その日、私は、寺の中で仏式の結婚式が行われるので、境内の側溝をきれいにしようと思い、箒とスコップで溝の中の汚れや落ち葉を取り除いていると、中年の女性が声をかけて来た。

 

「あの、このお稲荷さんには何か謂れがあるのですか?」

「そうですね、太田道灌が信仰していたお稲荷さんのようですね」

 

こう答えると、女性は、さらにこう聞いて来た。

 

「あなた、先ほど大根小屋の前にいらした方ですよね」

「ええ」

「優しそうなお顔立ちで、後光がさしていらっしゃいました」

「え、え~?!」

 

と驚いていると、こう続けられた。

 

「私、墨田区に住んでいるんですが、ここのお寺のことはまったく知りませんでしたの。最近、SNSで評判になっているので、来てみたら、あなたに会えて、ほんとうに大変うれしく思います。よかったわ」

「え、え~?!」

「私、最近、金銭的なことで困っていて、この寺が評判になっているので参詣してみようと思いました。すると。とても奇妙なことが起きたのです。私が以前信仰していたところのある方が、ある場所をお示しになりましたの。それで、そこを開けて中を覗くと1冊の通帳が入っていて、たくさんの貯金があり、それで金銭問題の解決の糸口がつかめたんですの。まだまだ、いくつか問題が残っているのですが、どうも、ここの聖天様のお導きのような気がしたもんですから」

「そうですか、実は、私も聖天様の導きがあったようなのです」

「え、本当ですか」

「私、昔から、定年退職したら、お寺の庭の掃除など仕事をできたらいいなあ、と思っていたのです。昨年暮れ、ひょんなこととからこの寺の募集を知り、応募したらとんとん拍子に採用が決まり、九州から東京までやってきて、今年の1月からこの寺で働かせていただいているのです。これはどうやら、聖天様が呼んでくださったのじゃないか、と思うのです」

「そうなんですか、そうなんですよね」

「聖天様のなさることは、その時は気づかないのですが、あとから考えると、どうも不思議で、ああ、あれは聖天様のお導きだったのか、と思ったりするんです」

「そうですか、そうですよね。実は、私、週に一度、新幹線に乗って宇治の大久保にあるお寺に行っておりますの」

「え、大久保ですか、実は、私、以前、宇治市に住んでいたんですよ」

 

こう私が言うと、女性は大いに驚かれ、そのお寺でのことを詳しく話されようとした。しかし、私は、その日の結婚式の準備で忙しかったので、断腸の思いで話を中断し、謝罪し、再び側溝の清掃の仕事に戻った。

私の住む浅草には浅草寺をはじめ多くのお寺がある。

 

浅草寺の支院で待乳山聖天というのは、最近、お願い事が叶うということがネットで紹介され、参拝者が急に増え、大根をお供えする人々でごった返している。閑静な信仰の地が観光地化してしまい、少し残念である。

 

この寺では、毎朝6時から2時間ほど、行者さんが浴油祈禱というのを行っておられる。行者さんが宿坊から階段を上がって本堂に上がられるとき、法被を着た人が、大相撲の呼出みたいに、「おあがり」と大きな声を発する。

 

この「おあがり」を発声する人は九州の方から来られた方で、最近、私も参拝するようになったので、たまにお話をする。先日も、「おあがり」のあと、信徒さん達に囲まれていた。そこで、私が耳にした会話を、以下に採録する。

 

元落語家;「おあがり」の声いいですねえ。それこそ、本当に腹の底から出る声というんでしょうね。本堂の中にいましても、よく聞こえますよ。

 

高齢の女性;とてもいいわ。あなたの声を聞くと、とても気持ちよくなります。私、最近、大腸がんを手術したんですけど、あなたの声で大腸がきゅっと動き出してお腹の中がす~っとするんですよ。

 

高齢の男性;やっぱり、「おあがり」がないと駄目だね。きのうは、「おあがり」がなくて、拍子抜けだったね。「おあがり」がないと一日が始まった気がしないよ。あんた、毎日やってよ。

 

初老の女性;あなたの声、すごくいいわ。高音で伸びがあって、とてもすてきよ。

 

以上。いずれも、高評価である。私はその秘密を知っている。「おあがり」の人は、実は、学生時代に応援団に所属し、毎日、近くの山に登って発声練習をさせられていたそうだ。よく通る声を発することが応援団員にとっての必須条件であり、その練習は、単に大声を発するだけでなく、お腹から声を出すために腹筋を鍛えたり、持久力を保つために大声を発しながら山道を駆け上ったりと、練習が終わると戻しそうになるくらい、そうとうにきつい練習だったそうだ。

 

かくて、この声あるのであろう。

ASAKUSA HOSTELのモーニング

 

私は、どういうわけか、今、浅草5丁目に住んでいる。浅草の北の端で旧吉原に隣接するおんぼろマンションの一室である。

 

このマンション、実に住み心地が良い。なぜなら、貧乏生活にとても便利だからである。

 

歩いて1分ほどの所にコンビニとドラグストアがある。

 

歩いて2分ほどのところに安く野菜と肉が買える青果店と肉屋がある。

 

歩いて3分ほどの所にコインランドリーと床屋がある。この床屋はカットのみ1100円で、しかも、帰りに缶コーヒーをいただけるから、実質1000円なのだ。

 

自転車で5分ほどの所には格安スーパーの業務スーパーとオーケーストアーがある。業務スーパーではコーヒー豆とイギリスパンと梅干を買う。オーケーストアーではオランダ製のカマンベールチーズを買う。

 

自転車で5分ほどの所にはニトリもドンキホーテもユニクロもある。おまけに、自転車屋や豆腐屋や文房具店まである。

 

また、ありがたいことに、台東区では「高齢者ふれあい入浴券」というのがあり、台東区内の銭湯19軒に100円で入浴できる券が年間36枚配布される。私の近くには自転車で3分ほどで行ける銭湯が5軒ある。曙湯、富久の湯、有馬湯、鶴の湯、提柳泉。いずれも江戸の大衆浴場のなごりのある素晴らしい銭湯である。

 

そして、自転車で5分ほどの所にASAKUSA HOSTELという安宿があり、そこの客はほとんどが外国人で、その1階が喫茶店兼レストランになっていて、500円でモーニングがいただける。食パンが食べ放題で、スープ、コーヒー、紅茶が飲み放題なのである。私は、休みになるとここに出かけ、読書しながらモーニングを食し、優雅な朝のひと時を過ごすのである。