第14章 モールス信号と国家試験 | 音楽をめぐる冒険(いかにして僕は音楽のとりことなったのか)

音楽をめぐる冒険(いかにして僕は音楽のとりことなったのか)

昭和の時代の音楽を巡るいろいろな話をしましょう。

 

今回から中学編です。中学に入ると、制服を着なければならなくなりました。いわゆる詰襟の学生服で、襟の部分にプラスティックのプレートを仕込むタイプのものでした。ものすごく窮屈でなかなか慣れなかった。心的にも窮屈に感じた。第二次性徴期というやつで、まず前みたいに気楽に女の子と話せなくなってしまいました。緊張してしまうのです。慣れないスーツに身を包んだマーベルコミックスのヒーローのようでした。二つの小学校がまとまってひとつの中学に進学していましたが、うちの小学校はおっとりしたお坊ちゃん学校で対するもうひとつは商店街の子供も多く、ちゃきちゃきした感じでした。派閥としてはうちらは押されていたと思いますが、なぜか選挙ではまた学級委員に選ばれました。部活は流れで野球部に入りましたが僕自身の関心はハム(アマチュア無線)に向いていました。国家試験で取れる資格は、下から電話級、電信級、2級、1級となっていました。まず電話級と電信級に同時に願書を出しました。電話級はマイクを使って無線で話すタイプで電信級はモールス信号を用いて交信するクラスです。なのでまずモールス信号を覚えなければならない。しかも実技試験では与えられた課題文をモールス信号で打ち、聞いたものを筆記する必要がありました。語呂合わせでモールス信号を覚えました。たとえば、A亜鈴  Bビートルズ  Cチャートルーム D道徳  E絵  F古道具 G強情だ. Hハイカラ  と言った具合に。45年以上も前のことなのに意外と今でも覚えているものですね。国家試験は平日の日中にありました。なので、担任に頼んで当日は学校を休みました。公園の土管の中で弁当食べながら、参考書を読んで試験場に向かったのを覚えています。子供はすべからく学校に行ってる時間帯だったので不審に思われないように立ち居振る舞いました。で、めでたく試験に合格し、申請し独自のコールサインも手に入れた。放送局の名称みたいなものです。すぐにも地球の裏側と交信したかったのですが、そのための無線機はべらぼうに高く高嶺の花でした。とりあえず、名古屋の秋葉原的なところで中古の短波受信機を買いました。TRIO  の 真空管 通信型 受信機 Model 9R-59DS 。あとはそれに繋ぐアンテナをどうするかでした。当時アンテナは八木アンテナが一般的でハムをやってるうちはそれこそ屋根の上に見せびらかしているものでした。が再びお金が無いので断念。アンテナは波長の半分の長さが1番効率良いということでした。短波の波長は100mから10mだという。じゃあ、50mから5mか。とりあえず何十メートルもの線を買ってきて竹竿にくくりつけた。それを庭の隅に立てそこから伸ばしその先に設置した竹竿につけました。そこからまた伸ばし次の竹竿に伸ばし…  果たして受信機から音が出た時は感動しました。が、突如受信しなくなりました。外に出ると竹竿が無残に倒れていたのです。またやり直しでした。マッドサイエンティストがUFOと交信しようとしているように見えたのかもしれないですね。うちは基本放任主義だったので特に何も言われず好きにやらせてもらっていましたが、今から考えてもちょっといかれたことをやっていたと思います。とにかく風にはめちゃくちゃ弱かった。真っ暗な夜中、しなう竹竿に体を持ってかれながらアンテナの調整をしていたものです。のちにジョディ・フォスターのコンタクトを観た時、深夜パラボラアンテナ群に向かうその姿を見て中学時代のことを思い出していました。結局短波無線機は断念し、ナショナルの RJX-601 というハンディタイプの通信機を手に入れました。これなら手軽に開局できるがFM帯の電波を使うので到達距離は相当短くなり海の向こうは夢のまた夢となってしまいました。名古屋市内の人との交信が現実的でした。でも電源を入れた時のイルミネーションには本当に心をくすぐられました。オーディオ機器のような美しさがあったのです。次回に続きます。