村井弦斎。桑の弓 わが夫は醜男でも豪傑に限る | mizusumashi-tei みずすまし亭通信

村井弦斎:桑の弓(1898)春陽堂 中江玉桂 木版口絵

 

村井弦斎の『桑の弓』は明治31年の出版。主人公・瀧澤秀雄はロシア語を学ぶ俊英。父の遺言もあり、いずれロシアによる南下は避けられないと考えている。機転をもって商社・露和商会社長の奉公人として潜りこむと機会を得て通事に転任、ついにはシベリアに渡り、ロシア王政の圧政に抵抗するパルチザンと邂逅する。

 

ところで、秀雄は商社社長の(神戸一といわれる)美しき令嬢に恋心を抱くが、この令嬢はきわめてゴーマンにして「わが夫は豪傑に限る」秀雄のごとき柔弱な優男は好かぬ。ブ男でも、たとえ老人であってもチョイと顔に刀傷があるくらいがよろしい。とそのタカピーぶりにキレた秀雄は商社を辞し大陸に渡る。この辺りはコミック仕様というか、ラブコメ展開か?

 

村井弦斎といえば『食道楽』全4巻で知られ「食育」の元祖にして、明治半ば以降の人気作家として活躍した。雑誌『婦人世界』の編集顧問として婦人雑誌の先駆けのひとり。

 

 

美しき社長令嬢と瀧澤秀雄

 

ちょっと気になったのは、日露戦争前夜に活躍した凄腕の諜報部員として知られる石光真清の活躍で、これは『石光真清の手記(1978-79)中公文庫』全4巻にまとめられている。スパイとしての情報収集はもとより、帝政ロシアに抵抗する組織との接触を図るなど、日露戦争での裏工作に従事した。

 

つまり、この石光真清が活動に従事する以前に、村井弦斎の『桑の弓』が発表されていることである。日本政府のみならず国民にとってのロシア脅威は、この時点で共通の認識にあった? また本作品の最後は続編を予告しながらも、ついに発表されなかったはなぜか。などと、考えればいろいろと興味深い作品です。

 

石光真清の手記(1978-79)中公文庫 全4巻

村井弦斎:桑の弓(1898)春陽堂

 

口絵を描いた中江玉桂は武内桂舟の女弟子。読売新聞に連載された尾崎紅葉と(弟子の)田山花袋合作の『笛吹川(1985)』同じく紅葉の私小説風の『青葡萄(1985)』の挿絵を描いている。ちょっと珍しい画家で詳しい履歴はわからない。