お茶の世界では、” 東の魯山人 ・ 西の半泥子 ”と言われるように、魯山人に
対して関西の 「 川喜田半泥子 」 というのは、あまりにも有名です。
実は、「 川喜田半泥子 」は、私の父の叔父にあたる人です。
三重県津市の素封家で、百五銀行の頭取をしていて、食べる為に陶器を焼いた
魯山人に対して、生涯、趣味として陶器や絵、書を作り続けた人です。
http://www.sekisui-museum.or.jp/
父が中学生の時、叔父さんに連れられて、半泥子の千歳山の邸宅へ行った
時のエピソードを ・・・・ 。
当時、地方では珍しい黒人の門番がいて、若い父はビックリ仰天したとの事
でした。
更に、お風呂が香水風呂だったり、広大な庭には、テニスコートが2面も
あったり ・・・・。
そして、食事の時になると別の黒人のボーイがサーブしてくれて、父は、びっくり
してしまったとのことでした。
父の印象では、 「 半泥子は実に飄々とした人物だった 」 とか ・・・・。
その折、半泥子に、叔父が ” 井戸茶碗 ” をもらったのですが、叔父は、父にそれを
与えたのでした。
今や、我が家の家宝となっています。
といっても、折々の抹茶を点てるのに、普段から惜し気もなく、大切に使っています。
去年、銀座松屋で 『 川喜田半泥子 展 』 をした時は、実に盛況でした。
私は、多くのお茶碗の中で ” 雪の曙(あけぼの)” と ” 渚(なぎさ)” という
銘のお茶碗が特にお気に入りでした。
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半泥子は、実にユーモアのある人で、茶碗の御銘にも、” 雅茶子(ガチャコ)”
とか ” 慾袋 ” (”破袋”に着想を得て ・・・)、” 閑く恋慕(かくれんぼ)”(お茶を
飲んでいる人の顔が隠れる位、大きなお茶碗なので ・・・)、” おらが秋 ”、
” 福は内 ”、” 文福(ぶんぶく) ”といったのが、沢山 ・・・・
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そして、私達が帰省すると、必ず寄るのが、半泥子が東京から引っ張って
きた、津の 「 東洋軒 」 という大正時代からの、歴史のある洋食屋です。
店内にガス燈が灯っていたり、大正ロマン香る雰囲気で、小さい時から父によく
連れてこられたので、とても懐かしいです。
洋食屋といっても、半泥子が作らせた一か月煮込んだ ”黒カレー” や、分厚く
柔らかい ” タンシチュー ” など以外にもフレンチが絶品です。
フレンチは、とても優しい味で、東京の2つ星レストランより洗練されていて
美味しいと思います。
(東洋軒のホームページhttp://www.touyouken.co.jp/ )