昔は昔、今は今、なんですけど…。
そういえば今月の日経新聞「私の履歴書」は村井邦彦氏ですね。東京大空襲の6日前に東京で生まれて、高校生の頃はフランス文学やヌーヴェルヴァーグの映画に親しみつつ、ジャズ系のバンドに参加、1967年に大学卒業、飯倉「キャンティ」の周辺のさまざまな交流を経て作曲家デビュー、アルファ・ミュージック設立etc. となんとも華麗な半生は、もはや羨ましいなんて言葉とは無縁の、実に確たるものです。後半が楽しみです。
それにしても、10年という生年の違いは随分大きいものと感じられますね。村井氏の10年後に生まれた私と、私の10年後に生まれたバブル世代、さらにその10年後のニホンの現役世代(⁈)は随分違った顔立ちであります。それぞれの時代に育まれた感受性と、それ以上に先行世代から受け継いだ、あるいは受け継がなかったマナーの差が実はとても大きいのではないかと思うのですですが、さて? こういう話は「懐かしいー」に解消してしまったらそれまでの話になってしまいます。感性の歴史(と仮に言っておきますが)はいかにして可能なのか?
1980年代の初め頃、「スニーカー・ミドル」という言葉が気になりました。これは電通か博報堂のマーケティング関係から生まれた言葉で、要するにミドル=中年になってもまだスニーカーを履いている世代=団塊の世代を指す呼称でした。30代は中年、スニーカーは若者のもの、という前提があっての話です。あの頃、「新中年」と「スニーカー・ミドル」はちょっとした流行語でもあったと記憶しますが、今は完全に死語ですね。50代の友人(スニーカー・ミドルの子供達!)は誰もこの言葉(スニーカー・ミドル)を知りませんでした。思えばこの20年というもの、70代、80代の「高齢者」になってもユニクロですからね。以下続くかもしれない。
昔は昔、今は今。
前項から(またも!)あっという間のひと月超であります。で、あっという間に早2月も半ば。相変わらずの日々ではあるのですが……。
この数日、岡林信康とゴールデン・カップスを聴いていました。懐かしいからではなくて、ごく単純に昔のものを確かめて、昔のことを想うということだったようです。岡林は健在で、少し前にも新作全9曲からなるアルバム『復活の朝』をリリース、その前にはライヴ盤『デビュー50周年記念コンサート』なんかもありましたが。思えば中学生の頃(というのは、もう半世紀も前のことだ💦)、自分たちを取り巻く世界に対するストレートな批判の姿勢を学んだのは初期の岡林信康の歌からだったなぁ。ストレートすぎて、やや辟易もしたのだけれど。しかし、あの頃はごくフツーの中学生や高校生が「がいこつの唄」や「くそくらえ節」ばかりでなく「手紙」や「チューリップのアップリケ」なんかを聴いていたわけですから、なんというか……。
そして異色のGS、ゴールデン・カップスに「不良」のかっこよさとホームドラマではないアメリカの匂いを感じていたのは、ジェファーソン・エアプレインなどのサンフランシスコ・サウンドやバタフィールド・ブルース・バンドに惹かれていたのと同じ頃のことでした。そういえば、ポール・バタフィールドやマイク・ブルームフィールドの名を知ったのはカップス経由でした。そのゴールデン・カップスも今や存命のオリジナル・メンバーはエディ藩のみです。
60年代のなんだか色々ヒリヒリしていた気分は何だったのか。「反」というものがあちこちにあって、その「反」がフッと消えたのは1975〜1976年のことでしたね。20年ほど前の映画『ザ・ゴールデン・カップス・ワンモアタイム』をもう一度観たくなりました。
2023年になった。
これまた毎年のことだけれど、日の丸が掲げられている家はどんどん少なくなっていて、今年は1軒しか見ませんでした。ごく狭い地域での見聞なのですが、なんとなく全国的にそうなっているような……、昭和末期からの傾向のように思います。緩やかに、しかし確実に、近代日本の神話(!)が解けて行くことの証左でしょうか。国家感やらなんやら、ややこしいことは色々言えそうですが、この三十年ほどで変わったもの(失ったもの、とは考えない)のあれこれについてはゆっくり考えてみたいものです。で、ふと気づいたら、軒並み日の丸だらけになっていた、なんてのはとてもコワイけど。