でというてまえ、始末書を書かされ。。

私は、バレーの練習に行ったら

もう精神的にボロボロで。。。

ところが、運動部ってのは、センチにしたる余裕もなく、

根性がまがってると理由をつけ、ワンマントレーニングとなり、

アスファルトに休み休み座り込み、家路にたどりついた記憶がございます。


小学校の頃はテストをドブに捨てていた子が、必死に勉強した事件でした。


ちなみに成績は下がりましたが、母に0点事件を正直に話したら、


学校からすでに連絡が、母に入っていたらしく


母は状況をおみとうしで、「父ちゃんにだまってるから」


と言われ、ほっぺたは、痛いし、身体はクタクタだし、せつないし


母の言葉にほっとして、大泣きした覚えがございます。


と~にかく部活自体は、厳しく30人以上いた、同じ学年の生徒が


卒業の頃には、3人しか残りませんでした。


私の高校時代では、「ど根性」が流行り、水分も摂るなど言われ、


ジュースも禁止で、それでも、喉は乾き、顔を泡うフリをして、水を飲んでいました。


練習中、試合の合間、水を飲みに行ったのがバレタ 日には

ブログに書けないほどの事がおきました。叫び

高校3年生になり、進路についてだいぶ悩みました。


現実、進学するお金のあては、ないし。。


頭はよくない、就職もしたくない。随分悩みました。


次回のプロフィールは、悩んだ事を 高校3年生 というタイトルで記事にします。


お読みいただいたご縁のかた、ラブラブラブラブラブ