おかく捕物帖。戦後の女捕物帳の火付け役 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信

遊井亮子

 

前ブログで少し触れた土師清二の『おかく捕物帖(1968)秋田書店』について。敗戦後、米進駐軍による占領下時代は『忠臣蔵』などの仇討ちものはご法度になるなど、出版にさまざま制約がかけられるなか、なぜか「捕物帳」はお目こぼしになった。アメリカ本国に置けるミステリ本の扱いとして許可された?

 

そこで、捕物作家クラブの創立を思いたった江戸川乱歩は横溝正史らと奔走、昭和24年7月7日に捕物作家クラブが発足する。野村胡堂を会長に、山手樹一郎、海音寺潮五郎、村上元三、吉川英治らに挿絵画家も参加するなど隆盛を極め、一気に捕物帳ブームが起き100タイトルを超える捕物名人が登場する。

 

土師清二『おかく捕物帖』もそうした時代の産物で、昭和27年から昭和29年にかけて、主に雑誌『別冊宝石』や『読切小説臨時増刊』などに発表された短編連作です。

 

 

土師清二 :おかく捕物帖(1968)秋田書店

 

主人公の「鏡屋おかく」は、女だてらに湯島の火消人足の元締めとして、荒くれ男を取り仕切っている美丈夫で、両ふと股の付け根に蟹の刺青をいれて亡き夫への操をたてている。この刺青の設定は、肥前平戸の藩主松浦静山の随筆『甲子夜話』に記載があり流用したとのこと。

 

おかくは白地に大きく水に沢鷹 おもだか を染めながした浴衣で、白博多の半幅帯をしめて、長火鉢で、一ぷく吸っている(p52)

 

軽めな捕物帳ながら、土師清二の清涼な文体はすばらしく、改めて読み返しては愉しんでいる。戦争で多くの若い兵士が亡くなったことで、おかくのような未亡人が多くいたのだろう。気丈に生きるヒロインの活躍は荒涼たる戦後に映えたと思われる。地味ながら佳品といえる。

 

土師によると、このころは女捕物は珍しかった。派手な殺陣まわりはなく、おかく自身慎み深い性格から地味な作品になったが、しばらくすると女捕物による活劇が大いに増えたのには驚いたと語っている。