乙川優三郎『クニオ・バンプルーセン(2023)新潮社』主人公クニオの父は、ヴェトナム戦争時代にニッケルと呼ばれた複座式戦闘機の黒人パイロットだった。ニッケルというのは北側(敵)の地対空ミサイルの囮になる飛行機で、5セント硬貨のニッケルのごと安い命を意味する。
そのニッケル乗りの父はPTSDから自死。母は本好きの日本人。主人公のクニオ・バンプルーセンはそのふたりを両親に、やがて日本文学に惹かれ小さな出版社の編集者として歩み始める。日米バイリンガルとしての目線から日本語や文化の美しさを改めて語りかけるような内容でもある。
乙川優三郎:クニオ・バンプルーセン(2023)新潮社
クニオが文中「太宰や谷崎よりおもしろく、三島や川端より身近な文学を感じたのは石坂洋次郎で」大衆受けしたからといって通俗小説と決めつけるのはおかしいなどと述べている。むべなるかな。石坂洋次郎については以前に触れた。
また、芝木好子に幾度も言及しているので彼女の短編『奈良の里(1988)文芸春秋』を拾い読みしてみたら、語り口が乙川優三郎に(かなり)似ている。本著は川島雄三監督『洲崎パラダイス赤信号』、溝口健二『赤線地帯』の映画原作を含む短編集である。ちょうど、再編集された芝木好子の『洲崎パラダイス(2023)ちくま文庫』を書店で見かけ気になっていたところだった。
ところで、モノローグを重ねつつ深層に分け入る構成で、相変わらず巧みな進行なのだが、時代小説『冬の標(2002)中央公論新社』の現代版といってもいい内容で。あまり新味を感じない。『クニオ』は知人が「読め」と置いていったもの。