らんまん。村越植物図鑑の再評価 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信

朝ドラ らんまん

 

朝ドラ『らんまん』で牧野富太郎ブームがきているとのこと。もちろん彼の業績はすばらしいものですが「他人の業績まで積荷されていませんか」と前ブログで述べました。その後、俵浩三『牧野植物図鑑の謎』を元に、牧野富太郎と村越三千男の図鑑を比較検証した論考が見つかりました。大澤得二『村越植物図鑑と牧野植物図鑑の比較:村越植物図鑑の再評価(2007)』です。

 

村越三千男:大植物図鑑(大14年初版)昭12年訂正第25版

 

戦前に牧野は大きく三種類の図鑑を編集していて、それが以下。

 

 ①. 植物図鑑(1908)北隆館

 ②. 日本植物図鑑(1925)北隆館

 ③. 牧野日本植物図鑑(1940)北隆館

 

簡単に結論だけを述べますが、『①. 植物図鑑』は村越図鑑を増補改訂したもので約半数ほどが村越による図。『②. 日本植物図鑑』も村越図鑑からの(説明文についても)流用が見られ、『③. 牧野日本植物図鑑』になってようやく全図、牧野による作画になっている。

 

村越三千男:大植物図鑑(昭12年訂正第25版)

 

手元にあるのは村越三千男『大植物図鑑(大14年)』昭12年訂正版で、実に25版を数えています。当時、村越図鑑がいかに好評を得ていたかが伺える。村越も生涯大きく3〜4種類の図鑑を出版したが、原図はその都度描き直すといった徹底ぶりである。

 

牧野の『①. 植物図鑑(1908)北隆館』は、元々村越が中心になり、牧野に校訂を依頼したものだったが、出版社が変わると村越の名前が消えてしまい、牧野の名前で改訂出版された図鑑です。植物画の精度も村越に軍配があがるとのことなので、図鑑の業績については再検証が必要だろう。

 

 

村越三千男:大植物図鑑 扉と奥付

 

大澤得二さんの論考はネット上で読めますので興味のある方は検索を。繰り返しになりますが、日本の植物界における牧野さんの業績については疑いのないもので称揚されてしかるべきですが、明治以降、学校教育として新設された科目「理科」は当時教科書がなく、植物などの自然観察を教育の中心に据えたため図鑑の整備が待たれていた。

 

村越三千男は教師として子どもを教えていた経緯から、図鑑の必要性を強く感じ図鑑の編纂に身を投じた。牧野博士の陰に隠れてしまった多くの図鑑制作者の奮闘を忘れるわけにはいかない。

 

参考/

 ・俵浩三:牧野植物図鑑の謎(1999)平凡社新書

 ・大澤得二:村越植物図鑑と牧野植物図鑑の比較:村越植物図 

  鑑の再評価(2007)

 ・古本夜話254 村越三千男『大植物図鑑』と河野書店版

  『全植物図鑑』の謎