もはや無言 ・・・ |     みやこわすれの料理・つれづれ記

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                            簡単にできるお料理から、ちょっと手間暇かけたお料理まで、
    ネット初心者の主婦がレシピを公開しています。自分の大好きなものや、行きつけのお店の紹介も…

≪ 本来、ブログは内々の事は書かないのですが、覚悟を決めて書きました。


   実は、8月に主人の私への夜の罵声に怒った息子が、私の代筆という形で


   ブログを書いたことがあります。


   お盆の3日間アップされたのを、私が主人の社会的体面から削除しました。


   又、半年間主人の言葉の暴力で眠れなくて苦しんだ時、私はブログの下書


   き書きましたが、当日思いとどまりました。


   今回、主人の家庭内の態度を改めさせるには、ブログの公表しかないと思


   い決意しました。≫ 

                                  ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲



  実は、結婚してからずっと主人の人間性に疑問を感じてきました。


外面(そとずら)がやたら良く、外では温和そのものらしいですが、家ではまるで


別人のようです。


いつも自分のことしか考えず、従順でいた私をいいことに、ずっとつらい結婚


生活でした。


ある方から、ご主人が奥様のことをとても思いやってみえて 「本当は外で飲む


のが好きなのだけれど。 妻の為になるべく家でご飯を食べるようにしている」と


言っていると聞かされ、凄い愛妻家と思いましたと言われ、驚愕しました。 ・・・


・・・・・・。


私は結婚生活のうち、ただの1回も主人の優しさを感じたことはありません。


 

  マンションの凄まじい騒音問題で、私が深刻な不眠症になり、38キロまで


痩せ胃潰瘍になった時も、何故か一切のクレームをつけてくれず 「君が日赤


へ行って睡眠薬を飲めば、済むことだ」 と涼しい顔で言い放ちました。


従順だった私は日赤へ行ってしまい、30年経った今でも薬を飲んでも4時間


しか眠れないという不眠症に悩まされています。


  また、2段ベットの上に寝ていた次男が毎日眠れなくて、ストレス性滲出性


中耳炎になり、4才の時から大人でも我慢できない鼓膜切開を8回も繰り返し、


3時間もの手術を受け、1か月も入院してもいまだに難聴に悩まされ治って


いません。


主人は深酒で毎夜ぐっすり眠れていて、クレームをつけて欲しい土日は必ず


パチンコ店へ入り浸って逃げていました。


 

  最近ある社員に渋谷に住んでいるのを 「奥さんが渋谷にこだわっているの


かと思いました」 と言われて、心外でした。


渋谷に住むことを決めたのも一方的に主人だったし、自然も遊び友達もなく


スーパー1つない子育てにまるで向かない渋谷で、私がどれだけ子育てに苦労


したことか・・・・・


騒音にクレームを一つつけない主人を、「あなたのご主人は経営者の器じゃ


ない。 しょせんサラリーマン向きなのよ」 と言って呆れて去って行った多くの


友人がいます。


友人が 「逃げるが勝ちよ!」 と引っ越しを強く勧め、私も強く望みましたが


主人は聞く耳を持ちませんでした。


又、杉並の西荻に住んでいた親友 (彼女も養子を取られていました) の父上が


気の毒がって、自分の家の近くの閑静な所に理想的な一戸建てを紹介して


下さいました。


渋谷のマンション (西向きで、何度塗り替えても気持ち悪い青かびが生えてくる


のでした) と違い、日当たりの良い南向きで閑静で歩いて10分の所に駅ビル


が2つあり、2つのスーパーと2つの魚屋と珍しい貝専門店もあって帰りは


バスもありました。  バス停から1本入っているためそれは静かでした。


近くに幼稚園、公立の小・中・高校もありました。


私はマンションを売ったら買える値段だったので、「100%気に入ったから


引っ越ししたい!」 と言いましたが、主人は 「遠い!」 という一言で断ってしま


ました。


従順だった私はそれに従い、あの騒音の真下で20年間暮らさせられたことに


なります。


 

  結局またしても、私の嫌いなこの渋谷に一戸建てを新築してしまいました。


渋谷にこだわり続けたのは、主人の方です。


私は渋谷に30年以上住んでも渋谷が嫌いです。


雑踏があるだけで自然は何もなく、スーパーが一つもなく、高いTデパートが


歩いて4分の所にありますが、食料品は殆ど買いません。


散歩に立ち寄りたい店もありません。


 

  私が住みたかった西荻辺りには、ぶらーっと立ち寄れる小さいけれど、


こだわりの焼物を扱う個性的なギャラリーが数多くありました。


美味しいお蕎麦屋も小さいビストロも町中にあります。


もし西荻のあの物件に住んでいたなら、私の人生も大きく変わっていたろうと


思います。


不眠症も治り、次男のストレス性滲出性中耳炎も良くなり、日々の買い物も


楽で、時間のある時は善福寺公園やお気に入りのギャラリーをぶらっと覗い


たりする楽しみもありました。


少なくても渋谷にいるストレスから解放され、のびのび生活できると思います。


  「西荻が遠い!」 と一蹴した主人が、私には理解できません。


私は大学へ通うのに4年間、高円寺の父の知人の古いアパートの4畳半に


下宿してましたが、乗り換えて1時間かかるのをただの1度も遠いと思った


ことはありません。


それに多少何十分か会社から遠のいても、妻や子供が毎日笑顔で生き生き


暮らしていれば、主人というのはそれで良しと普通するのではないでしょうか?


思うに、付き合いが嫌いな主人は、私の親友の家とすごく近いのを嫌悪したに


違いありません。


いつも自分の事しか考えないのが主人なのです。


  

  暮れに奈良のいとこが、ご主人が3日連続で忘年会で、最後の日はゴルフ


とぼやいていましたが、私は男の人には外の世界が必要だとずっと思ってそう


言い続けてきました。


しかし、主人は人と外で (もちろん家でも) 飲むのは全く嫌いで、家で1人で


飲みたいそうです。


私には到底理解できません。


 

  仕事納めの日の朝、主人が 「今日は15分だけ乾杯してくる」 と言ったので


「もっと長い時間付き合ったら。 最後の日ぐらい・・・・」 と言ったらすごく困った


顔をしていました。


そして 「君の料理がどの料亭より美味しいんだ」 と言うので 「そういった問題じ


ないでしょう。 私のことをだしにして、自分が外で飲むのを断るのをやめてく


ないっ! 私はもうあなたを待たないから・・・・来年から、毎日の帰るコールも


要らないわ。 判で押したように7時過ぎには帰ってくるんだから」と言いました。


ところがその日も、主人は早く帰ってきました。



私は怒り心頭に達していて、結婚して初めて玄関まで笑顔で主人を迎えず、


夕食を出すのも息子に任せて黙っていました。



それは、 外面はいいのに毎日家では私や子供とコミュニケーションを取らず、


眠れていなくてもにこやかに玄関まで出迎える私にも無愛想で、365日凝った


料理が出てくるのが当たり前だと思っている風に無言で食べ、すぐお風呂に


入り8時半には自分の部屋へ行き、9時には寝てしまう人に 私の淋しさを訴え


たかったからです。


もちろん、言葉に出して態度を直してくれるように言ってますが一向に変わりま


せん。


朝も、ダイエットらしく朝食を取らなくなったので、起きて私と会話する様子もなく


飛び出してしまいます。


 


  ブログを始めた時も、「会社の連中が見るかも知れないから、俺のことを


悪く書くなよ!」 とくぎを刺されました。


従って、主人はアッシー君とでしか登場していないはずです。


実際、主人は車の免許の無い私のアッシー君的存在でしかありません。


  

  10か月程前に、不眠症の私に向かって寝る直前に主人が大声で意味不明


なことを怒鳴り続け、次男が 「母さんが眠れなくなるだろ!」 と止めに入ってくる


ことも度々でした。


怒鳴った主人はすぐ寝てしまい、私は半年間主人が怖くて全く眠れず、


思い余って、会社の学生の時からの知り合いの方に相談しました。


彼は 「会社では、温厚そのもので怒鳴るなんて考えられません」 とびっくりして


いました。


私は言葉の暴力だと思いましたし、次男は 「立派なDVだ」 と怒りました。


マンション時代も、この10年間も冷房嫌いな主人に冷房をつけさせてもらえず


余計朝まで眠れない私に、友人が 「この猛暑に異常よ!別室に寝てもらうべき


よ!」 と言い、それから寝室も別にしています。


半年の間に、強いストレスによって私の自慢だった黒髪が一部はげてきて


慌てて皮膚科に走りました。


そして決意しました。 もう従順であることはやめよう・・・・・と。


外の顔と家での顔が全く違うので、息子と 「二重人格かしら?」 とも言ったり


しました。              ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲



  3年前に突然、お産の千倍位の右肩と右腕の激痛に悩まされ、半年間


朝まで泣いて眠れなかった私ですが、6か所医者をたらい回しにされた挙句、


今の医者が 「神経性副交感性ジストロフィーという難病です」 と言われた時、


私には日常的な主人へのストレスが原因だとわかりましたが、医者にも言えな


かったのです。


激痛がおさまっている今でも、主人が大声を出すと右肩が痛くなります。


  

  又、家族で外食する時、主人はよく食事が来るまで一人で携帯のゲームを


していてビックリすることがあります。


私は慌ててゲームをやめさせ 「待っている時間も食事の時間だから・・・・」 と


諭しました。 情けなかったです。

                     ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲


  思うに、主人には経営の仕事が向いてなくて、外では絶えず自分を殺して


いい人でいる為、家では私や息子に対して爆発するのか・・・と思います。


「特に母さんには当たりやすいんだよ」 と言います。



嫁でもないのに御飯を食べさせない、とか 夏でもお風呂に入れてもらえなかっ


私をいじめぬいた主人のお母さんの性格に似ているのだと思います。


父も親戚が旧家ぞろいなのを誇っていたのに、「養子にもらうんだから、誰でも


いい。 僕が80歳までに鍛えるから・・・・」 と言いましたが主人は結婚後も


一切の努力をしませんでした。


絶えず経営の本を読んでいた父と違って、結婚してから主人が本らしいものを


読んだ姿を見たことがありません。



父は、主人の家の興信所の書類を私に見せることを拒みました。


「これを見たら、お前は彼と結婚したくなくなる」 と言われました。


なるほど生活環境が違い過ぎて、物の考え方・価値観・感性などの全てが


全く違います。 会話ができないはずです。


 

そして呆れたことに、主人は外出から帰っても手洗いやうがいの習慣がなく、


夏から子供達とやかましく言って、半年かかってようやくするようになりました。




  主人に外で会ってみえる方には、家での主人のことは信じられないでしょう


が、これが彼の本性です。


だいたいが、結婚前に 「自分は友人が1人もいなくて、孤独が好きなんだ」 と


言ってくれていたら、私は絶対そんな主人と結婚しなかったのに・・・・


まるで、結婚詐欺に会ったようです。


今では、主人以外の誰と結婚していても、今より幸せだったろう・・・・と


思われます。


父を悲しませては・・・・と私は主人のことを言えませんでした。