余白やの余談 -3ページ目

対話の機会は?

今日もいつものように、お馴染みのバーで4時間半もの時間を過ごしてしまいました(あぁ、なんというべきか。嘆)。で、酔っ払ってどんなことを話していたのかというと、戦後日本のあれやこれや……。そんなことは酒飲みながら話すことでもないだろうとは思いつつも、少し酔っ払ってなければ話せないよなぁ、とも思えるような……、やれやれ。しかし、ま、もう少しフツーに話せる空気になった方がいいんじゃないかな、こういう話は、と一般論としては思うわけです。みんなそれぞれ問題にしていることは違うわけですけれど、だからこそ時々確かめた方がいいでしょう、と、これも一般論。

 それにしても今日この頃、対話の機会はどんどん減っていますよね。面前の対話ができなくなること、これは本当に危ないことではないでしょうか。どんなにアホな話でも、黙っているよりは誰かと何か話したほうが色んな意味でいいのです。

 

ウェイン・ショーターと柄谷行人、そしてマルクス。

今日はウェイン・ショーターを聴いています。

 初めて聴いたショーター(ショーターではなくて、アクセントなしでショーターです)は『スーパー・ノヴァ』で、1970年のことだったと思います。前年あたりから時々行き始めたジャズ喫茶Aでのこと。『ビッチェズ・ブリュー』の少し後です。マイルスのバンドでショーターの演奏も聞こえてはいたのですが、それらは”マイルス・デヴィスのバンド”であって、共演者の音は聴いていなかったのですね。ロックばかり聴いていたアホな中学生ですから。で、そのジャズ喫茶で当時よくかかっていたのです、『スーパー・ノヴァ』が。『スーパー・ノヴァ』はジャズ入門したばかりのアホ中学生にも新鮮で、そしてちょっと退屈な音楽でした。「ジンジー」の美しいメロディはショーターに教わりました(しかし、これもジャズなの? との思いも)。

 その後ウェザー・リポートばかりでなく、ヴィージェイやジャズ・メッセンジャーズの頃まで遡ってなんとなく聴いていたショーター、彼のフレーズは明瞭な、しなやかで強い”線”という印象です。これは今日も変わりありません。「”情”ではなくて”理”」という”線”ではなくて、「”情”と”理”」とは別の次元に引かれる”線”という感じですね。近年はさほど追いかけて聴いたりしていなかったショーターですが(ダニーロ・ペレスと一緒に演っていた頃まで)、一時代の終わり感があります。巨星落つでもないのだけれど……、くっきりとした線を描いていた鉛筆が折れてしまったような感じです。

 ところで先週から電車の中で柄谷行人『力と交換様式』(岩波書店 2022)を読んでいます(すぐ寝てしまうので、まだ半分しか読んでいません😓)。今週末に一気に読もうと思っていましたが、ゼロページ。柄谷行人は『意味という病』(河出書房新社 1975)が出た時、なんだかカッコいいと思って『畏怖する人間』(冬樹社 1972)に遡り、その後『マルクス その可能性の中心』(講談社 1978)、『日本近代文学の起源』(講談社 1980)あたりまでは、わからないながらもなんとなくわかるような気がして(恥ずかしいことです😓)読んでいたのですが、ニューアカ・ブームの頃からどうでもよくなって(ん?)、以来40年ぶり(!)の柄谷行人です。失礼ながら今はあまりカッコいいとは思えません。というか、カッコいいかどうかなんてことは、どうでもよくなっているわけです。

 マルクスは長年の間、どこか変な場所に置かれ続けてきたので、良くも悪くも誤読されていた部分が少なからずあったようです。で、近年のマルクス再評価は「あり」だろうな、と思っています。そんなわけで『力と交換様式』は、マルクス解釈の強力な補助線のつもりで読んでいる次第です。数年前、西武池袋線であったか、電車の中で向かいの席に座った、私とほぼ同年代と思える初老の専業主婦っぽい女性がバッグから文庫本『資本論』を取り出して読み始めたのに気づいた時は(しかも第1巻ではないのですよ!)、意味もなく驚きました(ということを思い出した)。あれは一体どんな人だったのだろうか???

見届けるもの。

その後も読んで、聴いて、飲んで、相変わらずな日々です。先週末はエリ・リャオと佐藤浩一(ストーリーヴィル)、山口真文4(NARU)でした。エリ・リャオは台湾の歌、オリジナル(「おばさん」!)、日本の民謡などを歌い、ジャズ・スタンダードは1曲のみでした。佐藤のピアノが彼女の声に付かず離れず響き、支える、不思議で見事なジャズ空間でした。山口真文はお馴染みの小牧亮平(b)、田中菜穂子(p)に加えて21歳のドラマー山崎隼。この山崎がすごい! 的確な技術と豊富な語彙。5年後、10年後はどうなるのか。平倉初音、平田晃一、治田七海、中村海斗……すごい若手がどんどん出てくるジャズ業界(ん?)であります。おおむね団塊ジュニア世代のジュニアですね。団塊世代のジャズは意味に満ちていたけれど(ノー天気なおジャズもたくさんありましたが)、そのジュニアたちの音世界はどうなるのか? 見届けたいものです。

 見届けたいといえば、近頃は硬軟取り混ぜて色々な物事を見届けているようですが、見たくもないものもたくさんあります。何十年もの間見ないで済ませてきた、というかなんとなく絶妙のバランスが取れていたのだけれど、そのバランスがあちこちで乱れまくっている感じ。そろそろ大きな地震が?

以下続くかも。