余命3ヶ月・・・そう告げられた家族の苦悩 -17ページ目

余命3ヶ月・・・そう告げられた家族の苦悩

娘でいられる時間が残り僅か・・・

親不孝ばかりしてた私が最後に母にしてあげられる事は・・・?

私の耳はちょっと難聴で

言葉がうまく聞き取れない。


大きな声でハッキリ話してくれれば問題はないけど

小声で話されると全く聞き取れない


7年前に手術をしたが・・・

術後は良かったけど数年経って戻ってしまったみたい。


母の病室は4人部屋

もちろん大きな声で話すことはできない


何度も聞き直す私にきっとイライラしてたに違いない

だから聞こえてるふりをし相槌をうつ


母はおしゃべりが大好きで

同じ話を何度も何度も繰り返す


母と向き合って話をするのは

何年振りだろう・・・思い出さない・・・


あまり会話がなかった家族だったのかもしれない。


残り僅かと知りながら

何を話していいのかさえ思いつかず

ただ、母の話を聞いてるだけ、、、


話を聞くだけじゃなく

ちゃんと親子の会話がしたい・・・


母の話だけじゃなく

肝心な先生の話すら一人で聞けない


マスクをしてる先生の声はこもって何を言ってるのか理解出来ない


『・・・すみません、、、私、難聴で聞き取れないんです・・・。』


聞き取れなかった部分は話の途中で

『なんて言ったの??』 と、父か弟に聞き直す


・・・かなり不自由だと今になって気づいた


必要ないと思って避けてた

『補聴器』を買うことを決心した。


母の言葉をきちんと理解し会話がしたい。

『うん、うん』 ってうなずくだけじゃなく

私の思いも言葉にして伝えないから・・・。


けど、、、遅かった、、、、


補聴器を買った夕方に

病院から電話がきた


『容態が急変したのですぐ病院に来て下さい。』


急変って・・・ちょっと待ってよ・・・。


先週は体力が回復したから

一泊だけ外泊許可出たばかりじゃん


きっとこれが最後だろうと家族で過ごしたばかりなのに・・・。




1月12日~13日

外泊許可が出た。


母の精神的不安を取り除こうとして許可をもらった。

前日の11日に母に病名を告知したからだ・・。


家族で話あって弟が帰省する前に告知しようと決心した。


告知を決心したわけは

先生が抗がん剤の使用ができるくらいまで回復してきたと言ったから・・・。


告知すれば今後、母がどうしたいのか選択も可能になる。


あとは・・・やっぱり最後まで病名を隠し通す自信が、、、なかった。


母は病名を知りたかったのか・・・

知りたくなかったのかもしれない


父が後で教えてくれた。

『薄々感じてた・・・』 そう、母が言っていたと・・・。


数日間、母には黙っていた病名


母は私達をどう思ったのか・・・

そんなコト・・・聞けないよ・・・



入院しても母が気にかけてたコト


日本三大奇祭

国府宮の『はだか祭り』


ベッドで横になりながらも

『今年は何日にやるんだろう・・・』 と、

ずっと気にしていた。


『早く良くなって行かなきゃね。』


病名を知らない母は

この次点でも行く気だった。


『今年は行けないから私が代わりに行くから心配しないの!』



私が18歳の頃から

ずっと通い続けた


私の厄払いのため、そして家族のために

毎年欠かさず18年間通い続けた


2月の一番寒い月に

年に一度とはいえ今になって母に感謝している。


今日がその『はだか祭り』の日でした。


電車を乗り継ぎたくさんの人ごみの中で

母が毎年通ったであろう風景を見ながら母を想った。


悲しかった・・・

胸が苦しくなった・・・


きっと母は今年も行きたかったに違いない


今年も、、、来年も、、、

母の代わりに私が行くことになる。



・・・お母さん

今日ちゃんと行って来たからね。


人ごみが苦手な私だけどさ、

文句言いながらでも毎年行くから心配しないでね♪


18年も通い続けてくれてありがとう・・・。 静香



母が入院してから毎日のようにお見舞いに行った。


仕事が終って父を迎えに行き

そのまま病院に行く


病院に向かう車の中は無言のまま・・・

ため息しか、、、出ない


ふと父が


『この道をあと何十回通るんだろうね・・・。』 と言った。


『・・・何百はないから・・・何十回じゃない??』


この道をあとどれくらい通れるのかな・・・。



毎日通ってる間にふと気が付いた・・・

他の入院患者さんに見舞い客が来ないってコトを・・・。


私達親子は通いすぎだったのかもしれない。


弟は正月の帰省を早め29日から

翌月の14日までの17日間毎日昼から夜8時まで病院にいた。


『なにかあったらすぐ電話してよ。』


その言葉通りになってしまった。