余命3ヶ月・・・そう告げられた家族の苦悩 -16ページ目

余命3ヶ月・・・そう告げられた家族の苦悩

娘でいられる時間が残り僅か・・・

親不孝ばかりしてた私が最後に母にしてあげられる事は・・・?

主治医の達筆な字で読みとれない部分がある。

読み取れない部分は『・・・』で書いています。



病名 膵癌 癌性腹膜炎

    急性閉塞性化膿性胆肝炎の疑い 敗血症 DIC


膵癌による癌性腹膜炎、胆管の閉塞については以前からお話しましたが

本日よりふらつき血圧低下、尿量の低下を認めています。

採血によると肝機能障害の悪化、光症反応の上昇

肝機能の悪化を認め、光症に伴う敗血症性ショック

DIC『播種性血管内凝固症候群』 を

・・・している可能性が高いと思われる。


抗生物質の投与を開始しましたが

その効果が現れることが無く・・・しない場合、多臓器不全にて

一週間以内に死亡する場合も考えられる。


ただし現状でも状態が悪いため追加の処置を行っても

処置中のリスクが高く処置を行えば・・・することは確実とは言えませんが

行わないと・・・悪し死亡する可能性があります。


① 内視鏡的胆道ドレナージ 

② 経皮経胆管道ドレナージ


A 上記の処置を追加で行う 

B ・・・薬剤のみで経過をみる 


母の体力を考えると

処置を行っても処置中に命を落とす可能性もあると言われた。


けど、処置をしなければ間違いなく一週間以内に死亡する。


家族の願いは一日でも長く生きていてほしい・・・

それが母にとって辛くても・・・。


これは残される家族の勝手な想いかもしれないけど

どんな状態でも生きていてほしい願い


ただ一つだけ・・・

もしも呼吸、心臓が止ってしまったら・・・

その緊急処置はしなくてもいいと・・・サインした。


21時頃から手術が開始した。

約40分の処置、手術だと言っていたのに

なかなか母は出てこない・・・


なにか、、、あったのか、、、

もう生きては戻ってこれないのか、、、


お母さん・・・

せめて弟が戻ってくるまではがんばって!!


じゃないと弟は一生悔やむコトになるんだから・・・。

最期は・・・家族で看取りたい


それも家族の願いだから・・・。


約二時間後・・・

主治医が出てきた・・・。

治療法


ティーエスワンという内服の効がん剤を使用して治療しましょう。

朝食後及び夕食後の一日2回、28日間連日経口投与し

その後14日間休薬します。

これを1クールとします。治療効果をみながら繰り返します。


副作用 主な副作用


骨髄機能抑制、白血球減少、ヘモグロビン減少、血小板減少

消化器症状 嘔吐、悪心、食欲不振、下痢、口内炎など・・・

皮膚障害 色素沈着、発疹など・・・


重大な副作用

重篤な骨髄機能抑制、重篤な肝障害、脱水症状、重篤な腸炎、間質性肺炎

消化管腫瘍、消化管出血、急性肝不全、臭覚脱失


その他

肝機能障害、腎機能障害、脱毛、頭痛、血圧低下、血圧上昇

など、あります。


慎重に投与します。血液検査を週1-2回行い肝機能検査値に注意しながら

投与していきます。副作用によって休楽期間の延長、減量、中止します。


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1月17日

この同意書にサインすることはなかった。


この二日後の19日に母の容態が急変した。


こんなコトなら母に告知するんじゃなかったと・・・

悔やんでも仕方がない


でもまだ逝くには早過ぎるよ。


病院から電話があり

急いで病室に行くと母がベッドでグッタリしていた。


主治医の話では重篤な状態だと・・・


今、すぐにでも処置、手術をしなければ

間違いなく命はないと・・・


また、処置、手術をしても体力が回復しないと

難しいと・・・。


そのことを電話で弟に伝え

すぐにこっちに向かうと言った。


この週に東京に戻ったばかりなのに

4日後に急変するとは思ってもいなかっただろうに・・・。


弟がこっちに着くのを待っていたら

母の命がない。


すべての同意書に私がサインし手術が始まった・・・。

私は家族の前では一切涙を見せたコトがない。


自分の結婚式でも

主人は横で泣いていたけど

私は泣くコトはなかった・・・。


きっと家族は数年、イヤ何十年と

私の涙を見ていないと思う。


本当の私は・・・泣き虫です。

喜怒哀楽で泣けるんです。


けど、家族の前や大勢の前で泣くのなんて

恥ずかしくて出来ない変なプライドがあった。



・・・母の妹が私に言った。


『姉ちゃんがね、

“静香ちゃん、私の前で一切泣いたことがないのに

病室で泣いたんだよ・・・。”って言ってたよ。』


あの時だ・・・


母の病名を聞いた後に

母の手を握って泣いたときだ・・・と、分かった。


泣いたら変に思うから我慢しようと思ったけど

どうしても我慢できなかった。


あれからどれだけの涙を流したか・・・


病室の廊下で一人で泣き

余命を宣告された帰りの車の中で号泣したり


父の涙、姉の涙でもらい泣き・・・


涙って枯れないんだよね・・・


母の涙を見たのは・・・


母のちょっとした一言で私が怒った時だった。


『あっそう!そんな言い方するならもう帰るから!!』 

泣かせるつもりはなかった。


ただ、母の物の言い方に頭にきた。


辛いのは母だけじゃない

私だって父だって、、、みんなが辛い思いをしているのに

母だけイライラしてるのが気に入らなかった。


母はしんどい体を起こし

『ごめんね、、、ごめんね、、、だから帰らんとって・・・』

そう、言いながら私の横にきて大泣きした。


母はその一言を言った訳を話し

私もどうして怒ったかを話した。


『また来てくれる??もう来ないなんて言わんといてね。』


今でも母を泣かせてしまったこと

どうしてあんな風にしか言えなかったのか

すごく悔やんでいる。


もっと優しく接してあげなかったんだろう・・・


母はこのことを二人の秘密と言っていたのに・・・

しっかり弟に話していた。


・・・本当に『おしゃべりな母』 だと思った。


けど、秘密にしていたら

きっと私が辛い気持ちになると思って話したんだよね?

ありがとう・・・お母さん♪