M叔母さんが 104歳で生きていました! |     みやこわすれの料理・つれづれ記

    みやこわすれの料理・つれづれ記

                            簡単にできるお料理から、ちょっと手間暇かけたお料理まで、
    ネット初心者の主婦がレシピを公開しています。自分の大好きなものや、行きつけのお店の紹介も…

  消息がつかめなかった M叔母さんのことが諦められず、最後の手段で、


20代の頃にM叔母さんの家の能舞台で一緒にお仕舞いを習っていた


川喜田半泥子の孫にあたるAさんに電話をしてみました。


M叔母さんは、誰にも面倒見がいいのでAさんもM叔母さんを慕って、時々


訪れていたはずでした。


  M叔母さんの義理の娘(叔母さんは再婚で実子がいないので)が、半泥子の


孫(長男)と結婚していたので、Aさんは半泥子の孫でも次男でした。


うちの父の母の妹が、半泥子の分家の川喜田家に嫁いで、その間に生まれた


娘が半泥子の嫁になり、8人も子供をもうけたので、M叔母さんとうちも血は


繋がってないけれど遠縁にあたります。  


(ややこしいので 「私と半泥子」 のブログをどうぞ・・・左下矢印

                  http://ameblo.jp/yoihonomori/entry-11180043903.html



  さて、何十年ぶりのAさんの声。 私より20才は年上のはずです。


電話でM叔母さんの消息を聞くと、「M叔母さんは、104歳で生きてみえますよ」


という言葉に、私は 「本当に!!やはり生きてみえたんですねぇ」 「104歳ですか


!!」 と興奮気味でした。


Aさんは、高齢の為に入院してみえる病院名とその住所と電話番号を教えて


下さいました。



  私はあまりに嬉しすぎて、美味しい鴨鍋の途中でしたが、すっかり夢見心地


になり、あまり箸は進みませんでした。


年に1回の帰省から18日夜に帰ってきたばかりですが、私は 「M叔母さんに


逢いに行こうビックリマーク」 と固く思いました。


病院に電話して事情を話すと、「朝9時から夜9時まで面会できますよ」 という


ことでした。


次男が都合をつけて付き添ってくれると言うので、11月6日に東京を発って


7日、8日と病院でM叔母さんと逢い、9日に帰京することに決めました。


  

帰省するのも家族に守られて・・・という状況なのに、「 M叔母さんに一目


逢いたいビックリマーク」 という強い気持ちだけは動かせません。


何としてももう一度、片道4時間の移動を頑張ってきます。


  

お茶花が大好きなM叔母さんには、息子達もたいそう可愛がられたので、


次男は早速、うちの庭の花々の写真をアルバムにしてM叔母さんに差し上げる


用意をしていました。


  

  それにしても、帰京してから毎朝3時半には起きてしまい (それも二,三度


目が覚めてしまいます) 寒い中、ブログを書いてもまだ 5時半。


風邪を引いたり、体調を壊さないようにしなければ・・・・


せめて5時頃まで眠れると体が楽なのに・・・・


  

お父さん、M叔母さんに逢ってきますよ!!


ひょっとしたら、お父さんが M叔母さんに引き合わせてくれたのかも・・・・