ひと昔前のこと、娘の大学院の入試の発表があった。もうそろそろ娘から連絡があるかなと思って携帯電話を覗いたところ、電源が切れていた。私は毎日充電しているので、携帯の電源が切れることはほとんどない。ああ、落ちたのだな、と思った。夕方、妻が娘に電話すると、案の定、受かっていなかった。

 

実は、私は大学院の入試に3回落ちている。最初の年は、試験当日の夜明け前、尿管結石の疝痛が起こり、病院に駆けつけて鎮痛剤を打ってもらったが、その鎮痛剤が効きすぎたのか、もうろうとなって試験を受けることができなかった。2年目は、試験の1週前から眼に異物ができて、視界不良となり、悶々とした精神状態で試験に臨み、見事不合格となった。3年目は、順調に試験を受けることができ、期待半分で合格発表を見に出かけようとして腕時計を覗いたら、時計のハリが止まっていた。「虫の知らせ」のとおり、不合格であった。

 

また、私の母が重い病気で入院しているとき、娘と息子を母の見舞いに病院に連れて行ったことがある。母の病室に向かうエレベータの中で娘が突然理由もなく泣き出した。何か変だな、と思いつつ病室に入ったら母の病状が急変していた。母はそれからまもなくして亡くなった。

 

そういえば、御嶽山の噴火に遭遇した日、途中の道でサルの群れとつがいのライチョウを見たのもそうかもしれない。サルの群れは車道を左から右へと横切り、斜面を下って行った。つがいのライチョウは仲良く岩の上にいて、地獄谷の方を見ているようだった。これらの動物たちのいつもと違う行動は、噴火を予知していたのかもしれない。「虫の知らせ」を動物たちが伝えてくれたのだろう。

私が、いわゆる“春歌”なるものを聴いたのは、小学生のころ、鏡町の祖父の屋敷の座敷で、親父が歌った「よかちんちん」である。親父は、ステテコ姿で、股間に棒みたいなものを挟んで歌いながら踊っていた。

 

【よかちんちん】

ひとつ なんじゃろな

ひとつ 人より よかちんちん

あ よか あ よか あ よか よか よか よか よかちんちん

ふうたあつ なんじゃろな

ふたつ 振っても よかちんちん

あ よか あ よか あ よか よか よか よか よかちんちん

みいっつ なんじゃろな

みっつ 見つめて よかちんちん 

あ よか あ よか あ よか よか よか よか よかちんちん

よおっつ なんじゃろな

よっつ よじって よかちんちん

あ よか あ よか あ よか よか よか よか よかちんちん

いつつ なんじゃろな

いつつ 入れても よかちんちん

あ よか あ よか あ よか よか よか よか よかちんちん

むうっつ なんじゃろな

むっつ むいても よかちんちん 

あ よか あ よか あ よか よか よか よか よかちんちん

なあなつ なんじゃろな

ななつ 舐めても よかちんちん

あ よか あ よか あ よか よか よか よか よかちんちん

やあっつ なんじゃろな

やっつ やっても よかちんちん

あ よか あ よか あ よか よか よか よか よかちんちん

ここのつ なんじゃろな

ここのつ こすって よかちんちん

あ よか あ よか あ よか よか よか よか よかちんちん

10

とおお なんじゃろな

とおで 飛ばして よかちんちん

あ よか あ よか あ よか よか よか よか よかちんちん

 

 

私は、中学高校を熊本のマリスト学園というクリスチャンの学校の寮で過ごした。そして、寮生活の中で、いくつかの春歌を先輩から教わった。「マリスト学園寮歌」というのは、寮歌なのだが、寮歌と言っても立派な春歌である。音声で伝えられないのが残念だが、朗々としてノスタルジックで、実に素晴らしい楽曲である。この歌を今の寮生たちは歌っているのだろうか。もう、歌われなくなってしまったのだろうか。そうだとしたらとても残念だ。マリスト学園で寮生活をしていた頃、覚えた春歌はほかにもいくつかある。証城寺の狸囃子の節で「しょう、しょう、尚絅校、尚絅校には・・・」と続くエッチな曲がある。尚絅校はお嬢様たちが通う女学校である。また、「一つ出たほいのよさほいのほい、一人娘と・・・」で始まる数え歌もあった。二つが二人娘、三つが醜い女と続き、十二が十二単で、十三がジュウソウのねえちゃんである。十四以降もあるのかもしれないが私は知らない。

 

【マリスト学園寮歌】

阿蘇の火山を背景に 歴史名高い立田山

熊本平野にそびえ立つ マリスト健児が歌います

そもそも二人のなりそめは 花は三月桜どき

夕闇せまる熊本城 互いに見交わす顔と顔

あなた上から下りフジ わたしゃ下からユリの花

そこで電気をケシの花 あとの話はナシの花

わたしこの頃おかしいの あれが止まってもう三月(みつき)

もしもあれであったなら 生まれてくる子にゃ罪はない

生まれてきたのは男の子 末は博士か大臣か

今じゃその夢破れたり マリスト一のスケコマシ

生まれてきたのは女の子 クレオパトラか楊貴妃か

今じゃその夢破れたり 熊本一のさせ子ちゃん

 

【証城寺の狸】

しょ、しょ、尚絅校

尚絅校には処女いない

つん、つん、月が

三月(みつき)、ない、ない、ない

 

【数え歌】

一つ出たほいの よさほいのほい

一人娘とするときにゃ親の許しをえにゃならぬ

二つ出たほいの よさほいのほい

二人娘とするときにゃ姉の方からせにゃならぬ

三つ出たほいの よさほいのほい

醜い女とするときにゃハンカチかぶせてせにゃならぬ

四つ出たほいの よさほいのほい

よその二階ですときにゃ音をたてぬようにせにゃならぬ

五つ出たほいの よさほいのほい

磯の浜辺でするときにゃ砂の入らぬようにせにゃならぬ

六つ出たほいの よさほいのほい

昔の女とするときにゃ思い出しだしせにゃならぬ

七つ出たほいの よさほいのほい

馴染みの女とするときにゃあの手この手でせにゃならぬ

八つ出たほいの よさほいのほい

八百屋の女とするときにゃ大根担いでせにゃならぬ

九つ出たほいの よさほいのほい

皇后陛下とするときにゃ直立不動でせにゃならぬ

10

十と出たほいの よさほいのほい

貴いお方とするときにゃ死刑覚悟でせにゃならぬ

12

十二出たほいの よさほいのほい

十二単衣とするときにゃ脱がし脱がしせにゃならぬ

13

十三出たほいの よさほいのほい

十三の姉ちゃんとするときにゃ病気覚悟でせにゃならぬ

 

 

私は、大学で多くの寮歌を覚えた。そして、他大学との飲み会の席では、寮歌を披露しあったものだ。そして、そのあとで、春歌に興じた。「金玉の七不思議」「娘十七・八」「エッチラ節」「きょうだい心中」「宮川町十三階段」など古典的な春歌のほかに、青い山脈の節で「青いパンティ」、五木の子守歌の節で「近親相姦の歌」といったモダンな春歌もあった。「ゆうべ父ちゃんと寝た時に・・・」で始まる有名な春歌には英語の歌詞までついていた。

 

【金玉の七不思議】

ドー、ミー、ソー

ドー、ミー、ソー

その調子で

キンタマ―、キンタマ―、キンタマ―

キンタマ―、キンタマ―、キンタマ―

戦争でもないのに鉄兜

戦争でもないのに鉄兜

キンタマ―、キンタマ―、キンタマ―の七不思議

竹でもないのに節がある

竹でもないのに節がある

キンタマ―、キンタマ―、キンタマ―の七不思議

ゴムでもないのに延び縮み

ゴムでもないのに延び縮み

キンタマ―、キンタマ―、キンタマ―の七不思議

 

 

【娘十七・八】

エンヤラヤ、エンヤラヤ

エンヤラヤのエンヤラヤ

エンヤラヤの声聞きゃ勇み立つ

娘十七・八はポストでござる

赤い顔して入れさせる。

エンヤラヤ、エンヤラヤ

エンヤラヤのエンヤラヤ

エンヤラヤの声聞きゃ勇み立つ

娘十七・八は速達でござる

出せばシキュウに届きます

エンヤラヤ、エンヤラヤ

エンヤラヤのエンヤラヤ

エンヤラヤの声聞きゃ勇み立つ

娘十七・八は電車でござる

チンチンならせば動き出す

エンヤラヤ、エンヤラヤ

エンヤラヤのエンヤラヤ

エンヤラヤの声聞きゃ勇み立つ

娘十七・八は車掌でござる

早くお乗りとせきたてる

エンヤラヤ、エンヤラヤ

エンヤラヤのエンヤラヤ

エンヤラヤの声聞きゃ勇み立つ

娘十七・八は質屋でござる

出したり入れたり流したり

 

【エッチラ節】

エッチラオッチラ学校さぼって東七条へ行けば

京女の姉ちゃんが横目でにらむ

やりたいな、やりたい、やりたい、やりたいな

京女の姉ちゃんと勉強やりたいな

エッチラオッチラ学校さぼって北白川へ行けば

ダム女の姉ちゃんが横目でにらむ

さしたいな、さしたい、さしたい、さしたいな

ダム女の姉ちゃんと将棋をさしたいな

エッチラオッチラ学校さぼって今出川へ行けば

同女の姉ちゃんが横目でにらむ

いれたいな、いれたい、いれたい、いれたいな

同女の姉ちゃんにコーヒーを淹れたいな

 

【きょうだい心中】

ここは都か京都の町か

京都の町ならきょうだい心中

兄は21 その名は真吾

妹は18 その名はお菊

ある日兄さは妹を呼んで

しみじみ語る胸の内

お医者様でも草津の湯でも

兄さの病は治りゃせぬ

いとしいお前と一夜を添えば

兄さの病はさらりと治る

兄さ兄さよ何をか言わる

私にゃ定めたお方がござる

定めたお方にゃすまないけれど

兄さの病にゃかてやせぬ

そこで妹は腰ひも解いて

兄さの蒲団にするりと入る

もと下もと下 バカそこへその穴

もと下もと下 バカそこケツの穴

10

これが世間のうわさとなって

哀れ二人はきょうだい心中

11

ここにお出での皆々様よ

ゆめゆめ きょうだい恋するなかれ

ゆめゆめ きょうだい恋するなかれ

 

【宮川町十三階段】

おらの京大知らないかい 知らなきゃ教えてあげましょう

花の3月試験うけ 4月めでたく入学し

1番電車に乗り遅れ 2番電車は満員で

3番電車は貨物車で 4番電車に飛び乗って

着いた所が京都駅

市バスで行くなら30分 市電で行くなら25分

着いた所は東一条

1時間目は社会学 2時間目は心理学

3時間目がドイツ語で4時間目はエスケープ

1番電車に飛び乗って 二条・三条通り越し

着いた所が四条京阪

東に見えるは祇園町 西に見えるは先斗町

中を取り持つ宮川町 宮川町へと歩みよりゃ

たちまち島田が現れて あら学生さんや珍しい

京都に大学数あれど 同志社の学生はあほたれで

立命の学生はガラ悪い 大谷・竜谷線香くさい

粋でシックは京大は応援団の学生さん

13階段トントンと 昇りつめたる四畳半

赤い布団をしきの花 パッと電気をけしの花

あなた上から藤の花 わたしゃ下から百合の花

ヨイショヨイショの掛け声で 一汗流したその後で

十八島田が言う事にゃ わたしゃ元々女郎じゃない

生まれは九州鹿児島県 三年続きの不作にて

蔵は売りたし蔵はなし 親族会議の明け暮れで

わたしゃ売られていくわいな

バスや電車に乗せられて 着いたところは中国は

広島県は呉の町 旭の遊郭サンパウロ

朝は早うからけ起こされ いやなショコさんにゃ乱暴され

月に一度の検査日にゃ 親にも見せない玉手箱

奥の奥まで覗かれて 軟性下疳とあだ名され

呑んだ薬が水薬 つけた薬がヨードホルム

あなた末には学士様 どうぞ迎えに来てちょうだい

どうぞ迎えに来てちょうだい

 

【青いパンティ】

胸もふくらみ毛も生えたお尻も大きくなりました

青いパンティを膝までずり下げて

はやくして はやくしないとママがくる

ママがきましたママがきた私も仲間にいれてよと

青いズロース膝までずり下げて

はやくして はやくしないとパパがくる

パパがきましたパパがきた私も仲間にいれてよと

青いパンツを膝までずり下げて

はやくして はやくしないとババがくる

ババがきましたババがきた私も仲間にいれてよと

青い腰巻膝までずり下げて

はやくして はやくしないとジジがくる

ジジがきましたジジがきた私も仲間にいれてよと

青いフンドシ膝までずり下げて

はやくして はやくしないと朝がくる

 

【近親相姦の歌】

おどま まちごうてまちごうて妹に入れた

妹 なまいきに膜がない

おどま まちごうてまちごうて姉ちゃんに入れた

姉ちゃん なまいきに金とった

おどま まちごうてまちごうて母ちゃんに入れた

母ちゃん なまいきに子が出来た

おどま まちごうてまちごうて婆ちゃんに入れた

婆ちゃん なまいきに声上げた

 

【ゆうべ父ちゃんと寝たときに】

ゆうべと父ちゃんと寝たときに

変なところに芋がある

父ちゃんこの芋 なんの芋?

息子、よく聞け この芋は

お前をつくった種芋さ

Last night I slept with my papa.

There is something like a potato.

Father, what is this potato?

Baby listen to me carefully, that is potato that made you!

ゆうべ母ちゃんと寝たときに

変なところに穴がある

母ちゃんこの穴 なんの穴?

息子、よく聞け この穴は

お前が通ったトンネルさ

Last night I slept with my mama.

There is something like a tunnel.

Mather what is this tunnel?

Baby listen to me carefully, that is tunnel you came out!

ゆうべねえちゃんと寝たときに

変なところに土手がある

ねえちゃんこの土手 なんの土手?

お前、よく聞け この土手は

お前がまもなくあがる土手

 

 

これらの春歌は、方言同様、もう、時代の波にさらわれて消滅してしまったのだろうか。もしそうだとしたら、それは非常に淋しい。庶民の中に生まれた言葉は、品がないかもしれないが、味があって、とても愛おしい。俳諧が「離俗の俗」だとすれば、春歌は「俗中の俗」かな。いつまでも残しておきたいものである。 

 

春歌も面白いが、エッチな小話も負けてはいない。やはり50年ほど前のことだが、当時の中学生が作った小話やなぞかけがある。ませた中学生である。脱帽。

 

【その一】

「ひろ子、新婚旅行の時はネグリジェだった?」

「いいえ」

「じゃ、パジャマだった?」

「いいえ」

「え! じゃ、何もしていなかったの?」

「いいえ、着替える暇がなかったの」

 

【その二】

「奥さん、夜は何を身に着けて寝てらっしゃるの?」

「パジャマよ、主人が喜びますの。おたくは?」

「うちはセーラー服よ」

 

【その三】

「君は寝る時、何を着るんだい?」

「パジャマとネグリジェよ」

「じゃ、その日の気分でかえるんだね」

「いいえ、その日の男によってかえるの」

 

【その四】

「PTAとかけて何と解く?」

「破れたブラジャーと解く」

「その心は?」

「ときどきチチが見える」

みんな別室に戻った。団交の行われている大会議室から階段を下りてそのまま進んだ一番奥の部屋が組合の控室であった。中執7名と各地本委員長6名の計13名である。部屋に入ってすぐ右手に電話がある。何か進展があると経営側の事務方からこの電話に連絡がある。今、団交が決裂したばかりだから、しばらく連絡はないはずだ。

組合の要求と経営側の思惑にはまだ大きな隔たりがある。しかし、もう夜の8時である。スト通告をしている零時まで4時間しか残っていない。スト解除の連絡を末端の組合員まで伝えるには2時間くらいの時間は欲しい。あと2時間で妥結できなかったらストライキに入らざるを得ない。ストに突入したら、いくつか放送事故が起こるだろう。道路や船舶向けの情報提供をストップさせたら、ユーザーのいくつかは契約を解消するだろう。今どき、組合のストに同情を寄せるようなおめでたい企業はない。しかし、今のままの回答では組合員は納得しない。まだ彼らの要求の十分の一にも達していない。

今年の春闘は例年にも増して厳しい闘いになることは覚悟していた。一昨年に始まった資格試験と並行して実施された当該事業の規制緩和で、多くの民間会社が誕生した。それまで、男の会社が独占していた当該事業が過酷な競争時代に突入したのだ。そのため、男の会社でも取引先の大半が随契から競争入札になった。当然契約額が落ちた。それだけではない。入札で落札できないものも多く出た。放送局向け番組も去年2局が他社に移った。今年はもっと多くの放送局が危なくなっている。全国展開している道路関連業務も、今年、一地方で試験的に他社に業務託された。来年以降どうなるか分かったものではない。去年の事業成績が前年の1割減程度ですんだのはいい方なのかもしれない。経費節減の努力の結果、去年もどうにか赤字を免れた。しかし、去年以上に厳しい今年は、何か抜本的な手を打たない限り黒字など到底望めない。組合の純ベア1・0、賞与5カ月の控えめな要求に対して、経営側がベアゼロ、賞与3カ月を回答してきたのももっともだと思われる。

これまでの交渉で、ベアゼロは変わらなかったが、賞与を3・25カ月まで上積みできた。しかし、これが経営側の限界という。一応、各地本に現回答で妥結するかどうか打診したが、全地本から「ノー」の返答。「言語道断」、「これでは家族が路頭に迷う」、「経営ビジョンを示せ」、「経営陣の退陣を」、「スト決行するぞ」など、怒りの声がほとんどだ。各地本の組合事務所で待機している一人一人の組合員の怒った顔が脳裏をよぎる。この回答のままではスト突入は必至だ。しかし、中執の経営分析担当者の冷静な分析によると、経営側の出している今の回答内容でも経営破たんの可能性が高いという。賞与ゼロとしてもベアが今のままでは今年の赤字は間違いないし、2、3年後には確実に退職給与引当金が底をつく。これは、経営陣の無策を前提とした分析だが、今の厳しい当業界の現状を考えると、そうそうに良策が打てるとは思われない。

 

委員長が口火を切った。

「みんなの率直な意見を聞きたい。経営側の答弁からは、これ以上の上積みは非常に厳しい。私としてはストライキは何としても避けたい。現回答で組合員に納得してもらいたいと思うが、どうだろう」

一瞬、みんなあっけにとられた。今まで、ストの影響を心配する組合員に対し、「こんな低額回答ではとうてい妥結できない」と言い、組合員を鼓舞し、先頭を突っ走ってきた委員長が初めて弱腰の発言をしたからだ。最古参の副委員長が続いた。

「今の委員長の発言は意外だが、私もこれ以上の回答はないと思う。今回ストに突入しても、その後の妥協点が見出しにくい。ここは、各地本の委員長にがんばってもらって組合員を説得してもらえないか」

しばらく沈黙が続いた。地本の各委員長は困惑していた。スト突入は避けられないと踏んでいたからである。まず、東京地本委員長が口を開いた。

「東京地本では、最初からストには反対する意見が多かったから、どうにか説得できると思うよ」

みんな大阪地本委員長の方を振り向いた。大阪地本がスト回避に踏み切れば過半数以上の組合員の支持がえられることになり、ストが避けられるからだ。大阪地本委員長が発言した。

「ちょっと待ってくれへんかな。今まで、ストするぞ、ストするぞ、と煽ってきたのに、急に方針変更するのは難しんちゃうかな。ううん、少し時間を呉れへん」と言って、携帯をもって部屋の外に出た。

すると、名古屋地本の委員長が発言した。

「うちの地本の説得は無理だ。回答が低いならば、その代りに経営陣の首が要る。しかし、それも無理だろう。うちの地本は反対させてくれないかなあ。うちが反対しても多数決には影響ないだろうし」

東北地本は紅一点の委員長である。彼女が発言した。

「私たちの地本ではほとんどの組合員が中執の方たちを信頼しています。中執の方がストを回避したいと言えば、それに従うと思います」

そのときだ。バチンと箸の折れる音がした。夕食の弁当に付いていた割り箸が折れた音だ。箸を折ったのは3番目に多い組合員を擁する北海道地本の委員長だった。

「おかしいじゃないですか。つい数時間前まで、要求貫徹、満額回答と言い続けていて、急に白旗あげるのは納得できません。私は、地本の事務所で待っている組合員に説明できません。正々堂々と闘いましょうよ。要求で一致するのが組合ですよね。この要求を捨てたら組合の団結なんてなくなります。自分らで決めた要求は貫き通しましょうよ」

再び沈黙が続いた。男は弱った。先の団交の前に委員長と副委員長と書記長である自分の3人で話しあったときには、スト回避のことなど二人ともおくびにも出さなかった。そのため男はスト突入後のシナリオを考えることで頭がいっぱいだったのだ。ところが、委員長と副委員長の二人は、今の企業内組合という状況では限界がある、と痛感しているのだ。ストを打って会社がつぶれたらどうしようもない。組合員はそれこそ路頭に迷う。男は、二人の判断は間違っていないと思った。しかし、あまりに突然の方向転換である。自分も驚いたし、地本の委員長もびっくりしている。ましてや末端の組合員は何が何だかわからないだろう。男が、沈黙を破って発言した。

「ストを回避したいのは委員長だけでなく組合員みんなが心の底では思っていることかもしれません。しかし、今、突然スト回避を組合員に図っても混乱を招くだけだと思います。残された時間は少ないかもしれませんが、ぎりぎりのところまで我々の要求を主張すべきじゃないでしょうか」

北海道地本に続く男の発言で流れが変わった。みんながスト回避に向けて準備を始めていた矢先にこの発言である。すかさず、一番規模の小さい九州地本の委員長が賛成した。

「私も、今の書記長の意見に賛成です。みんな、もうひと踏ん張り頑張ろうよ」

このとき、大阪地本の委員長が部屋に戻ってきた。ニッと笑って、大きく両手で丸のサインを出した。

「うちは大丈夫や。うちの副委員長がスト回避でまとめるって約束してくれはったわ」

何人かが苦笑した。大阪地本の委員長も部屋の雰囲気が先ほどと違うのを察して黙った。そのとき入口の電話が鳴った。男が出た。事務方からの連絡で、話がしたいという。時計を見るともうすぐ10時だ。これが最後の事務折衝になるだろう。中執の副委員長と書記長、それに大阪と北海道の地本委員長の4名が事務折衝を行うために部屋を出た。

 

事務折衝の行われる部屋は大会議室の階段を下りたすぐ左の小さな応接室である。4人が入ると、すでに事務方の総務部長と人事課長は着席していた。二人とも表情は暗かった。4人が着席すると、人事課長が総務部長の顔を見ながら組合に向かって話しだした。

「理事の方々、時間をかけて真剣に検討されました。一人の理事は少し上積みをしてもいいのではと発言されましたが、やはり理事会としてはこれ以上の上積みは危険だと判断されました。私たちも、何らかのお土産を出さないと組合は納得しないとお話したのですが・・・」

すかさず副委員長が言った。

「それじゃ、ストを打っても構わないということですか。今ストを打たれては会社はめちゃくちゃになりますよ。それでもいいのですか」

「もちろんストは絶対だめです。そんな事態になったらもう終わりです。何とか、みなさんで組合員の方々を説得してもらえませんか」

「この低額回答は理事さんたちの経営が悪かったからでしょう。その責任を棚上げにするのですか」

「理事の中の一人は春闘が終わったら辞職されると聞いています」

「それは誰だ」

「それは答えられません。ここだけの話ですから。組合員の方にもオフレコにしてください」

「上積みはない、経営責任はとらない、これじゃ、組合員にどう納得してもらうのですか」

しばらくやり取りが続いた。そして、男が言った。

「もう時間がありません。再度検討願います。私たちは会社の状況も十分把握しています。組合員を納得させるために一律10万円程度の賞与の上積みでもいいですから・・・」

このとき、総務部長が初めて口を挟んだ。

「一律10万円で組合員をまとめてくれるのですね」

男は、しまったと思った。北海道地本の委員長は憮然としていた。副委員長が言った。「まとめますよ、1万でも2万でもいいんだ。組合員を納得させるには上積みが必要なんだ」

男は、副委員長の発言を無視するかのように、

「早急にご検討願います」

と言って、さっと席を立った。他の3人も続き、部屋を出た。

組合の控室に戻って、男は事務折衝の内容を報告した。報告が終わらないうちに入口の電話が鳴った。人事課長からだ。賞与一律プラス10万円で理事の方には納得していただいたから、すぐに団交を再開してもらえないか、との連絡である。男は部屋のみんなに伝えた。みんなうなずいた。異論はないようだ。男は言った。

「もう時間がないので、各地本にはスト回避の準備をするよう連絡してください。全地本への連絡が終わり次第大会議室へ行きます」

各地本の委員長は、それぞれの携帯電話に手を伸ばした。