敬愛する父 |     みやこわすれの料理・つれづれ記

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松阪の実家から持ってきた父愛用の文机                父の眼鏡と文鎮
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  私の父は、養子に入りながら 「林業は男が一生をかけてやる仕事じゃ


ない!」 と本家を飛び出し、いろいろ苦労の末、会社を5人から始め700人程


の世界一のプロラボに育てました。


私は大学の時、杉並の会社の寮のアルバイトを友人としていた期間があり、


社員と親しくなりました。


「社長室は必要ない!」 「社員一人一人の名前を覚えている方が有益だ」 と


言う父を、社員は 「一度名前を覚えて下さると ずっと忘れないでいて下さる」 と


感激してました。


又、月に2回上京する度に、社員に故郷のお菓子を必ず差し入れする


まめな父でした。

                    ○●○●○●○●○●


  本家を飛び出したので、本家の村の人達は初め父のことを良く言いません


でした。


それが、村の人や三重県の若い人を積極的に採用し、彼らがお正月などで


実家で父のことを話すのか、村の人達の評価は徐々に変わりました。


三重県の地方新聞に、父の笑顔の大きな写真が載り、三重県の人を次々と


採用して東京・大阪・名古屋・京都へ連れて行く父のことを、近江商人の生き様


そのもので「伊勢商人」とたたえました。


 

・・・・・こんなこともありました。・・・・・


  本家の雇われ人の息子さんが知的障害者で、大阪で大阪ガスに勤めて


いました。


それを知った父は、大阪の会社のガスの仕事を全部彼に回しました。


彼は成績1位で表彰され、親御さんは泣いて感激されていました。


父が急死した時、その方から、ある日父とバッタリ駅で会った折、父が 「ちょっと


待って」 と言い、お菓子を息子さんに渡したそうです。


その優しさが忘れられない・・・と彼は泣いていました。


  その人だけでなく、父は実にいろんな人の世話し、いろんな会社の経営の


相談に乗りました。


その見返りを断るので、皆さん困ってみえました。


父は経営者として優れていましたが、情の人でもありました。


そうした父のお客様を母に代わって接しているうちに、私は ”人間関係の大切


さ” を教わりました。


  父が事業に成功したのも、父の先見の明と日々の努力・向上心とともに


こうした人脈の広さが大きかったと思います。


父が血液ミスで急死などしなかったら、父の家系は長寿だし、自分でも 「80歳


まで現役でやる」 と言ってたので、もっといろんな事を私や息子達に教えてくれ


たことと思い、残念でなりません。


 

  私は父の会社でアルバイトをしていた間に、社員が口々に父のことを尊敬


していると言うのを聞くにつけ、はっきりと会社の跡を継ごう、継がねば・・・・と


決意しました。


知識欲が旺盛で、人との関わりを大切にし、正義感が強く、権威主義が嫌い


な父は、また情の厚い父でした。


多くの人が、いまだに父のことを慕ってくれるのを私は誇りに思います。



息子達が 「おじいちゃんに性格が似てきたよ」 と言うのも、ちょっぴり嬉しい


です。


お父さん、いつまでも見守っていてね!


                                ○●○●○●○●○●


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