朝ドラ らんまん。牧野富太郎と村越三千男 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信

朝ドラ らんまん

 

朝ドラ『らんまん』は牧野富太郎がモデルのようです。牧野富太郎は日本が誇る植物学者ですがなかなか曲者で、ドラマではどんな風に描かれるのだろう。権威を嫌った在野のひとでしたが、博士号が贈られる一年ほども前から書籍に博士の肩書きを入れるなど、今であれば詐称との誹りを免れ得ないところです。

 

近代に入って西洋から博物学が移入されて学校でも理科の科目が創設されますが、基本的には(特に植物などの)自然観察を旨としたもので、困ったことに地域によって植生が違いましたから定まった教科書が発行できず、明治中ころから植物図鑑の需要が高まり出版が活発になります。

 

村越三千男:内外原色大図鑑(1933)植物原色大図鑑刊行会

 

村越三千男は先生あがりで図鑑の必要性を強く感じ刊行に意欲を燃やすと、明治41年に牧野富太郎に校訂を依頼して参文社から『植物図鑑』を出版する。ところが参文社の社主が急死したことから、村越は北隆館に版権を移譲すると印税は生活が苦しかった参文社の遺族に渡るようにした。

 

この『植物図鑑』は北隆館で版を重ねると、なぜか著作者である村越の名前が削られ(出版社の一存と思われるが)校訂者である牧野の名前に書き換えられる。このあたりから二人の関係はギクシャクする。しかも、大正末には村越と牧野は同時期に図鑑を発行することに。ここでは村越の『大植物図鑑』が評価され牧野版は一敗地にまみれている。

 

俵浩三:牧野植物図鑑の謎(1999)平凡社新書

 

戦前の図鑑出版で評価の高い村越三千男が戦後すぐに亡くなったこともあり、彼の業績は牧野に積荷されたところがある。図鑑出版には多くの人たちが関わり切磋琢磨して完成度をあげていった。戦後はなぜか牧野富太郎ひとりが突出した感があるが、村越など他の図鑑製作者の業績を忘れてはならないだろう。

 

詳しくは俵浩三『牧野植物図鑑の謎(1999)平凡社新書』をお読みください。興味深く示唆に富んでいる。〈続く〉

 

村越三千男:普通植物図譜(1911)第4巻第13集

 

村越三千男・消えた植物図鑑(myskip 2017.03)