大佛次郎「赤穂浪士」と大衆小説の時代 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
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大佛次郎「赤穂浪士」は昭和2年5月~翌3年11月まで東京日日新聞紙上で連載された。新聞連載中よりも、昭和3年に改造社によって単行本化された折りに熱狂的に迎えられた(阿部真之助「鳴門秘帖と赤穂浪士」)。当時、世界恐慌のあおりをうけて、大卒も就職できないほどの大不況にありました。上記2作は、そうしたインテリ層に支持され、娯楽一辺倒に見られていた大衆文学のイメージを一新させた作品でした。当作品に登場する薄田隼人や蜘蛛の陣十郎といった虚無的な人物が、不況下に大いに受けた。

彼らに加えて、丹下左膳や群司次郎正「侍ニッポン」の新納鶴千代が、おのれの剣の腕しか信じなかったように、当時の若者がマルクス主義もファシズムも信じず、虚無的刹那的に生きた時代を代弁しているかのようです。デフレ不況下の現代にあって、某ファンドのM氏は「お金儲けって、そんなに悪い事ですか?」以降の現代は、今のところ戦争に向かっていなさそうなのを除けば、昭和初年に相似するような気がしなくもありません。

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挿絵は「鳴門秘帖(昭和元年8月~翌2年10月/大阪毎日)」でブレイクした岩田専太郎で、立て続けに描いたことになります。ちょっと小田富弥風な挿絵ですが、端正で知的な線が新鮮です。この時代以降の岩田専太郎は、新奇を腐心するあまり少し表現が過剰気味になるのが残念です。それでも、笹沢左保「木枯し紋次郎」の時代まで、第一線で活躍したのですから凄いことですね。この時代以降、大衆小説は隆盛期に入ります。挿絵画家も百花爛漫です。