音楽をめぐる冒険(いかにして僕は音楽のとりことなったのか)

音楽をめぐる冒険(いかにして僕は音楽のとりことなったのか)

昭和の時代の音楽を巡るいろいろな話をしましょう。

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巷でクロスオーバーという言葉が聞こえてくるようになった。もとは、アメリカのFMステーションはJazz チャンネル とか、Rock チャンネルとか、棲み分けがされていたのだけど、その頃ジャンルをまたいで、同じ曲が違う複数のチャンネルで放送されるようになってきていて、そういう状態をクロスオーバーと呼んでいたみたいだった。その後、クロスオーバー自体がひとつの音楽ジャンルのようになりやがてそれはフュージョンと名を変えた。要するにJazzとRockの融合とか、そういうジャンルをまたいだ音楽が、クロスオーバーと呼ばれ、そういう音楽が増殖していた。NHK FM で23時からクロスオーバーイレブンというプログラムが放送されていて、オープニングテーマは確かアジムスというブラジルのバンドの曲だったと思う。ブラジルとジャズの融合みたいなサウンドだった。あとは、その頃、ロックギタリストのジェフ・ベックがジャズ畑のミュージシャンと音楽を作ったりしていた。僕自身はいろいろと好きな音楽スタイルがあったのでそのいろいろな要素を取り入れて音楽したいというのは自然な流れで、クロスオーバームーブメントみたいなものは至極まともなものだと思っていた。

それまでも聴いていたMiles の Bitch’s Blew や Chick Corea の Return To Forever とかが、クロスオーバーのはしりだと言われていた。

やがて、Billy Joel の The Stranger が出て、好きになった。そもそも、ピアノマン、という呼称を聞いてこれは無視できないなと思った。Just the way you are で、フィル・ウッズのアルトサックスがフィーチャーされていて最高だった。Billy の過去のアルバムも全部チェックしたが現代の吟遊詩人っぽくて良かった。寡作だったので当時まだそんなにアルバムの数が無かったので、ほとんどの曲の歌詞を自然に暗記してしまった。

あと、高校の時に出会い、のちのちまで多大なる影響を受けることになったのが、Todd Rundgren だ。FMでたまたま、新譜のBack To The Bars を紹介していて、そのサウンドの虜になった。曲のタイトルも、The Verb “To Love” とか Love of the common man とか、刺激的だった。そのアルバムはライブ盤だったので、デビューアルバムに遡って少しずつ買っていった。自らをオニオンヘッドと呼んでいたが、玉ねぎの皮をむくように限りなくいろいろなアイデアが浮かんでくるようだった。僕にとっても尽きることの無いイマジネーションの源泉となった。まず、そのポップなセンスに感心した。ピアノ一本でパフォームされても明らかにいい曲だというのがわかるのだ。僕もそんな小品を作曲してみたくなった。素材が良ければ別に凝ってアレンジしなくても、そのまま提示するだけでこんなに人を感動させられるのだということを知った。歌詞の世界もとてつもなかった。アメリカではポップソングにこんなにも深淵な意味性をもたせるのか?驚いた。でもあくまでも側はポップスなのだ。この頃は、毎日わくわくと驚きの連続だった。本当に幸福な時代に生まれたことに感謝したい。

高3の時は一応受験生に徹した。一回休む、といった感じか。サボって、振り出しに戻る、だけは避けたかった。とにかく、東京の大学に進学しようと思った。

今までずっとひとりで音楽してきたが高校卒業直前にクラスメイトと初めてライブをした。クロスオーバーのおかげだ。高中正義のギターに傾倒するクラスメイトがいたのだ。リー・リトナー というL.A.のギタリストがいて、ジェントルソウツ というバンドを率いていた。渡辺貞夫アンドジェントルソウツ という編成で、レコーディングされて、キャプテンカリブ という曲が一般人の間でもヒットしていた。ラリー・カールトンのルーム335もヒットしていたし、そういった今までめずらしかったインスト曲のヒットが生まれていた。ライブでは、そのキャプテンカリブ と 渡辺貞夫マイディアライフ のテーマ を演った。今回は、ジャズ畑から助っ人が来てくれました、と紹介された。初めてのライブは自分的には満足できるものでは無かった。なにせ、初めて人と合わせるのだからうまくいくはずもない。ちょっと考えるきっかけになった。大学も合格していたので、心はキャンパスライフに翔んでいた。