国木田哲夫の戦時画報.01 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
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 戦時画報 第31,32号(1904)近時画報社

一冊500円の「戦時画報」を4冊まとめて手に入れた。もともと「近時画報」(その前は東洋画報だったか)という題名だったが、1904年(明治37年)2月8日に日露戦争の火ぶたがきって落とされたことによって「戦時画報」と改題された。意外に思われるかもしれないが、編集者は「武蔵野」の国木田哲夫(独歩)である。この後、独歩は日露戦争の終結を予測し「戦時画報」に変わる出版を企画「(現在も出版され続けている)婦人画報」などを創刊するが、終戦後、近時画報社は多額の負債を抱えて解散する。

独歩は自身で独歩社を立ち上げると「近時画報」など5誌ほどを継続するが、やがて破産。1908年には肺結核によって36才で亡くなってしまった。編集者独歩については黒岩比佐子「編集者国木田独歩の時代(2007)角川書店」に詳しく、私もこの本によって「近時画報」以下、編集者としての独歩の仕事を知ったのだが、その黒岩比佐子さんは私といくらも年齢が違わないのに先年亡くなられてしまった。

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 戦時画報 第36号(1905)近時画報社

私と蒐集する雑誌が被っていることもあって、古い雑誌データをネット検索すると、たびたび黒岩さんのブログ「古書の森日記」に行き当たりずいぶんお世話になったものだ。今、黒岩さんを偲びながら、彼女の著作「古書の森逍遙—明治・大正・昭和の愛しき雑書たち(2010)工作社」を読んでいる。これは彼女のブログ「古書の森日記」を再編集したものである。

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 戦時画報 第40号(1905)近時画報社

「戦時画報」は月3回の発行で、上掲の写真のようにリアルな挿絵と一部写真によって構成されたグラフ誌で、一時は(月3号合せると)10万部ほども発行されたとある。小杉未醒の漫画は大いに評判になったそうだが、この雑誌には(われらが新潟県長岡市出身の)戦争画が大好きな小山正太郎の画塾・不同舎の面々が多く参加している。黒岩比佐子「編集者国木田独歩」によると、特派員として、韓国京城に小杉未醒、海軍に蘆原曠、陸軍立見中将の部隊に横井俊造らが従軍、彼らは小山正太郎の不同舎の門人である。

従軍はしなかったが、同じ不同舎の門人満谷国四郎、田内千秋らも「戦時画報」に絵を描いている。