田中小実昌。密室殺人ありがとう | mizusumashi-tei みずすまし亭通信

田中小実昌の短編ミステリが文庫化されていて懐かしくなった。コミさんの愛称で多くの短編小説や随筆を遺したが、海外ミステリの翻訳者としても多くのファンを擁していた。特にカーター・ブラウンA.A.フェアなどのソフト・ボイルド系、ユーモア系の作品に独特の翻訳センスを発揮した。

 

田中小実昌:幻の女  (2021)ちくま文庫

  密室殺人ありがとう(2021)ちくま文庫

 

その特徴は濡れた坂道をずるずる滑り落ちるような特異な比喩にある。「雨もつめたかった。へんにからみつくような雨だ。おもい雨だ。それに、雨に厚みがあった。…(中略)…事実、その雨には厚みがあり、大根おろしみたいに、べしゃっと皮膚を濡らした。」奇妙に感じるほど触覚に訴える文体である。

 

さて、そのミステリの内容はというと、コミさんの分身のような場末の(無害としか思えない)呑助が殺害される。といったものが多い。殺すまでもないような人間がなぜ? 極めてミステリ臭が薄く、ずるずると呑助の日常生態を綴っているうちに、決着するようなしないような結末らしきものが見えてくる。

 

月刊マイスキップ(2016.04)コラム

 

ということで、就寝時のお供に、毎夜1〜2編ずつ愉しませてもらっている。コミさんといえば、ただ呑むこと、あてどもなくバスを乗り継いで旅をすることを喜びとした。すべてが寄り道で酔いのなかに茣蓙した一生だった。といわれている。コミさんの酔眼に浮かびくるは、人生にミステリなんかあるんかい?

 

イラストは呑み屋のママが似合いそうな余貴美子さんを。

 

月刊マイスキップ(2017.02)コラム