長谷川時雨。働くをんな:鏑木清方 装釘 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信

長谷川時雨:働くをんな(1942)実業之日本社

 

事務所近くの古書店で珍しい長谷川時雨の『働くをんな』をみつけた。本作は時雨(1879-1941)が亡くなった翌年、夫の三上於菟吉が編集したもので、奥書に、半身不随の僕(三上)の寝所の廊下を挟んだ向かいに君がいて、少し大きな声をだせば聞こえるだろうから『働くをんな』について話をしようや、みたいな書き出しになっている。

 

時雨は35歳の頃に12歳年下の三上於菟吉と知り合い「押し掛けられるように1919年から内縁関係の世帯を持つ。以降は12歳年上の姉さん女房として、三上を世に出すことに努めたが、1921年頃から売れ出した三上は妾を囲い芸者を侍らせ放蕩三昧となり時雨を悩ませた wiki 

 

「1936年に三上は愛人宅で倒れ右半身麻痺となる。時雨は自宅近くに家を借りて愛人を看病に付き添わせたが、愛人は4ヶ月で郷里に帰す。当時三上が読売新聞に連載中だった「日蓮」は時雨が書き継いだが、それまでも三上が連載に穴をあけそうになると時雨が代筆していた wiki 」という話はよく知られている。その三上も3年後1944年に疎開先で亡くなっている。

 

長谷川時雨:働くをんな 鏑木清方 挿絵

 

入手したばかりなので内容については語れないが、目次を見る限り戦前のフェミニズム運動を牽引した「働くをんな」の女史らしい内容ばかりである。手元にある女史の評伝も積ん読状態なのだが、追って紹介する機会があればと思っている。装釘は鏑木清方で美しいさざんかの花を配している。