山田和英「万葉集の謎・額田王謎の歌」 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
みずすまし亭通信-若旦那
   若旦那の図 模写(芳年?年方?)

 莫囂円隣大相七兄爪謁気 我が背子がい立たせりけむ厳樫が本

額田王の難訓歌でどう読まれるか定まっていない。万葉がなは中国の漢字を当て字に作られたが、平安時代にはもう読み方が判らなくなってしまった。困ったことに、万葉集は原本が不明で写本が幾種類か伝わっている。ところが、それぞれ写し違いがあって、その違いで歌の意味が違ってしまうそうで、結構ややこしいことになっている。万葉集は日本の心のふるさとだと言われても、上の和歌を見る限り困ってしまう。山田和英「万葉集の謎 額田王謎の歌」では

 名古の浦琴弾きて行け 我が背子が射立たせりけむ厳樫が本

と読みくだし、額田王をめぐって三角関係にあった天智・天武天皇の、壬申の乱に到る確執怨念を読み解いていく。まぁ、この手の作品は決着はありえないので、それらしく書かれたものに軍配をあげるしかない。しかし、小説仕立てのこの作品の展開はきわめてお粗末で困ってしまいます。和歌の解釈はそれなりに楽しませてくれるのにね。ということでお薦めはいたしません。だた、和歌短歌が今日に至るまで、なぜか気難しいのは万葉集から発しているからというのは判ります。