映画の世界は何を見せていたのか?
そんなわけで(?)70年代は少し批判的に(ん?)振り返ってみるとあれこれ面白そうですが、気分的には75年前後を境に町の空気感が変わったような記憶があって(カウンター・カルチャーがサブ・カルチャーになったりして、妙に小綺麗になっていく、一方で自家用車激増・無理やりモータリゼーション社会本格化、とか)、欧米型の世界地図(日本が極東に表示されている)を前にしていろいろ読み直すといいでしょうね。以下続かない。
昨日は天皇誕生日でしたが(あ、それでお休みなのね⁉︎、という感じ)昔の日本映画を観て過ごしました。岡本喜八『にっぽん三銃士』(1972)、『月給泥棒』(1962)、川島雄三『とんかつ一代』(1963)、山下耕作『総長賭博』(1968)、深作欣二『県警対組織暴力』(1975)。後の2本を観るのは初めてではないけれど、先の3本は初めて観たものです。『とんかつ…』は酒井俊の歌を聴いて以来興味があったもので、安価のDVDをネットで見つけてポチ買いです。カラーテレビがまだそれほど一般的ではなかった時代の映画の風合いは結構新鮮です。小津の後期のカラー作品もそういった観点で近いうちに再見してみようかな。以下多分続く。
時代は変わる。
実はですね、私の同年代(とは60代後半で、そろそろ「生臭老人」などと自称できない中期高齢者です。とほほ)が20歳の頃から、世の中が変調を来たし始めたような気がしています。これは今に始まったことではなく、随分前から実感としてありました。あくまでも「実感」ではありますが。
私が大学に入学したのは第一次オイルショックの翌年、卒業は第二次オイルショックの年でしたが、入学早々(近年は絶滅危惧品種の文学部です)法学部進学コースの諸君の中には、国民経済的にどうしたこうした、とか、選挙に出る時は、とか、ごく当たり前に話す御仁が結構いらしたのです。そういったことは別に目新しくもなかったことでしょう。ただ、私は初めてそういう人たちを目にしてびっくりしたのです、まぁそれもいいのですが。以下そのうち続く。
……といった話とは全然関係ないけれど、最近またジャズ系のライヴを聴く機会が増えています。今日も近所のジャズ・バーで片倉真由子(p)と粟谷巧(b)を聴いてきました。先日は新宿で平倉初音(p)と平田晃一(g)でした。先週末はLes Komatisです。その前は藤井郷子です。なんだかこのところ女性ミュージシャンを聴くことが増えています。そして客の大半は私より年長らしき人が圧倒的に多いのです。年上とは、つまり団塊の世代の人たちーー殿山泰司が50代で新宿ピットインに通っていた頃(俺みたいなジジイが……と自嘲していた頃、です)20代後半から30代だった人たちです。あと数年後にはどうなるのでしょうか? うーむ。
続・昔は昔、今は今。
一昨日のことですが、70代の友人と2、3軒はしご酒、昨夜は40、50代の知人にご馳走になり、今夜は同年代の友人と2軒はしごして、その後やはり同年代のしかし別の友人と1軒、さらにその後お馴染みのバーに、といういい年して全く何をやっているんだ、てな感じの3日間でした。こういう日々があと何回可能なのか、なんて考えたりします。ん十回くらい? この場合の「ん」はかなり小さな数字です。山田風太郎に「あと1000回の夕食」だったかどうか、間違いなく違いますが大体そんな感じのタイトルのエッセイがありました。読んでないけれど、読んでみたいものです。
そういえば、10日ほど前に漏水のために約1000冊ほどの本が濡れてしまって、そのうち100冊ほどは捨ててしまいました。ほとんどが適当に流し読みした雑本ですけれど、個人的には結構貴重な本もあって(たとえば『マンガ考』草森紳一の最初の本とか。これは小学校の時に買ったものでした😌)、さまざまな想いに誘われました。今、紙の本はとんでもないスピードで消えつつあります。2、30年前からそんな予兆はありましたが、この1、2年どんどん加速しています。年内に出版社が何社消えるのか? 書店も然り。町の中小書店ばかりでなく大型の書店もいくつも閉店しています。映画や音楽もすでに手触りのない滑らかな「情報」と化して久しい……。このところ、キャッシュが使えない店舗が急速に増えていますね。
私のような高齢者(と呼ばれる年齢に達して早3年!)はこうしたさまざまな変化に折に触れて気づいて驚いたりしていますが、ものごころついた時からそういった環境(「変化」以後の世界)にいる若い人のものの見方、感じ方、考え方はどうなっているのか。大昔、私たちが若かった頃、「近頃の若い奴は何を考えているのか、さっぱりわからない」と言われたものですが、同じといえば同じことではあります。変化に触れて驚いているだけでなく、少し考えなければならんのでしょうね。